第23回:献策(下)
兵の移動というのは難しいものだ。
そもそも兵士は戦うために行動する。
しかし、道は兵のためだけにあるのではない。
そこは、地域の者たちの日常的な通路であり、商人たちの経路でもある。
彼らは生活のために、街道を、山道を、野路を利用する。
一方で、兵はその道を通り過ぎるだけだ。
敵への警戒は、容易に周囲への敵意にすり替わる。二度と生きてここを通ることがあるかどうかもわからないという感覚は、無責任な放埒へと繋がる。
結果として、軍が移動するとなれば、行く先々で村々は襲われ、なけなしの食糧は奪われることとなる。
さすがに人命が失われるようなことが頻発するならば、軍の引き締めにかかる領主が多数派であろうが、貧弱な補給線に鑑みて、掠奪についてはある程度まで目をつぶるという王侯はそれ以上に多数を占めている。
それがこの時代の現状である。
まして、傭兵団も多数行き来する戦王国群では、そうした治安状況も推して知るべしというものであった。
しかしながら、戦王国群の北辺で、いま、そのような光景は見られない。
兵がいないわけではない。
むしろ、兵は驚くほどいる。
ヴィンゲールハルトが戦王国群の北辺を切り取る戦の最中よりも、多くの兵が。
だが、綺麗に隊列を組んだ兵は、村々に寄るのはせいぜいが水を分けてもらう時のみで、静かに先を急いでいる。
騒ぎになる間が惜しいのか、あるいは、本当によく訓練されているのか。
一頭の巨大な褐色の竜が、その土地の上空を飛びながら、その光景を観察していた。
そののど元には美しい宝玉が光る。だが、それを見分けられる者はまずいないだろう。
真龍はそれほどの高空から、人の動きを俯瞰している。
その褐色の真龍はかなり以前から『足萎えの雷将』ことヴィンゲールハルト・ミュラー=ピュトゥの領地の上空を巡っていたが、そのような光景を眺めるのははじめてのことである。
ヴィンゲールハルトの軍は、戦王国群の仲では群を抜いて練度が高く、士気も高い。
それですら、略奪行為を排除し切れていなかった。
彼らの輸送能力では、全軍を支えるほどの食糧を運びきれないのだ。
戦闘に従事する者を減らし、その分で荷馬を養えば、補給は可能となるかも知れないが、それによって軍の正面戦闘力を下げるよりは、掠奪も避け得ないと割り切った結果であろう。
それについて判断するのは政略と戦略の問題であり、傍観者である真龍にはもはや関係の無い話だ。
大事なのは、いま村々から物資を奪う必要も無いほどしっかりと組織され運営された軍が移動しているという事実だ。
しかも、一つでは無い。
上空から見る限りは、間違いなく複数の集団が、旗を掲げ、武器を携えて進んでいる。
それらは、どこからやってきたかはそれぞれであっても、いずれも同じ方向を目指しているように見えた。
すなわち、北方を。
褐色の真龍はその後もしばらくの間さらに観察を続けた後で、いつもの巡回路を外れ、北西へと飛行を始めた。
彼らの故郷にいくつかの報せを伝えるために。
†
「ほう。魔族どもが攻め寄せられていると?」
真龍の長は甥であるディーの報告に楽しげに応じた。
今日も人身である彼は岩から削り出した玉座に座しているし、龍身であるその半身は玉座を囲むように身を丸めている。
ただし、以前と違って、その場にいるのはツェン=ディーとその叔父だけではない。人身も龍身も取り混ぜて、十数人の真龍が各々に適当な位置に座ったり寝そべったりしている。
戦が近いということで、腰の重い長老たちがようやくに表に出てきたのだ。
「まだぶつかってはおりません。……が、それもそう遠くないことかと」
「どこの軍だろうね?」
尋ねたのは、長老の一人。霜のような髪を持つ男だ。その背後には、雪のように白い龍が控えている。
ディーは彼らに軽く会釈して応じた。
「例の『足萎えの雷将』の軍ということになってますね」
「なっている、というのはどのような意味かな」
「雷将配下の主力部隊は既に北部に移動を終えてます。ですが、それを上回る程の兵が、続々と北上中でしてね。彼らはそれぞれに旗を掲げていますが、共通する意匠が一つ。……十字です」
「なるほど、ソフィア修道会か」
白髪の男――その龍身の鱗の色と、人身の髪の色から白翁と呼ばれる――の言葉に、いくつかの反応が起きる。
「あやつら、なんのつもりだ」
「ヴィンゲールハルトに恩を売るためだろう?」
「それだけとは思えんな」
「あれのことだ。おおかた十字軍気取りであろうよ」
「ああ……。魔を滅するための聖戦か」
「十字軍とはまた……」
「星を渡ったところで、そのあたりは変わらんさ」
口々に好きなことを言っている長老たちを諦めたように眺めながら、ディーは話を続ける。
「いずれにしても、戦王国群からソウライへと攻め寄せるのは確実です。ある意味歴史的な出来事ですね」
「ふん。ソウライが乱れたと見て、切り取りに出たにすぎんだろう。魔族も魔族だが、人のさもしさも変わらんことよ」
感心したように言う甥に、真龍の長は辛辣に言い放った。
半身である龍もまた同感というように大きな息を吐く。
「いずれにせよ、我らの出陣には影響あるまい。邪魔立てするようなら、人間どもも蹴散らせばよいことだ」
その言葉には、喝采するような吠え声も出たが、一方で眉を顰める者も出ていた。ただし、それが長を諫める声とはならないあたり、諸々のことを察するべきであろうか。
ディーは内心はどうあれ、感情を表に出したりはしない。ツェンのほうは、漆黒の鱗の彼と対になるような純白の龍と顔を見合わせていた。
「そのことなのですがね」
叔父への反応が一段落するまで待って、ディーは静かな調子で切り出す。
「カラク=イオの側から、申し出がありまして」
「申し出? 龍玉を見つけ出したという報ではないのかね?」
「ええ。違います」
これもずっと落ち着いた様子の白翁に答えているディーであるが、その目は一族の長を窺っている。
魔族たちと龍玉という言葉が出る度に叔父がどこか落ち着かない風情になるのに、彼は気づいていたのだった。
「彼らが龍玉を見つけているかどうかはわかりません。おそらく発見してはいないのでしょう。こういうものがあるが……というような質問もありませんでしたからね。それよりも」
長の視線は彼を外れている。興味を失ったとかの理由であるとは思えない。こちらを見たくないのだ。
そう、ディーは判断した。
真龍の長は、なにかを知っていて、それを隠している。
そんなことを確信したところで、彼は話を続けた。
「彼らの申し出というのはこうです。ソウライの支配が成ったという報は間違いであった。事が落ち着くまで約定の時は待たれたい、と」
「……もう一度よろしいかね?」
さすがの白翁もその豊かな響きを持つ声をしばし呑み込んでしまうほどであった。周囲の長老たちも、いま耳にしたことを信じられず、自分はなにか誤解しているのでは無いかとあたりを見回す者もいる始末だ。
「まあ、つまりは彼らも南方の騒々しさには気づいているのでしょう。相手が誰かまで掴んでいるかどうかはわかりませんが、攻めてくるだろうということは予期している。故に」
ディーはそこでひょいと肩をすくめる。彼の後ろに控えるツェンも、細い息を吐いた。
「ソウライはまだ支配されていないというわけですな」
ほんの少しの間だけ、完璧なる沈黙が落ちる。
呼気の音すら聞こえない、誰もが身じろぎすらしない瞬間が。
「なんとまあ情けない」
だが、それは、そんなため息交じりの言葉で破られた。
「ソウライ支配は七都市を征服した時と決めたではないか。それをいまさら、別の敵が現れたから待ってくれと言うのか?」
「そのような……。魔族とはそのようなものであったか?」
「魔族が、我らには劣るとはいえども誇り高き戦士揃いであるというのは、あくまでも伝説でしかなかったというわけだろうな」
「どうかな。そもそも、魔界からも追放されるような者たちであろう?」
「それにしても……」
長老たちは首をふりふり慨嘆する。
龍身の者たちも、怒りとむなしさを込めて高い吠え声を上げていた。広間の天井に反響することで、それはすさまじい音量の合唱となる。だが、真龍の者たちは人が聞いたら耳が潰れそうなそれを聞いてもどうという風もなかった。
むしろ、その声に同調して嘆かわしさを増幅させるばかりだ。
長に至っては、人身は玉座を殴りつけ、龍身は尻尾で床を強く叩いていた。
「若長はどうお考えですかな?」
「そうですね」
一人黙り込んで顎をなでていた白翁が尋ねるのに、ディーは一拍置く。そうしないと、誰も彼の発言を聞いていないように思ったからだ。
「待ってあげてもいいんじゃないかと思ってます」
「惰弱な!」
彼の意見を叱りつけたのは、彼の叔父であった。
「泣き言を並べる相手に引いてどうするというのだ。予定通り、魔族を討つ。それでよいではないか!」
それから彼は立ち上がり、長老たちに向けて語り掛けるようにした。
「考えてもみろ。魔族らは人界の小勢力にすら攻めかかられているのだ。これがどういうことかわかるかね、諸君? 三界の制覇など夢のまた夢。それは当然のこととして、大事なのは、彼らが人界の者から攻撃を受けるという事実だ。つまりは、魔族どもは人の心など、一つも得ておらぬ。ただただ暴力と死をまきちらしたにすぎんのだ。奴らは、三界のどこも治める器量など備えておらぬのだ。それを奴ら自ら証明している!」
「そこですよ、叔父上」
話しているうちに自分の言葉に酔ってきたのだろう。口角泡を飛ばして演説を続ける叔父の言葉の隙に、ディーはするりと入り込んだ。
「なに?」
「人心を得ていない証左というやつです。約定を守れない上、人の心も得られない。つまりは、統治者としての資格などまるでない。それが明らかになれば、我らの大義は確固としたものとなります」
「うむ……。まあ、そうだな?」
真龍の長は、甥の言葉に同意する。それはほとんど彼自身の言葉を繰り返しているようなものであったからだ。だが、ディーは待てと言っていたのではなかったか。
その主張のつながりが呑み込めず、彼を混乱させた。
「なるほど。さすがは長と若長ですな」
だが、白翁はその意図を理解しているようであった。
真龍の長は、長老たちの中でも尊敬を集める彼の言葉を待った。長としての度量を示すためには、部下たちの具申を聞いてやることも必要だろう。
「彼らが人界の勢力から攻め寄せられる、そのことを三界に明らかにし、我らの義を知らしめる。そのためにいまは雷将と修道会の動きを待つということですな?」
「そういうことになりますね。叔父上の言うとおり、彼らに器量なんてありません。だから、きっとヴィンゲールハルト相手にも醜態をさらすことでしょう。こっちはゆったり構えて、彼らが自壊するのに手を貸せばいいってわけです」
「なるほど、なるほど。我らの長の言う通りというわけですな」
「ええ。まさに。……どうでしょうね、叔父上?」
それまで白翁の方を向いていたディーが自分をまっすぐに見つめてくるのに、真龍の長は奇妙に喉にひっかかるような声をあげた。
「うむ?」
全員の視線が、彼に集まっているのがわかる。白翁とディーが揃ってなにかを期待するように見ているのが、彼の肩に奇妙な重圧をかけた。
半身である龍が身をもたげ、人身の肩にその鼻先をこすりつける。
「まあ……そうだな。無駄に人間たちを攻撃するというのもよくはないかもしれん」
彼は、ゆっくりと言葉を選んで話しながら、長老たちの反応を探った。
そこで、ほっとしたような顔をいくつか見つけることで、ようやく彼は方針を定めることが出来た。
「そうだな……。ディー、お前の良いようにしろ」
丸投げである。
もちろん、それだけでは終わらない。
「だが、忘れるなよ。義は我らにあり、そして、我らこそが戦の本分を知る者なのだからな!」
取り繕うような言葉は聞くほうには白けたものであっても、発する当人にとっては、実に森厳に響くものであると感じられていたのだった。
†
「いかがでしたか」
長老たちのたむろする玉座の間を出たディーに寄ってきたのは、以前と同じく、空色の鱗を持つ真龍の半身であった。
ただし、以前と違い、今日は扉を出たところで声をかけている。ツェンが外に向かってすぐにだ。
以前ほど、遠慮がなくなっているのだろう。果たして、誰に対する遠慮であるかは定かで無いが。
「白翁殿のおかげでなんとかなったよ」
「あの方ですか……」
「なに? 嫌い?」
彼女の顔に浮かんだ表情にディーは意地の悪い顔で尋ねる。女は抗議するように一瞬顔をしかめて続けた。
「嫌いではありませんよ。良い方だと思いますし、一族の中でもかなりの良識派と言ってよいかと思います。しかしながら、いまひとつ……」
「のらりくらりしてるからね」
「はあ」
なんとも言い難い表情で女は口をつぐむ。
「まあ、あの方が本気で動けば、それはそれで敵を作る。一族にとっても、あの方自身にとっても、それがいいとは限らない。僕はそう思うよ」
「そうですかね」
納得は出来ないという様子で女は頷き、話を変える。
「ところで、ご報告ですが」
「うん」
「どうやら魔族は龍玉をみつけてはいるようです」
「へえ?」
ディーは素直に驚いていた。
叔父は魔族にそれは出来ないと断じていたし、見つけたのならば連絡があってもおかしくはないはずだ。
だが、彼の側近は、魔族がそれを発見済みだという。
「ハイネマンでそれらしき動きがあったと。ただ……」
「ただ?」
「今回、ハイネマンについて少々注目してみましたところ……。ハイネマン周辺の監視活動に従事している者たちの多くが、当代の長に意見を同じくする一派で占められておりまして」
「……なるほど?」
この報も、また判断が難しい。
彼女が言うのならば、それは事実なのだろう。だが、どう考えるべきだろう。
叔父がハイネマン周辺になんらかの影響力を持ちたがっていることは確かだろうが、それはなんのためだ?
「それがなにを意味するかはわかりませんが……」
「そうだね」
ひとまず、考えることは後でも出来る。まずは心に留め置こうとディーは決めた。
「ありがとう」
「いえ。これからも頑張ります」
「ほどほどでいいからね」
おそらく程々になどしないであろう部下に、あまり張り切りすぎるなと言い含めて、彼は一人自室へと向かう。
「魔族は龍玉を見つけてる」
部屋に入った途端、衣服を脱ぎ捨て寝台に飛び込んだ彼は呟く。
「でも、叔父上はそれを魔族が僕らに見せることは出来ないと思ってる」
そこまで言ってディーは眉をぎゅっと寄せ、そして、驚いたように目を見開いた。
「まさか」
いや、でも、しかし……と、ディーは自分の頭の中に浮かんだ考えを否定しようと躍起になる。
それでも、彼はその疑いを消しきることが出来なかった。
「叔父上、そこまで堕ちていたか」
結局、彼はそう哀しげにため息を吐くしか無いのだった。




