十二、親と子
午後四時半。今日はもう最悪な一日だ。朝の出来事が頭から離れないうえに、咲は不貞腐れて帰ってしまう。私と帯刀の二人だけが部室に残っていた。
「決行は今週の土曜日の夜でいいかしら? 次の日休みの方が気楽でいいでしょ?」
旅行じゃないんだからと思ったが、確かに次の日学校があるのはしんどい。
「それに、準備は念入りにしておきたいのよね。」
もっともなその意見を先に言って欲しいものだ。彼女曰く、私は何もしなくてもいいが、立地の把握をしっかりして欲しいとのこと。いかんせん林の中なので、下手をすると迷いかねない。もちろんかつて遊び場にしていた場所だから、現地を見回ればどこに何があるのか思い出すだろう。
「準備はいつやるの? やっぱ明るいうちのほうがいいよね。」
帯刀はカバンを持って、帰り支度をしている。
「下見は早いほうがいいわね。術式は私が当日描きに行くけど、ある程度描く場所を決めておきたいわ。」
つまり今から向かおうと言いたいのだろう。活発なのはいいが、本当に大丈夫なのだろうか。仮にも敵の本拠地、しかも私が狙いなのだから、日が出ていることなど関係ないかもしれない。
「はあ、まあいいか。暗くなる前に行こ。つーかホントに大丈夫なんでしょうね。」
私の声に、帯刀はふふんと笑うと部室を後にする。私は再度溜息を吐きながら、鞄を掴んで追いかけた。
錐馬の外れにある林の近くまで来たところで、ふと疑問に思ったことがあった。
「ねぇ、アンタの自転車どうなったのさ。」
帯刀は私の顔を見た後、口を尖らせる。
「なかったじゃない。誰か回収したんじゃないかしら……新しいの買わないとねぇ。」
皮成村は交通手段が限られた場所なので、自転車がないと不便なのだろう。
「どうせならバイクの免許でも取ったら? たしかあたしらのがっこ、申請すれば取れるんじゃないっけ。」
そう言うと帯刀は、
「早死にはごめんね。十七で事故死した知り合いがいるのよ……悲惨だったらしいわ。葬式じゃ顔も見せてもらえなかったし。まあ上半身見つからなかったそうだから、当然っちゃ当然よね。」
さりげなくヤバイ話をブッ込んでくるスタイル、嫌いじゃない。そんな話をしているうちに、鬱蒼とした森林が姿を現した。
「なんか、嫌な雰囲気。昔こんなじゃなかった気がする。」
そう言って後退りした私に帯刀は、
「そうね、確かにあまりいい感じはしないわ。油断しないで行きましょう。」
と慎重な面持ちだ。
帯刀は鞄から地図を取り出し、私に差し出した。見てみると、林の中にある遊歩道が描かれている。おそらく町が作った物をコピーしてきたのだろう。
「赤ペンある? それで目印付けといて。罠の場所とか危険な道とか。当日自分が見てなんだったか分かるようにね?」
しっかりしてるなぁと、感心している間に、帯刀は林の中へと歩を進める。一人になるのはなんだか怖いので、慌てて付いて行った。
一通り散策してみたが、少々自信が無くなってきているところだ。子供の頃に見た記憶と、今見ている記憶に、結構なズレが生じている。草木が生い茂り、全体的に薄暗く見通しも悪い。
「ここ、昔よりかなり荒れてる。管理する人がいないのかね。」
帯刀は一度立ち止まり、地図を見直す。
「これも古い地図なのよ。誰も管理してないとなると、小さい道は草で隠れてるかもしれないわね。」
そう言って指差した先には、赤い郵便受けが雑草に紛れて佇んでいる。……思い出した。あれは謎の郵便受けだ。昔私達が遊んでいた時に見つけた、何故あるかわからない郵便受け。宝物を隠したり、目印にしたり、私達にとって馴染み深い代物である。
「あれ懐かしー。でもあそこには何もないよ。昔からああやって、森の中に突っ立ってるんだよね。」
すると帯刀は、草をかき分け郵便受けまで歩いて行く。手袋を鞄から取り出し装着すると、郵便受け周りの草を取り除き始めた。
「帯刀? な、何してるの?」
一通り取り除くと、郵便受けは私の立っている道からでも十分に認識できる。
「ちょっとー、帯刀ー? 大丈夫なの?」
彼女は道まで戻ってくると、体についた葉っぱを払い落としている。
「暗い時に見えるかはさて置き、目印になる物は一つでも多いほうがいいわ。」
まあ確かにその通りではあるが。ふと帯刀の足に、切り傷があることに気がついた。
「アンタ、怪我してんじゃん。消毒液と絆創膏あるから使いなよ。」
私はその二品をカバンから取り出し、帯刀に手渡す。
「あ、ありがと。悪いわね……」
何故か照れている帯刀が可笑しくなり、ケラケラと笑ってやった。
「な、なによ……」
そう言いながら口を尖らせる帯刀。私は更に可笑しくなり、大笑いしていたため、手当を終えた彼女にチョップをかまされた。
「ねぇ、貴女のそれって地毛なの? お母さんも綺麗な金髪だったけど。」
不意な問いかけに少し面食らってしまう。確かに日本人で地毛がこの色合いでは、馴染みがなく違和感を感じるだろう。
「そうだよ。やっぱり気になる? 昔からよく差別されたもんだよ。まあ性格が性格だから、苦労した、なんてことはあんまりなかったけどね。」
唐突に何故その話をしたのか。気になって聞いてみると、
「ふふ、似合ってるわよ、その髪。しかし貴女はどんな状況でも勇敢な人ね。咲ちゃんが憧れるのも分かるわ。」
私が勇敢? そんなこと初めて言われた。あの帯刀に褒められ、嬉しいような恥ずかしいような。
「それにあんな怪物と対峙していながらここに来れるなんて、頭が狂ったか、肝が据わっているかのどちらかよ。」
こいつには言われたくはないなんて思ったが、実際のところ咲は軽く病んでしまっている。まあ咲の場合は、トラウマが蘇ってきたのもあるだろう。
それだけ恐ろしいことなのだろうが、立ち向かわなければこの町を出るしかない。しかし私達には戦う術がある。ならば私がやるしかないのではないか。
「あんたもいるし、いざとなったらなんとかしてくれるでしょ? それに、これは私がやらなきゃいけないことだと思うから。だから帯刀、力を貸して。」
そう言って手を差し出す。彼女はニヤリと笑い、がっちりと手を掴んでくれた。こんなに信用できる人と会うのは久しぶりだろう。知り合って間もない私を、危機から救おうとしてくれている。見捨てるのは簡単なのに。
「さあ、行きましょう。そろそろ暗くなってくるわ。ある程度場所も把握できたんじゃない?」
辺りにじわじわと闇が這い寄っている。彼女の言う通り、この場所の構造がなんとなく把握できてきた。見た目が変わってはいるが、泥まみれになって遊んだこの場所をすぐには忘れない。
「さて、帰ろ。咲にどう謝るか考えとかないとね。」
私達は夕焼け空の下、帰路についたのだった。
自宅の近くまでたどり着いたとき、今朝の出来事があった道が目に入る。なんだか気になって、道を覗き込んでみた。
いた。男の子は私に駆け寄って来る。
「これ、持ってて。」
手には朝に見たお守り。あのおばあさんの顔が浮かび、受け取るか躊躇していると、彼は私の手にお守りを押し込み、祠の方まで走って行った。
「ありがと。」
そう呟くと私はその場を後にした。
暗い部屋から外を眺める。午後十一時を回り、イノシシはネズミへと変化を遂げたところだ。正直言うと、最近夜が怖くて怖くて仕方ない。咲がいればかなり楽になるのだが、今はそれも叶わなず、ただ激しい心音を無音の空間に響かせるだけだ。横になっても寝れそうにないため座っていると、部屋をノックする音が。
「伶奈、まだ起きてるの? ちょっといい?」
ママは返事を待たずしてドアを開ける。そのデリカシーのなさに、私はイライラしていた。
「何?」
私は苛立ちを隠すことなく返答する。
「……あんた最近、夜中に外行ってるよね。何してるか知らないけど、あんまり続くようならお母さんも黙ってないわよ。」
何もわかってない母親に、怒りが込み上げてきた。勢いのままに、私は母に怒鳴りつける。
「うるさい! 何も知らないくせに! 出てけよ!」
しかし母も食い下がらない。
「お母さんに向かってなんて口聞いてるの! ちょっと来なさい!」
母が私の腕を掴み、私を居間に連れて行こうとする。玄関に続く廊下に来たところで、私は掴んだ腕を振り払い、裸足で外に飛び出した。
「伶奈! 戻って来なさい! 伶奈ー!」
全速力で走り抜ける。行き先などわからないが、そんなことはどうでもいい。
走って走って、どれくらい走っただろうか。足の裏がじわじわと痛み出すのを感じる。道路の端に座り込み、痛む足をさすっていると、太ももに水滴が滴り落ちてきた。空いた左腕で目を擦り、嗚咽を必死で抑え込む。
「お嬢さん、悲しいのか。」
誰だろうか。どこからか低い男性の声がした。しかし振り向いても誰もいない。背後にはガードレールと側溝、その先に家。しかし誰かがいる気配はない。黙っていると、再び声を掛けられた。
「可哀想に。何があった。」
発音に違和感を感じる。口調が独特で聞き取り辛く、声自体もくぐもってはいるが、なんとか理解はできた。
「ママと喧嘩したの。お母さん私のこと何にもわかってない。」
嗚咽混じりにそう話すと、彼? は何かを考えているような、低い唸り声を上げる。数秒の沈黙の後、彼はこう話した。
「思いを伝えるのは難しい。そしてまた、読み解くことも難解だ。そなたは母君に自分の思いを話しておるのか?」
彼の言う通りだ。意思の疎通が上手くできていないために、ママは私に対して疑心暗鬼になっているのかもしれない。
「最近は。殆ど話してない、かも。」
心身共に落ち着いてきた。嗚咽は治まり、言葉もスムーズに出てくる。
「少しずつ話せばよい。時間はある。それと、これだけは忘れてはならん。」
一呼吸置いて、彼はこう言った。
「母君は、心からお嬢さんを愛している。」
この言葉を聞いたとき、私の脳裏に母との思い出が蘇る。記憶の中の母は、いつも笑顔だった。
「……ありがと。私が逃げてたのかもしれない、ママから。ホントありがと、なんか勇気出た。」
そう返すと、嬉しそうな笑い声が。しかし、相変わらずどこから話しているのかわからない。
「どれ、もうお帰りなさい。私も帰るとしよう。」
話し終わると同時に、側溝の中から、水をかく大きな音が。激しい水音は次第に小さくなり、やがて無音となる。
ここら辺の側溝は幅が広く、もしかしたら偶然大きな魚でもいたのかもしれない。だがその解釈を嘲笑うかのように、辺りは静寂に包まれている。私は唖然としたまま、立ち竦んでいた。
暗い夜道を歩きながら、先程言われた内容を思い出す。
「話す、かあ……」
冷静に考えるほど気が滅入るが、彼の言う通り話し合うべきだろう。ところであの声、どこかで聞いたことがあるような……しかし思い出せない。などと考えているうちに家に着いてしまった。家の前には父の姿が。
「 伶奈! 大丈夫か? 心配したんだぞ。」
パパは私の頭を優しく撫でると、家に入るよう促す。玄関上がると、まずはお風呂で足裏を洗い、パパが傷に消毒液を付けてくれた。仕上げに包帯を巻いて、部屋に戻る。
「今日はもう寝なさい。そうだな、今度美味しい物でも食べながら話を聞くよ。伶奈、おやすみ。」
もう一度パパは頭を撫で、部屋を出て行く。私は横になり、今日の出来事を思い出していた。
ハッとして飛び起きると、もう学校に行かなければならない時間。急いで支度しといると、窓から咲が学校に向かっているところが目に入る。一瞬目が合って、しかし気まずさから、すぐに身支度に戻った。
学校ではいつも通りの日常が過ぎ去って行ったが、部活は臨時で休みとなっていた。帯刀曰く、
「土曜に向けて休んで起きなさい。ただしストレッチと軽い運動はしておいて。」
だそうだ。
しかし家に帰るのも気まずいため、どこか適当にくつろげる空間を探すことにした。最初に思いついた場所は図書館であったが、あの不気味な本を思い出し躊躇する。帰り道に手頃な喫茶店があるが、特に作業するべきこともない。
「あ! あの場所に行こうかな。」
唐突に思い浮かんだ行き先は皮成村。帰り道とは反対方向であるが、気分転換になって良いだろう。昔遊んだ思い出の場所に走った。
三十分ほど走ったところで、川に辿り着いた。この川は綾兎川のかなり上流に当たる場所だ。
「懐かし……」
私はますます上流に向かって歩いた。どれくらい歩いただろうか。大きな滝に差し掛かる。この場所は冒険で何度か来た、馴染み深い場所だ。不思議な話だが、この滝にいる間はファミレスや喫茶店などよりも居心地良く感じる。
座って滝壺を眺めていると、魚が跳ねた。イワナかヤマメが跳ねているのだろう。何度か魚が跳ねた後、巨大な岩を投げ入れたような大きな飛沫と水を叩く音が。少し驚いたが、ここは底も深く広いので、大きな魚がいるのかもしれないと、一人納得していた。
夕闇が空を覆ってゆく頃合い。流石に戻ろうと帰り支度をしていると、どこからか視線を感じる。様子を伺っていたが、どうやら川の方から見られているらしい。しかし悪意を感じるわけではなく、むしろ親なんかに見守られているような感覚に近い。私は滝壺に向かって一礼し、その場を後にした。




