第22回:献策(中)
カラク=イオ幹部は、再び会議の場に集まったとき、当然のようにエリの額に光る宝玉に度肝を抜かれた。
だが、その隣に座るスオウの怒気を目にしては、驚きを口にするより前に神妙な顔で席に着くしかない。
むしろ、あからさまに怒りを露わにしているスオウのほうに、魔族たちは動揺しきりであった。
そうして、全員が揃ったところで、スオウが立ち上がり、こう告げる。
「見ての通り、エリは真龍の血を引いている」
その言葉に応え、エリがスオウにしたのと同様の説明を始める。
魔族にはわかりにくいであろう概念についてはスオウ自身が解説し、それをエリが補足するという形を取ったため、二人で話していたときよりはずいぶんとすっきりとした話の流れになっていた。
そのため、幹部たちは、その内容を取り違えようが無いはずだ。だが、それでも驚愕が理解を邪魔する。
「つまり……、なんだ。エリはエリだけど、エリじゃないと」
フウロがよくわからないことを言うが、そうも言いたくなる内容ではあったろう。
「ショーンベルガーとの同盟関係に影響が出そうですが、それはいいでしょう。殿下が本物のエルザマリア嬢も手に入れてしまえば解決することです」
やはり、面々の中で冷静にそれらの物事を把握していたのはスズシロであった。彼女も少々乱暴なことを言っていたが、これは実際の所、後で解決すればいい問題であった。
事態が落ち着くまでは、これまで通りこの場にいるエリがショーンベルガー公爵の娘であることにしておけばいいのだ。
大問題ではあるが、政治的解決をはかれる問題でもある。
「それよりも、いまそれを明かしたことの意味のほうが重要ではないでしょうか」
「そうだな。真龍に攻められているこのときに明かした意味は小さくないはずだ。いえ、すでに殿下は聞いておられるのでしょうが」
スズシロの言葉にハグマが同意し、スオウのほうを向く。怒りをたたえたまま、彼らの長は、一つ頷いた。
「エリはな、自らの龍玉を差し出せと言う」
「ええと?」
「龍玉を?」
ユズリハが小首を傾げ、ミズキが確認するように繰り返す。同じように不思議そうな顔をしている皆の顔を見回して、エリは決然と頷いた。
「はい」
「あなたの額にあるやつよね?」
「そうです」
シランがことさらにゆっくりとした口調で問うのにも、エリははっきりと肯定する。
ずんとその場の空気が重くなった。
誰もが言葉を放つのを躊躇うほどに。
「えーっと」
それでもそんな重苦しい空気の中、カノコが思い切って声をあげる。スオウが咎めないのにほっとして、彼女は言葉を続けた。
「エリちゃんの、その……その額のそれは好きに外せたりするんです?」
「無理ですね」
「生えかわるとか」
「残念だけど」
あるいはその間の抜けたやり取りは、儀式のようなものであったかもしれなかった。
「では……どうするんです?」
「生きながらえぐりだすしか手はありません」
「下手な冗談ですね?」
「俺もそう言った」
スオウが唸るように言うのに、エリは思わず微笑んで応じていた。
「ええ。ですから、私も同じ事を返すしかありません。冗談ではありませんからね、と」
「死ぬですよ?」
「死にますね」
きっぱりと、しかし静かに言うエリの様子に、皆は驚くより前に納得したような顔つきになっていた。
「なるほどね」
「道理で殿下が怒り心頭に発しているはずです」
シランとスズシロが苦笑と共に言うのに、スオウがますます不機嫌そうな顔になる。
「当たり前だ。死にたいなどと言うやつに怒りを感じないわけがないだろう」
エリはその言葉に一瞬眼を伏せ、しかし、なにかに押されるように顔をあげた。
彼女は真っ直ぐに背を伸ばし、堂々とした態度で言葉を放つ。
「しかし、スオウ様は兵たちに死地に向かうことをお命じになるでしょう。真龍との戦いを避けることが出来れば、おそらくは幾百人かが死を免れます。私一人の命なら……」
「それは少し認識が違うなあ。エリ」
張りのある声で、己の信じることを語っているのが明らかなエリの言葉を遮ったのは、赤毛の女だった。
皇太子親衛旅団において第一隊を率いていた彼女は、怒るでも呆れるでもなく、奇妙に優しい顔で語りかけていた。
「あたしらは死にに行くんじゃ無い。そりゃあ、死ぬ覚悟はあるさ。だけど、死ぬつもりでは戦わない」
そこで、彼女は思い出すようにちらと上の方を見た。
あるいは、それは高き天にいる誰かを探す仕草であったかもしれない。
「たとえば、ヤイトと対陣した時、あたしらが逃げるために幾人かが死んだ。望んで死地に向かい、結局は戻ってこなかった奴らがいた」
フウロのなんとも言えない迫力にエリは黙って頷くしかない。事実、彼女もその者たちのことを覚えていたし、脳裏にもあった。
ただ、おそらくはエリとフウロでは決定的にそのとらえ方が違っていたのだろう。そのことに、エリは気づき始めていた。
「だがな。あいつらだって……あの決死隊ですら、死にたがってたわけじゃない。むしろ、死ぬつもりなんかなかったはずだ」
「そりゃあそうよね」
シランが心底同意するという風に呟くのに、フウロはにっと獰猛な笑みを深くする。そして、二人は目を合わせたまま、口を開いた。
「死んだら、敵が殺せない」
二人の声は唱和する。
その言葉に同意する空気はあっても、それに驚く者も、否定する者もいない。
魔族ではないエリでさえ、はっと気づかされたという風に受け止めていた。
「あいつらは、最後の最後まで死ぬつもりなんてなかったはずだ。そりゃあな。知っていたさ」
そう、知っていた。
死んでもいいと思って、そこに至った六人は知っていた。
「自分が死ぬことも、仲間たちと笑い合うことが二度とないことも、守り切った殿下の姿を見ることが出来ないことも、彼女たちは知っていただろう」
だが、自分が死ぬであろうという予測と、死にたいということは少しだけ異なる。
それはわずかかもしれないが、けして無視できるものではないのだ。
「それでも、死ぬ気なんてなかった。自分がそこで死ぬことの意味を心の底から知りながら、それでも生きあがいた。そうであるはずだ。あいつらは、あたしの部下で、殿下の部下だからな」
小さく笑って、フウロは胸を張った。死んでいった部下たちを誇って。
「死んでもいいってのと、死のうとするってのは違う。あたしらは、最後まで生きようとする。あがいてあがいて、あがききって、相手を斃す。それが戦うってことだ。戦うってのはそういうことだ」
いや……とそこでフウロは首をひねった。自分の言葉にどこか疑問を覚えたらしい。そこで、彼女はふるふると赤毛を振ってから続けた。
「逃げるんでもいい。ひたすらに逃げりゃいい。真っ裸になったって、ずたずたのぼろぼろになったって、最後に生き残ってりゃ勝ちだ。それでも、もちろん、死ぬ気なんてありゃしない」
そこまで言って、フウロはその野性味あふれる顔に、なんだか申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「そう、エリのそれも、エリにとっては戦いなのかもしれない。本気でそう思う。エリの覚悟を馬鹿にするつもりは毛頭ないんだ。あたしも、殿下も、みんなもな」
その言葉に、全員が頷く。スオウでさえ、不機嫌そうな顔で一つ唸ってから同意していた。
だが、次の言葉が魔族たちの感覚を的確にあらわしていたのだろう。
「だが、あたしたちの流儀じゃない」
そう言って、フウロは肩をすくめ、口を閉じる。もう言いたいことは言ったというように。
エリは何度か頷き、しかし、再び反論の言葉をその舌に乗せようとした。
おそらくはそういうつもりだったはずだ。
けれど、それは、静かな声に阻まれる。
「一つおたずねしてもよろしくて?」
それまでずっと灰金の髪をいじっていたミズキが、ようやくのように髪から指を引き抜き、尋ねかける。
「どうしてそこまで?」
「どうして、ですか?」
ええ、とミズキは言った。
それから、艶然と誘うように笑う。
「フウロさんはああ仰っておられますけれど、理由如何によっては、ワタシはエリさんにお味方してもよろしいかと思っておりましてよ」
「おいおい」
長広舌を振るったフウロが力が抜けたように声をかけるのに、ミズキはすました顔で応じる。
「説得を試みるかどうかの選択はわたくしたちにもあるのではありませんこと? それに、お決めになるのは殿下ですもの」
「まあ、それはそうね」
どうなの? とシランもミズキの問いをエリに振る。
エリは、ミズキやシラン、フウロの顔を見て、次にカノコ、スオウと視線を動かしてから微笑んだ。
実に切ない笑みだった。
幼子が泣き出す直前のような、そんな顔だ。
「スオウ様に負けて欲しくないんです」
そして、彼女はそう口にする。
ある意味で、この場にいる者全ての根源的な願いを。
「ショーンベルガーの立場だとか、私個人の気持ちだとか、色々あります」
そう、気持ちがないわけではない。
男と女としての感情がまるでないわけではない。
だが、それだけではない。
けして、ない。
「皆さんに比べたら笑われてしまう程かもしれませんが、これでも意識はしていたんですよ。なにしろ、お嫁さんに迎えてもらう真似事までしてもらいましたから」
彼女はうっとりと自分の衣服をつまんだ。いま、その瞬間、それは彼女には花嫁衣装に見えていたのだろう。
「ですが、それなら本当のエルザマリアがいます。それは彼女の役割です。私の姪は、それはそれは可愛いですよ。きっと気に入ります。だから、私の役割はそこにはない」
彼女の強い視線は、声をかけようとしていたスオウの動きを止めるほどであった。
「スオウ様。三界を支配した時、相手が人であろうと神であろうと、真龍であろうと、自らの子をもうけられる支配者はあなただけでしょう」
スオウの下でならば、血が混じる。
種族の垣根は越えやすいものとなり、新たな種さえそこから生まれるかもしれない。
そんな未来を彼女は夢想していたのだった。
「シンが死んだのは、けして真龍だからではありませんでした。それでも」
そう、それでも、考えないことはなかった。
「あるいは、私が抱えてきた悲劇を起こさずに済むのは、あなたではないかと、そう思うんです」
それは、もはや彼女自身には取り戻せない過去の話だ。
しかし、いま、自らが犠牲となれば、新たに生まれる者たちの未来を変えられるかもしれない。
「だから、スオウ様」
そんな希望のために、彼女は己を差し出す。
「どうか三界を支配なさってください。私はその礎になりたいのです」
真龍は義理堅い。
龍玉を渡せば、こちらを攻めてくるようなことはないだろう。地盤固めさえ出来れば、もし真龍が改めて敵となることを決意しても、なんとでもなる。
いまは、いまだけは戦を避けなければならない。
エリはそう力説した。
「なるほど、なるほど、なるほど!」
そのエリに反応したのは、明晰な頭脳を誇るスズシロでもなければ、スオウを補佐し、導くことを役割とするハグマでも無かった。
それは、金の髪を振り立てる、美しい女性であった。
「でしたら、簡単ですわ。実に簡単ですわ」
黒銅宮の宗家の姫、ユズリハはその美しい声に実に楽しげな色を乗せ、一方で優雅に手を打ち合わせていた。
「エリさんも、殿下も一言おっしゃってくだされれば、全て解決ですわ!」
「……一体何を?」
まるで祝福でもするかのような勢いのユズリハに目を丸くして、エリが尋ねる。他の者も、正直なところ、黒銅宮の姫の行動をいまひとつわかってはいなかったはずだ。
ユズリハはさすがに手を打つのはやめて、こう告げる。
「エリさんは、殿下にこうお言いなさいませ。『勝って私を手に入れてください』と」
それから、彼女はスオウに向き直る。
「殿下は我々にこう命じなさいませ。『我が妃を守れ』と」
それから、彼女は高らかに、全員に向けてこう言い放つのだった。
「それで全ては片付きますわ!」
†
会議の場に落ちた沈黙を破ったのは、ばりばりと紙を引き裂く音だった。
かなりの枚数を重ねた紙を一気に引きちぎり、細かい切れ端に変えながら、なぜかスズシロは満面の笑みを浮かべている。
「まったく、参謀泣かせですね」
晴れ晴れとした声で彼女はその切れ端を放り投げた。
まるで、花吹雪のように広がり、すぐに床に落ちていくそれを眺め、彼女はくすすくすと笑った。
「全部、やり直しです」
彼女が捨て去った書類に何が書かれていたか、知る者はスズシロとヌレサギの二人だけ。
そして、スズシロが話すわけもなく、ヌレサギは口を開かない。
ソウライを放棄し、ひたすら生き残ることに賭けようとする策は、完全に放棄された。
「すまんな」
スオウが頭を下げる。
彼はわかっていたのだ。
ユズリハの提案を真剣に検討していた自分に。そして、そのことが表情に出ていたことに。
たとえわずかなものであったとしても、スズシロならばそれを読み取ってしまうことも、また。
「殿下。それは悪しうございますな」
昔々、とある将軍が、少年と青年の過渡期にあったひねくれた子供に注意していた時とまるで同じ口調。
久しぶりに聞いたハグマのそんな言葉に、スオウは思わず苦笑する。
当然のようにこの老将もわかっている。彼ほど魔族の行動原理とスオウの性格を知悉している者もおるまい。
だから、わかっているのだ。
ユズリハの言葉の通りであると。
彼らは、カラク=イオの軍人である前に、皇太子親衛旅団の一員なのだから。
「ありがたいぞ、皆」
感謝の言葉を、皆はおごそかに受け止めた。
唯一、話の流れに取り残されたように固まっているエリを除いて。
「それから?」
「言えと?」
従姉が促すのには、彼は抵抗しようとした。なにを言わせようとしているかは、はっきりしているのだ。
「太子様! お妃様が不安がってますです!」
しかし、カノコにまで言われては、スオウも諦めるしかない。
だが、それでも、なんとか彼はそれなりの言葉をひねり出した。
「では、皆に命じる。俺のために生き、俺のために死ね」
魔軍全員が揃って頭を垂れる。
言うまでもなく、親衛旅団の生死はスオウのものだ。
だが、それを改めて命じられることにも確かな意味がある。
「エリ」
魔族たちが揃って礼を示している間に、彼はその額に宝玉を持つ少女に真っ直ぐ向き合った。
「エリ」
「は、はい」
もう一度名を呼び、彼女が戸惑うように応じるのに苦笑する。
「エリがその命をかけて、真龍との戦いを止めようとしてくれたことには、感謝の念しかない。三界を制覇するのに、犠牲を厭うわけでもない」
それから、彼は照れたように手を動かした。
「だけどなあ、エリ。お前は俺の婚約者だ」
情けないという風に彼は首を振る。
「先ほど俺自身がユズリハに気づかされたことではあるが、俺はお前と婚約している」
「でも、それは」
「エルザマリアが云々とかいう話はよせ。俺は、お前を娶ることを皆の前で約束した。俺とお前の二人で誓った。それが事実だ」
ぐっとエリは喉を鳴らす。
スオウの言うことを否定するだけのものを、彼女は持っていなかったから。
「だからな、言わせてくれ。いまは、俺のために生きてくれ」
俯いてしまうエリの手に、あたたかなものが乗る。スオウの掌に包まれているのだと知っても、彼女はなにも言えなかった。
「死に場所は、時が与えてくれる。そんなに急ぐな」
「……はい」
その答えは、発せられるまでずいぶんと時間のかかったものであったし、細く、消え入りそうな声ではあった。だが、それでも、否定を示してはいなかった。
「もちろん、お前たちもだ。死に急ぐことは許さないからな」
「もちろんです!」
「お前が一番危ないんだからな」
元気に応じるカノコに釘を刺し、スオウがスズシロのほうを見る。
「ユズリハの言った通りに、ちゃんと言えばいいものを」
まあ、いいでしょう、とスズシロは諦めたように続け、そこで顔を引き締めた。
「この戦、勝ちますよ」
ざわり、と声にならぬ声が漏れる。
スズシロがそんなことを言おうとは、誰も思ってもみなかったからだ。
「どんな汚い手を使おうと、どれだけ恥辱にまみれようと、我々が勝ちます」
この瞬間、彼女は参謀たることを棄てた。
冷静な判断では勝てぬことを自ら認め、情熱をもってそれを補うしかないと思い定めたのだ。
それは、冷徹に物事を分析し、それに対して取り組んできた彼女に取って大いなる敗北である。
だが、いまは。
「勝つしか、ないのです」




