二十、幻
一日経ち、私達はもう一度小学校へ来た。玄関には既に綾乃ちゃんの姿が。咲は申し訳なさそうに、
「ごめーん! ずっと待っててくれたの?」
なんて言っていたが、綾乃ちゃんはまったく気にしていない。それどころか少し嬉しそうにしている。
「ねぇねぇ! お姉ちゃんいいって! 早く行こ! ……えっと、伶奈さんと咲さん!」
私達に駆け寄るや否や、二人の手を引いて学校を飛び出す。
しばらくすると、疲れたのか一旦手を離し歩く綾乃ちゃん。その後ろを我々はついて行く。
「お姉ちゃんあの話するときちょっと怖いから気を付けてね。」
ボソッと独り言のように話す綾乃ちゃん。その姿は少し寂しそうにしていた。
「でもよくオッケーしてくれたね。てっきり断られるかと思ってたよ。」
咲の話す通り、私も同じように断られると思っていたのだ。
「私もびっくりしちゃった。最近お姉ちゃん学校もよく休んでるから。お姉ちゃん達ありがとう。」
綾乃ちゃんは少し照れくさそうに笑っている。その裏には薄っすらと暗黒が差しているように見えた。
「ここの通りだよ、私の家。」
十分ほど歩いたところで、綾乃ちゃんは一本の通りを指差しそう言う。何故だか私は得体の知れない嫌悪感を覚えた。
「どうかしたの?」
心臓を射抜かれたようになり、私は飛び跳ねて驚く。綾乃ちゃんはもちろん、咲も私の反応に驚いている様子だった。
「いや、なんでもないよ。早く行こ。」
二人を急かし、彼女の家があるという路地に入る。まだ日が出ているにもかかわらず、路地はほんのり薄暗い。そこから五十メートルほど進んだ場所に、綾乃ちゃんの家はあった。玄関に行き、綾乃ちゃんが扉を開ける。
「ただいま。」
しかし家には誰かがいるような気配はない。私達も形式的な挨拶をして家に上がった。
「ちょっと待ってて。」
そう言うと綾乃ちゃんは二階に上がって行く。彼女はすぐに戻り、
「いいよ、上がってきて。」
と私達に促す。
階段を上がると、綾乃ちゃんは右側の奥まで歩いて行き、一つのドアの前で立ち止まった。
「お姉ちゃーん。お客さん。昨日言った人来たよ。」
彼女の言い終えると、ドアがゆっくりと開かれた。
「どうぞー。あ、綾乃は部屋に戻ってな。」
綾乃ちゃんは不満そうにしていたが、大人しく引き下がった。
「どうぞっス、中に。」
言われるがまま部屋に入る。
「西川小百合っス。妹がお騒がせしてすみません。」
小百合ちゃんはショートカットが似合う、可愛らしい女の子だ。服は部屋着なのか、ゆるっとした格好をしている。
「え? 小百合ちゃん!? 小百合ちゃんじゃん! 久しぶりー!」
唐突に後ろにいた咲が叫ぶ。後頭部に響くのでやめてほしいものだ。
「あれ?! 緒方先輩っスか?!」
世間は狭いもので、なにやら二人は知り合いだったらしい。
「陸上の後輩でさ、遅くまで練習付き合ってくれたりしてくれてた子なの。」
小百合ちゃんは短く、
「うっス。」
と挨拶してくる。
西川小百合、慶隆中学三年生。咲が言うには、かなりの実力者らしい。私は手を振りながら、
「入江伶奈だよ、よろしく。」
なんて軽く返してみた。
しばらく二人は思い出話をしていたが、小百合ちゃんが今はもう部活をやっていないという話から、一気に本題へと進んだ。
「嘘?! 今部活何もしてないの?」
咲の言葉で一つの疑問が生まれた。
「うちの中学って、部活強制じゃないっけ?」
誰とはなく私は確認の意味も込めて聞いてみた。
「そうっス。今は特別措置で、学校に許可もらって休んでるっス。」
心配そうに見つめる咲。小百合ちゃんは続ける。
「そういえば先輩、図書館の話聞きに来たんスよね。」
声のトーンが下がり、一気に空気が張り詰めてきた。
「私が今こんな状態なのも、全部アレのせいなんスよ。……誰に話してもまともに聞いてくれないっスけど。」
どうやら話を信じているのは綾乃ちゃんぐらいらしく、親や先生はプレッシャーが原因で病んでいると思っているのだそう。
「是非聞かせて。私は昔から変な体験してたし、バカになんてしないから大丈夫。」
しかし彼女は納得できなかったのか、反発してきた。
「同じようなこと言ってていざ話すと私のことバカにする人いましたし。聞いてどうするんスか! 私はこんなに大変なのに……」
小百合ちゃんは泣いていた。咲が背中をさすっていると、少し落ち着きを取り戻してくる。
「あんな本さえ見なければ……」
その一言に私は強く確信する。
「壊滅思想。」
大きな声ではなかったが、その言葉を聞いた途端、小百合ちゃんは私に摑みかかる勢いで迫ってきた。
「知ってるんスか?! なんで知ってんスか?」
一旦彼女を落ち着くように説得。しばらく様子を見ていると、徐々に精神も安定してきたようだ。
「す、すんませんス……」
私は彼女の話を聞く前に、私が何故訪ねてきたか話す必要があると感じた。
「私もこの前見たからさ。その本。謎の本が引き起こす現象を解き明かしたいと思ってるけど、今は何も手掛かりがない。だからこそ小百合ちゃんの体験した話を聞きたいの。」
小百合ちゃんが何度か頷く。
「……わかりました。」
先程とは表情が違う。意を決して彼女は語り始めた。
「実は事の始まりは、先輩方が卒業する前っス。ちょうど冬休み始めで、たしかクリスマス前後だったと思います。」
確かに私も咲もつい最近まで中学生だったわけだが、何故か彼女の話を意外だと思っている自分がいる。自分の中では最近の出来事であったため、彼女にも同じように当てはめていたのだろう。
「宿題するために図書館行ったんスよ。あるじゃないっスか、勉強スペース。それで宿題がひと段落したんで、本でも読もうかと思って面白そうな本探してたんス。」
彼女は正座になり、声色も少し暗くなる。
「しばらく眺め歩いてたんスけど、急に一冊の本に釘付けになったんス。……それがさっき伶奈先輩が言ってた本、壊滅思想。」
私は静かに相槌を打つ。
「その本を異常なまでに見たくなって手を伸ばした時、受付にいた人が私に声を掛けたんスよ。そしたら今まで感じてた異様な感覚がなくなって、それと同時にその本も何処かに消えてたんス。それが最初の出来事っス。」
自分では平然と聞いていたつもりだったが、汗ばんだ手が気分の高揚を自覚させた。
「その後は特に何もなくて、次にそれを見たのは……たしか三日後くらいっス。暇だったんで宿題仕上げにまた向かったんスよ。そこでもう一度見ました。私、そこで壊滅思想を手に取ったんス。……気付いたらこの部屋でボーっとしてて。」
意識のないままに帰宅したのだろうかと想像してみる。
「そしたら母が入ってきたんス。手に包丁を持ってました。何もできないでいると、母は私に包丁を突き刺そうとしたところで意識が戻ったんス。しかも図書館で。私、本を取ってから動いてなかったんスよ。」
気味が悪い程度には私の体験と酷似している。だが私の体験と決定的に違う部分がある。そう、彼女は本を、壊滅思想を手に取っていたのだ。
「それからは大変でした……一日に数回、幻覚を見るようになったんス。でも周りの人達は、大会へのプレッシャーからくるストレスだろうって言って聞かないんです。」
雪の降るこの地域で、冬に陸上の大会を猛烈に意識したりするのだろうか。まあ運動嫌いな私では、いくら考えても理解できないだろう。
「かなり期待されてたもんね。でも小百合ちゃんはプレッシャーに押し負けるような子じゃないと思うよ!」
フォローを入れる咲に、小百合ちゃんも頷く。
「大会直前ならまだしも、十二月っスよ。来年は最後だから頑張ろうとは思ってましたけど、別にプロになりたいわけではないっスからね。」
要するにストレスではないと言いたいのだろう。
こうして聞いてみると、あの時誰も私に声を掛けなかったら、私も同じ目にあったのだ。他人事ではない。
「最近は落ち着いてきたんスけど、まだ週に一回くらいのペースで見るんスよ。段々と人間不信になってきて、今じゃこの有様ってわけっス。」
この話で一つ、疑問が生まれた。
「疑心暗鬼状態でよく私達に会おうと思ったね。なにか理由でもあったの?」
私が問いかけると小百合ちゃんは頷き、こんな話を始めた。
「最初綾乃が言ってきたときは断ったんス。でも、今まで誰も興味持ってくれなかった話を聞いてくれる人がいる、って考えたら、話を聞くだけ聞いてもらおうって思って。」
十分に理解できたため、私は頷いて黙った。
「でもよかったっスよ。同じ体験をした伶奈先輩にも会えましたし、緒方先輩にも久々に会えて元気出ました。」
随分と晴れやかな顔をしている小百合ちゃん。彼女のためにも、私がなんとかしなければ。
「今日はありがと。壊滅思想のことは私達で調べてみるから、何かわかったら連絡するね。」
小百合ちゃんはケータイを持っていないようなので、西川家の電話番号を教えてもらう。換わりに私と咲の携帯番号をメモして渡した。
「今日はこの辺で。何かあったら遠慮なく電話してきて。」
何度もお礼を言う小百合ちゃんに別れを告げて、部屋を出る。すると綾乃ちゃんが奥の部屋から顔を覗かせていた。
「終わった? 帰るの?」
私がそうだと返すと、玄関まで見送りに来てくれた。彼女は、
「また怖い話聞きたくなったら来てね!」
と可愛らしく手を振っている。
「その時は頼りにしてるよ。またねー!」
咲と二人で手を振り返し、西川家を後にした。




