十、厄災は迫り来る
「ねぇ! もっとスピード出ないの?!」
事態が悪化の一途を辿る中、私は自転車の後ろで喚いていた。
「うる! さい! わよ!」
帯刀が全力で漕いでいるのはわかってはいるが、バケモノが間近に迫って来ていると思うと、どうしても声を出してしまう。
肝心の咲にはさっきから連絡が付かず、困っているところだ。
「ダメ! 繋がんない! あでもほら、屋敷見えてきたよ!」
ようやく咲がいた屋敷前に到着する。外周を回ると、棒が柵から突き出していた。私達はそれが目印だと信じ、手遅れでないことを祈りながら、二人で自転車を乗り捨て柵を見てみる。蔦の間には、手で無理矢理こじ開けたような跡が。とりあえず柵を潜り抜けて立ち上がると、綺麗に描かれた魔方陣が目の前にあった。……しかし咲の姿が見当たらない。帯刀の方を見ると、彼女は口に人差し指を当てている。言わんとしていることはわかった。黙って頷きしゃがんでバケモノをやり過ごす。
おぎゃあ、おぎゃあと誰かを呼んでいるような、淋しげな声。親を求めるようなその声に、私は同情の心が芽生えて……
頭に衝撃が走り、気がつくと私は魔方陣から出て行く寸前であった。振り返ると、帯刀が緊迫した顔で首を振り私を引き戻す。周囲を見渡すと、バケモノが柵の外側をウロウロしているのが見える。しかし蔦の葉が邪魔をして肝心の姿を確認することができない。心臓の鼓動が、ヤツに聞かれるのではと心配になるほどに、激しく脈打っていた。
数分が数時間にも感じる空間の中、彷徨っているだけのバケモノに動きが。低く唸ったかと思うと、声が小さくなり消えてゆく。見失ってくれたらしい。
「まずは一段落ね……それにしても緒方さんはどこに行ったのかしら。」
そうは言っても、まだ魔方陣から出ようとはしない帯刀。それを見てまだ緊張を解けないでいる私を尻目に、帯刀は歩いて陣を出て行き屋敷を眺め始めた。
「あ……」
私は屋敷を見上げて、あることに気付いた。この場所には昔来たことがある……もう何十年も空き家になっている屋敷、西野邸。
「ねぇ……咲どこ? マズイかもしれない……」
急に変わる私の声色に、帯刀は怪訝な顔をして戻ってくる。
「どういうこと? 何がマズイのよ……」
街灯の灯りが申し訳程度に屋敷を照らし、暗闇と古ぼけた外観を見事に調和させて、近寄り難い雰囲気を醸し出している。しかしあの時の気味の悪さに比べれば大したことない。
「昔ね、小学生くらいかな。探検ごっこしてるときにこの屋敷を見つけたんだけどさ。その時ここの庭で遊んでたんだよ。そしたら咲がいつの間にかいなくなってて、あちこち探しまわったんだけどね。」
いつになく真剣な表情の帯刀。記憶は鮮明になり段々とあの時の光景を思い出してゆく。
「あんまり見つからないから、帰ったんじゃないかってことになって、屋敷を出ようとしたときだった。泣き喚きながら、咲が屋敷の窓から落ちて来たんだよ……二階の窓から。」
そう言って二階を見上げる。光が微妙に届いていないために、窓から誰か覗いていそうな雰囲気を感じる。
「何があったのか聞いてみたけど支離滅裂でさ、結局何があったかわかんなかった。でもね、必死に『いえのなかにこわいおねえちゃんがいる! おねえちゃんおこってる! こわい! こわい!』って何度も言ってたっけ……屋敷は当時、既に空き家だったんだけどね。」
帯刀を見ると、呆然としながら屋敷の窓を見つめている。
「そのあと警察来て家の中探したけど誰もいなかったらしいよ。それからこの屋敷は厳重に戸締りされて、簡単には入れなくなったってわけ。」
魔方陣の中で胡座をかいて一休み。疲れているのは帯刀も同じだろうが、そんな素振りは見せてはくれない。
「入る?」
このおなごは何を言っているのだろうか。頭を掻きながら意味を考える。帯刀と屋敷を交互に見ていると、彼女は窓の一つに指を指す。
「ここ、開いてるわ。」
簡潔且つ的確に言いたいことが伝わってくる。咲はこの中にいるかもしれない。屋敷は施錠されている筈で、それはあの時もそうだった。だからこそ不安が拭いきれず、かと言って一人で潜入したものなら、気がおかしくなってしまうだろう。私はペンライトを取り出し明かりを点けた。
ライトを当てると、暗闇は光を避けるように蠢いて見える。帯刀は持参した懐中電灯を持って、ズカズカと躊躇なく進んで行く。屋敷の中は埃っぽく、歩くたびに積もった埃が舞い上がりライトに反射していた。
「咲ー? いないのー?」
声を抑えてはいるが、屋敷内ならある程度聞こえるだろう。しかしそれらしい反応もなく、部屋を一つ一つ調べる他にない。
「何かの気配はあるんだけど、出てくる様子はないわ。普通の霊だと思うけど気を付けてね。」
すぐ駆け付けてくれたり、心配してくれたり。不器用だけど、本当にいいやつだなと改めて思う。ただ指輪が少し熱くなっているのが気になる。確かに屋敷に入ってから何かの気配は感じるが、帯刀同様正体や居場所などが掴めない。
「電話、鳴らして確かめてみない? 何にせよ手掛かりにはなると思うんだけど。」
提案に帯刀も賛同し、ケータイを取り出した。宛先を選択し繋がるのを待つ。無機質なコール音が耳元で鳴っているが、屋敷から着信音が聞こえてくることはなかった。
「いないのかな? 一旦うちに帰る?」
うーんと唸る帯刀だったが、帰っている可能性も捨てきれないと一度帰ることにした。開いた窓のある部屋に戻る。
閉まっているではないか。まさかと思い鍵を確認すると、南京錠でしっかりと施錠されている。
「間違えた? でも目印代わりに通ったドア開けっぱにしたよね?」
緊張が走る。帯刀も表情が変わり、懐中電灯で辺りを探っている。怖くなった私は鍵がないかと、室内にある引き出しを調べ始めた。しかし鍵はおろか、紙切れ一つ入っていない。
一定の間隔で軋む天井、それに合わせて降り注ぐ埃。……二階だ。何者かが二階にいる。帯刀に目線をやると、彼女は上に指を差し頷く。確認の合図かと思ったが様子がおかしいのだ。どうやらこのおなご、二階に行こうと言っているらしく、気は確かかと問いたくなる。残念ながら至って正常なのだろうが。
玄関、いわゆるエントランスホールと言う場所までやって来た。しかし大富豪の家とあって広い広い。エントランスにある階段を登って、二階の廊下にライトを向ける。私のペンライトでは奥まで照らすことができず、余計気味の悪さを助長させる。私は確認のために、帯刀へ声を掛けた。
「こっちだよね? 音がしたのって。」
登って左側の廊下を指差すと、帯刀は臆することなく進んでゆく。さながら歴戦の勇者といったところだろうか。とここで、あることに気が付いた。懐中電灯の明かりを遮る、何かが立っているのだ。
ドア、ドアが開いている……まるで食虫植物の如く、その異様さは入室を躊躇させるに申し分ない。一歩引いて中を覗くと、一つだけある窓が全開になっていた。慎重に足を踏み入れる。だがその場所は、今まで使われていたかのように綺麗だった。風ではためく白いカーテンは、洋風な部屋の雰囲気も相まって、思わず見惚れてしまうほどだ。
「……なんか、綺麗だね。」
窓からは星月が煌めき、その淡い光で部屋を満たす。私の恐怖心は既になくなっていた。
「確かに、美しいわね。」
ふと何かを感じる。先程までとは違う、優しい雰囲気。すると突然、何処からともなく声が聞こえてきた。
「ご友人はここにはいません。姉様が来る前に早くお帰りなさい。」
悪い者ではないのだと思う。恐怖を一切感じることなく、気配の主は遠ざかっていった。
「帰ろ、帯刀。咲も家に帰ってるかもしれないし。」
しかしまったく返事がない。焦って振り返り帯刀を見ると、顔が強張って冷汗を流している。
「帯刀! 聞いてる?! 帰るよ!」
肩を掴んで怒鳴る。驚いた帯刀は少し飛び上がり、いつもと違う可愛らしい声をあげた。
「い、急ぎましょう。アア、アイツが来る!」
そう言うと私の手を引っ張って一階に下り、入って来た窓のある部屋まで一直線に走り抜けた。
窓は何事もなかったかのように開いており、南京錠も見当たらない。帯刀は一目散に飛び出して行ったが、私は何かを感じ立ち止まった。
『貴女は鋭いから、集中すればあの歪な存在や緒方さんの位置がわかるはずよ。方法を教えるから早く彼女を探して。嫌な感じがする。』
初めて異形と対峙した忌まわしきあの夜に、帯刀が私に教えてくれたことがある。
「集中、精神を研ぎ澄ませ。五感すべてを魂に委ねよ。」
第六感というのだろうか。極限まで精神を研ぎ澄ませることで、幽体離脱したかのように周囲の状況を感じることができるようになった。もちろんいつでも発動できるわけではないが。
……わかる、あの時と同じ。咲を見つけたときと同じだ。
……目が合った。
酷く後悔した。私は今ここで死ぬ。
顔に衝撃が走り、怒号が聞こえてくる。
「このバカ間抜けぇ! 死にたいのかあぁ!」
鬼の形相をした帯刀が、私を部屋から勢いよく引きずり出す。地面に叩きつけられ痛みにもがいていたが、それどころではないのがわかった。開いた窓の奥、暗闇から何か来る。起き上がり走って柵の隙間に体を滑り込ませた。
「なんで……だ、だこん……どうたく……」
帯刀は訳の分からない単語を呟いている。屋敷のバケモノの名前だろうか?
「たてわ……き? あ……」
少し先の街灯の下。真っ黒で太った大男が一人。しかしその体が、ふっくらした赤ん坊の集合体であると認識するまでに、そう時間はかからなかった。
「どうする……どうする……あー! どうする!」
あの帯刀が見たこともない焦り方をしている。状況は芳しくなく、そうしている間に、屋敷から何かが這いずる音が聞こえてきた。最悪だ、早くここを立ち去らなくては。
「帯刀! 逃げなきゃ!」
叫び声にはっとして、すぐ自転車に手を伸ばした帯刀。しかし柵の間から腕が伸びて、自転車をがっちり掴んでしまう。
「おおぉぉぉまあぁぁぁかあぁぁぁ!!」
柵を捻じ曲げ、ソレは現れた。ボロボロの髪の毛と、ソイツの腕が姿を見せたその時。
「走れえぇ!!」
帯刀の叫びで弾かれたように走り出す。背後では赤ちゃんの泣き声と女性の叫び声が混じり合い、最悪の不協和音を奏でている。何が起きているのか、確認する暇もなく全速力で家まで走って行ったのだった。
吹き出す汗とは裏腹に、寒気が止まらない。私と帯刀は、私の家の前まで帰ってきた。
「なんとかなったのかな……とりあえず上がりなよ。つーか泊まってったほうがいんじゃない?」
躊躇していたようだが、時間も時間だ。無理矢理家に入れて部屋に向かう。ドアを開けると、咲が座って布団にくるまり寝ていた。
「よかった……無事だった。」
呆気なく見つかり、ほっと胸を撫で下ろす。ベッドに腰掛け、まずはシャワーでも浴びようと言う話になり二人で浴室に向かった。
「悪いわね、こんなことまで。」
元はと言えば私が悪いのだから、これくらいなんてことはない。幸いママも起きてこないため、面倒な展開もなしだ。
私は服を脱ぐと、桶で浴槽のお湯を被り、湯船に浸かる。帯刀の方はシャワーで汗を流す。
「助かったわ。本当に良かった。運が良かった。」
シャワーの音が心を穏やかにしてくれる。帯刀とは上手くやっているつもりだったが、思っていた以上に仲良くなれているのは嬉しい。友人とは名ばかりの人達はたくさん見てきた。
「わざわざありがと……こんなことになるなんて思わなかったから……ホント、全員無事に帰れて本当に良かった。」
私の言葉に少し顔をしかめる帯刀。何か考えてから、こう話を始めた。
「貴女は、堕閫童磔って言う異形に狙われてるのよ。でも堕閫童磔は取り込んだ子の母親以外殺さない。だからおそらく貴女を標的にしてるのは、多羅女のほうだと思うの。」
私は黙って彼女の話を聞く。いや、聞かなくてはならないのだ。
「本には載ってないけど、私が調べた限り、多羅女は男も子供も殺してるわ。多分ヤツの標的は子殺しの原因を作った人間への復讐。堕閫童磔が母親への恨みで動くバケモノだとすれば、多羅女は母親の恨みで動くバケモノ。」
標的を私にする理由はわからないが、私を狙うモノ達がどんなヤツらか、それがわかっただけマシだろう。
「何か対策はないの? 多羅女を追い返すことはできそうだけど、その、なに? だこん、どうたくっての? そいつはヤバすぎるじゃん。」
帯刀は堕閫童磔、多羅女について知っていることを話してくれた。その上で、咲に聞いたという私が襲われる理由も聞いた。
「確かにそんな話聞いたかもしれない。でも私その時の記憶ないんだよね……」
気になることはまだある。あの屋敷の女だ。ヤツは何者なのか、帯刀に聞いてみた。
「アイツね……慶隆の二大禁足地って知ってる?」
もちろん知っている。慶隆の生まれなら一度は聞いたことがある話だ。
一つは狩馬山。もう一つは宮町のはずれにある旧貯水場。
「知ってるけど、もしかしてそこに関係あるの?」
ゆっくり頷き、一呼吸。
「アイツは旧貯水場の主。禁足地が禁足地たる由縁。でもアレが貯水場から出られるなんて知らなかったわ……見境なく襲ったりはしない霊だけど、下手な異形なんかよりずっと危険。私にも手に負えないわ……」
まさか帯刀から、そんな言葉を聞くとは思わなかった。そしてあの二体のバケモノはどうなったのか、気になって仕方がない。
「屋敷の霊は私達より堕閫童磔に敵意を向けてたよね?」
帯刀も頷いている。そうなるとバケモノ同士、戦ったのだろうか。
「どうなったかは明日調べればわかるわ。今は焦らず、何も考えないで寝ましょう。」
確かにその通りだろう。私も疲労困憊で早く眠りに就きたい。汗も綺麗に流せたところで、私達は部屋へと戻った。帯刀は着替えがないため私の衣服を貸して、そのまま三人で就寝した。




