第24回:衝撃
ゲデックは混沌としていた。
少々くたびれてはいても懸命に磨き上げられた鎧を身に纏った傭兵たちが中央の城を目指す。
それとすれ違うのは、すでに契約の決まったらしい売剣たちだ。彼らはほくほく顔で早速色町や酒場へと向かう。
そんな男たちを目当てに、女たちが街に立つ。
袖引く先が賭博宿か、春をひさぐ館であるか、酒の場であるか。
それは、それぞれだ。だが、彼女たちはそうすることでいくばくかの金銭を手に入れることだろう。
その中には今回の魔族の侵攻において夫を失った女もいれば、人の集まっている気配を感じ取ってやってきた流れの者たちもいる。
それらが排斥されること無く入り乱れているのは、この地に新たな秩序が訪れたと誰もが感じているからかもしれない。
それをもたらしているのは、街中のそこかしこで見受けられる、背の高い黒衣の女性たちだ。
ソウライ各地に散らばっていたカラク=イオの兵の大半は、いま、ゲデックにあり、頻繁に出撃を繰り返している。
その行き先がヴェスブールであることは知られていても、強行偵察と挑発行為が執拗に繰り返されていることまでは、街の者たちは知らない。
ただ、彼女たちが魔族であり、この地の支配者となったこと、そして、直前まで彼女たちと戦っていた傭兵たちを解放するばかりか新たな兵として雇い入れ始めていること、戦時の食糧供出を条件に今後一年間の税の免除をソウライ全土に対して言い渡したことなどは知っていた。
免税を喜ぶ者もいれば、ただ税を言い換えただけだろうと言う者もいる。
ただ、何かが変わるだろうとは、皆思っていた。
魔族と戦うために集まっていた傭兵たちは新たな契約主を得て訓練を開始している。
ゲデックがいまや物事の中心地と見て取ったか、ソウライ各地から商人たちが集まり始めている。その中には、ゲールの皇女から話を聞いたという南方の商人すらいるのだ。
人々は集い、混じり合っている。
いずれそこで何事か起こると予感して。
こうして、ゲデックはとても戦時とは思えないほど様々な人々が入り交じり、様々な文化が交錯していた。
それは混沌だ。だが、混乱では無い。
魔族たちは、彼女たちの主がおわすこの都市でおかしなことが起こることなど許さなかった。その無言の圧力が、ちょうどよい緊張感として街中に流れている。
そんな街中を、エリは歩いていた。
ぶらぶらと買い物の最中である。
都市の人々の様子を、魔族では無い身から見てきて欲しいというスオウからの頼みではあったが、それは名目に過ぎないのではないか。そう、彼女は考えていた。
むしろ、自分を気遣って、息抜きに出てこいと言ってくれたのではないか。
そう思っていたのだ。
もちろん、それを口にすることはないだろう。
もしそれが当たっていたら、スオウとその周辺の気遣いを無にすることになるし、外れていたら自意識過剰で恥ずかしい。
いずれにしても確かめてみようなんて思わない方がいいのだ。スオウやスズシロたちの心配りは日々の生活の中でも、十分感じられているのだから。
「正体を偽っていた相手に対して、かなり甘い気もするけど」
エリはそんなことを呟く。
この点に関しては、エリがエルザマリアを騙っていたことよりも、実は真龍であったことや、命を差し出そうとしたことのほうに意識が行っていて、騙されていたという実感がないのではないかと思える節がある。
とはいえ、こちらは恐ろしくて確認などとてもできやしない。
「なにか言いましたですか?」
護衛という名分で同道しているカノコがそれまでのぞき込んでいた露店から目を離し、こちらを振り返る。
エリはぱたぱたと手を振って、見ていていいよと仕草で示した。カノコは素直にそれに従って、魔族目当てに出しているであろう土産物屋の品々を眺めるのに戻った。
そこに並んでいるのは、ネウストリア地方に特有の樹木を加工した置物や、南方から伝わってきたという竜の骨を削って作った楽器などであった。
エリの目から見ると、なんでもない細工物――それも、あまり程度がよろしくない――なのだが、魔界の住人にとってはいまだに珍しいものであるらしい。
実際、カノコは目をきらきらさせてそれらを眺めている。
さすがに、あの骨笛を買うと言ったら止めよう、とエリは決心した。
アルル大砂漠の部族が作ったという宣伝文句のそれは、どう見ても贋物だったからだ。
友人の興味が様々なちゃちな作りの品々の上をうろうろするのを、はらはらしながら見つめていたエリは、ふと顔をあげ、きょろきょろとあたりを見回した。
その視界の端に、かぶっている外套の襟を寄せ、頭巾で顔を隠す動作をする人物がひっかかる。
妙に興味を惹かれ、彼女はそちらをじっと見た。
その人物は彼女の視線に気づいたかどうか、なんでもない調子で歩き出そうとしていた。
人の流れに逆らうことなく、より人の多い通りへと向かおうとしている。
エリはなんのためらいも無く、その人物に向かって、一直線に向かった。邪魔になるはず通行人の合間をすり抜け、驚くほどの速さで外套の人物の前に立っている。
「エリちゃん?」
気配で察したのだろう。
カノコが同じようにするすると雑踏の中をすり抜けてエリに追い付いてくる。
外套の人物は一度は足早に立ち去ろうとしたようだが、カノコまでもがやってきたのを見て、諦めたように足を止めてしまっていた。
ただ、頭に布を巻いた少女に下からのぞき込まれるのをいやがるように身をよじっている。
「どうしたんです? エリちゃん」
「ん……ちょっと見た顔だなって」
「お知り合いです?」
エリの視線を避けようと努力して、結果として周囲の視線を集めることに気づいたのか、外套の人物はカノコが不思議そうに見つめる前でついに動きを止め、深々とため息を吐いた。
「知り合いというか、血縁」
そんな相手を前に、エリは淡々と言葉を発する。カノコがびっくりしたように背を伸ばした。
「え? そうなのです?」
「うん。カノコちゃん、これがディー兄さん。兄さん、こちらお友達のカノコちゃん」
その言葉に、カノコはこぼれんばかりに目を見開く。
「僕のことはもう知ってるだろ……」
一方で、真龍族の若長にして、エリの同巣の兄ディーは疲れたように呟くしか無いのだった。
†
「それで、ディー兄さん、こんなところでなにしてるんですか?」
久しぶりに会った兄に容赦なく買い物の荷物を持たせて歩きながら、エリが尋ねる。
「ツェン兄さんは? 上には見えないけど」
言いながらぴっと指を立てるエリにつられて上空を見上げるカノコであったが、そこには晴れた空が広がるだけで、飛竜はおろか、鯨も、鳥の影すら無い。
「お忍びだからね! 誰かさんに暴かれるとは予想もしてなかったけど!」
ディーは周囲には聞こえない程度に、しかし、厳しい調子で言うものの、エリには堪えた様子がまるでない。
「だいたい、こないだ会ったとはあからさまに他人のふりしろって態度だっただろ。どういうことだよ!?」
「情勢というのは変化するものですよ、兄さん。そんなことも知らないんですか?」
「知ってるよ! だからって、変わりすぎだろ!」
「知りませんよ」
正体を隠して魔軍に入り込んでいるとばかり思っていた妹が、なぜか自分とのつながりをあっさり明かした上、魔族側に報告をするでもなく荷物持ちをさせている。
ディーで無くても混乱する状況ではあろう。
「……ま、まあいい。君には君の事情があるだろうしね。それよりも、だ」
そこで、彼はカノコのほうを向いた。
「カノコさん……でいいんだよね?」
「はいです」
こくんと頷くカノコ。そんな彼女に、ディーは困ったように笑いかけた。
「あのさ。僕は別にユエリの敵じゃないから、そんなに警戒しないでくれないかな?」
彼女はディーが現れてからずっと、彼とエリの間に体を置いている。どう動いても、二人の間に位置し続けているのだ。彼を警戒し、エリを守っているのは明らかだった。
正直、ここまで警戒されると居心地が悪い。
だが、カノコはそれに対してきっぱりと否定の仕草を返した。
「あなたは、太子様の敵です」
それ以上の理由を説明する必要は無い。心底からそう考えているらしい様子に、ディーは思わず助けを求めるように妹のほうを見た。
しかし、彼の妹は楽しげに笑っているだけで、なにも言うつもりはないようだった。
「まあ……その、現状はそうだけど。でも、政治的対立ってやつは、ともかくとして、ユエリに危害を加える意味は無いわけだから……」
「太子様の敵は、我々の敵です」
その『我々』にはエリも含まれているのだと言外に示すカノコに、真龍の若長はこの相手の説得を諦めた。
一族の指導的立場にある者の実感として、カノコがほとんど本能とも言うべき部分にまで己の忠節を染みこませた性質だとなんとなく予想できたのだ。
「うん。まあ……そうだね。いまは敵だからね。それはしかたないか」
でもね、と彼は続けようとした。
敵であるというのは事実だが、敵だからこそ交渉はする。そうでなくては、戦も始まらないし終わらせられないではないか。
そんなことを話そうとしたのだ。
ところが。
「ああ。もしかして、自ら宣戦布告ですか? ディー兄さん。律儀ですね」
彼の言葉は、妹のそんな揶揄するような調子で遮られた。
「宣戦布告?」
普通の調子で、カノコが繰り返す。
だが、途端に、彼らの周りに奇妙な空間が出来た。
人の流れは、当然のように三人とはぶつからないように動いていたが、それが、三歩は余計に退いた。
カノコから逃げようとして。
「ユエリくん。いま、君は僕を死地においやったんだけど?」
空気が粘りをもったかのような感覚を覚えるほどの敵意に身をさらしながら、ディーは冷や汗をかく。
「大丈夫ですよ。カノコちゃんは、兄さんを殺したりしません」
そんな兄に、妹はあっさりと言い、こう付け加えた。
「スオウ様の許しが無ければ」
「ですです」
満面の笑顔で妹に同意するカノコになんとも言えない視線を向けて、ディーは早口で伝える。
「うん。そうだね。ええと、けして、宣戦布告とかじゃないから、ともかくその皇太子殿下に会えるように取り計らってくれないかな?」
その提案に、カノコのほうは少し考えるようにしたが、ディーの妹はまるで取り合わなかった。
「だめですよ」
「え?」
「買い物にいってこいってのもスオウ様の命ですし」
ああ、そうだ、という風にカノコが頷く。
それから、彼女たちは顔を見合わせ、小首を傾げた。
「ねー」
「ねー」
それから、きゃいきゃいと楽しげに笑う二人。
そんな様子を眺めながら、ディーは彼女たちに聞こえないよう、こう呟くのだった。
「これを御してる皇太子殿下って……なんというか、すごいなあ……」
と。
†
内心怖れていたほど連れ回されることも無く、カラク=イオの本陣に連れてこられたディーであったが、正直に言えば彼は戸惑っていた。
妹が自分をからかうよりも魔族との仲立ちを優先させた理由についてだ。
ユエリの中の良識がそうさせたのならいいが、あるいは魔族に対しての肩入れからの行動かとも思う。
真龍であることを明かしていることも考えれば、後者である可能性は高い。
そうであるならば、スオウという人物は、それほどまでに妹を心酔させたのだろうかと、そうした戸惑いの気持ちであった。
ともあれ、個人的な困惑はともかくとして、いまは一族を代表する立場を優先させるべきときであった。
「悪いね。急に」
「いいや。そういうこともある」
スオウは、ディーが密かに訪れたと知ると、幹部たちを退け、エリとディーと彼の三人での会談を申し出てきた。
ディーとしてもそれは願ったり叶ったりの好条件である。念のために部屋の外には兵を待機させると言われても、なにも反対する理由はなかった。
それにしても、妹は本当に真龍であることを明らかにしたようだ。部屋に入った途端、頭に巻いていた布を取って、その龍玉を露わにしている。
久しぶりにそれを見ることで、ディーは様々な思いが去来するのを感じた。
「とはいえ」
ディーの感慨を他所にスオウはそう言って、懐に手を入れた。
「真龍の指導者が秘密裏にやってくるとなれば、その理由は察せられる。これのことだろう」
言いながら、彼は布の包みを取り出す。三人が囲む卓に置かれたそれを見下ろし、ディーは首を振った。
「……やっぱり、見つけていたんだね」
「ああ。龍玉だ」
スオウの言葉に、ディーはぎゅっと目をつぶる。
出来ることならば、そうであって欲しくなかった。
だが、自分の予想は、ここまでほとんど外れずに来ている。
ならば、結論も間違っていないのかも知れない。
そう思っての反応だった。
「それでも、こちらに言ってこなかったのは……理由があるんだろうね?」
「それを予期してわざわざ来たんじゃないの? 兄さん」
その通りだ。
しかし、それを認めるわけにはいかない。
ディーはスオウの様子を窺った。
魔界の皇太子たる人物は、ユエリの言葉とディーの沈黙に対して、苦笑のような表情を浮かべていた。
「まあ、見てもらうのがはやいだろう」
スオウは言って、包みの布を解いていく。
「俺から見せる必要も、きっとあるだろうしな」
布が解かれていくに従って、ディーは思う。
皇太子殿下が布を解いてくれて良かったと。
自分がやっていれば、きっと指先が震えて、やり遂げることが出来なかったに違いないから。
「見ての通りだ」
スオウは示す。
破片と化した龍玉の残骸を。
その全体像を認識して、ディーはがつんと後頭部から殴りつけられたかのような衝撃を受けた。
「龍玉は砕けているの。兄さん」
さすがのエリも、このときばかりは兄をからかうこともなく、目を伏せて哀しげに呟いている。
「いや、違う」
だが、ディーは確信を持って、そう言い切った。
それまで抱いてきたあやふやな疑惑が、明確な事実を伴って形を成したが故に。
「砕けているんじゃない。……これは、砕けたんじゃない。砕かれたんだ」
誰がそれを成したかさえ、彼は予測していた。
哀しい哀しい確信をもって。




