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星を数える仕事をしています ~閑職と笑われた最後の天文台守、消えた国を描き戻す旅に出る~  作者: 有馬 茶
第1部「星落ちの夜」

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第5話 閑職の意味(前編)

閑職とは、誰がいなくなっても困らない仕事のことだ。

少なくとも、王都から来たその男は、そう信じていた。

自分の故郷の星が、消えかけていると知るまでは。

 

ハロウの星送りから、五日が過ぎた。

その五日間で、リオの暮らしは、すっかり変わってしまった。

朝、山道を下りると、井戸のそばで子どもたちが待ち構えている。

「リオだ!」

「リオ、今日も星の話してよ!」

もう、誰も「星数え」とは囃し立てない。

トビとリリの兄妹は、リオの両手にぶら下がって離れない。

パン屋では、マルタが黒パンを五つも籠に詰め込んでくる。

「代金? いらないよ、そんなもん」

「いえ、でも……」

「いいから持っていきな。あの光る子にも食べさせておやり」

窯の前で、ヨハンが黙って親指を立てた。

広場を通れば、知らない大人たちが頭を下げてくる。

「天文台の坊主、この間はありがとうな」

「うちの婆さんが、わしの名前を思い出してくれてな……」

リオは、そのたびにどぎまぎした。

どう答えればいいのか、わからない。

一年間、誰にも名前を呼ばれずに過ごしてきたのだ。

感謝される方法なんて、誰も教えてくれなかった。

「……今日は、三十七人」

山道を登りながら、リオはつぶやいた。

「なにが?」

隣を歩くステラが、首をかしげる。

「名前を、呼ばれた数です」

「リオ、かぞえてたの?」

「……数えないと、落ち着かなくて」

ステラは、くすくす笑った。

「わたしは、ね。にじゅうさん」

「え」

「『ひかるおねえちゃん』って、よばれたかず」

ステラは、町の子どもたちにすっかり懐かれていた。

夕暮れになると淡く光る、不思議なお姉ちゃん。

子どもたちにとって、それは怖いものではなく、ただ素敵なものだった。

五日前の夜。

生まれ直した星の下で、ステラも一緒に泣いていたのを、町じゅうが見ていたから。

子どもたちには「ひかるおねえちゃん」と呼ばれるほうがいい、と本人は言う。

そっちのほうが、かわいいから、と。

 

変わったのは、町の人々だけではなかった。

三日前には、ハロウの領主その人が、天文台まで登ってきた。

ミラの父、バルトロ・ハロウェル。

恰幅のいい体を揺らし、汗を拭き拭き、山道を登ってきたのだ。

「天文台守殿」

領主は、リオの前で帽子を取った。

十五歳の子どもに、深々と頭を下げた。

「先日の通告は、撤回する」

「……え」

「手当ても、これまで通り出す。いや、これまで以上に出す」

「わしは、娘の名前を呼べなかった」

領主の声が、かすかに震えた。

「あの朝のことは、生涯忘れん。……忘れたくない」

後ろで、ミラがそっぽを向いていた。

耳まで、髪と同じくらい赤くなっていた。

――天文台は、守られた。

その夜、リオは観測録に、そう一行だけ書いた。

書いたあと、しばらくペンを持ったまま、動けなかった。

祖父に、伝えたかった。

おじいちゃん。天文台、なくならなかったよ。

おじいちゃんの仕事は、何も残らないなんてこと、なかったよ。

天窓の向こうで、ハロウの星が、明るく瞬いていた。

 

 

 ・ ・ ・ ✦   ・ ・ ・ ✧   ・ ・ ・ ・ ✦   ・ ・ ✧   ・ ・ ・ ✦ 

 

 

その男がやって来たのは、八日目の昼過ぎだった。

最初に聞こえたのは、蹄の音だった。

山道に、馬の蹄が響くことなど滅多にない。

リオが窓から覗くと、三頭の馬が天文台の前で止まるところだった。

先頭の馬から、ひとりの男が降り立った。

灰色の外套。

胸に縫い取られた、王家の紋章。

四十がらみの、痩せた男だった。

細い銀縁の眼鏡の奥で、鋭い目が天文台を値踏みしている。

後ろの二頭には、腰に剣を下げた兵士が乗っていた。

その後ろから、息を切らしたミラが、徒歩で追いかけてくるのが見えた。

「……リオ」

台所で豆の皮をむいていたステラが、顔を上げた。

「だれか、きた」

「……はい」

リオは、扉を開けた。

男は、リオを頭のてっぺんからつま先まで眺めた。

それから、薄い唇を開いた。

「北の天文台の、天文台守か」

「……はい。リオ・アステルです」

「子どもではないか」

男は、眉ひとつ動かさずに言った。

「先代は」

「祖父は、一年前に亡くなりました」

「そうか」

それだけだった。

お悔やみの言葉も、何もない。

男は、外套の内側から一通の書状を取り出した。

王家の紋章の封蝋が、陽を受けて赤く光る。

「王立記録院、監察官。エドガー・クレインだ」

「国王陛下の名において、通達する」

書状が、広げられた。

「北の天文台を、本日をもって廃止とする」

「所蔵する星図、観測録、その他一切の記録は、王立記録院が接収する」

リオの頭の中が、真っ白になった。

「……え」

「聞こえなかったか」

「でも、天文台は……領主様が、撤回を……」

「領主の通告は、領地の手当ての話だ」

クレインは、書状を畳みながら言った。

「これは、王命だ。領主の権限の外にある」

ようやく追いついたミラが、肩で息をしながら叫んだ。

「待って! 父様は、ちゃんと王都に手紙を出したわ!」

「天文台は、ハロウに必要だって!」

「その手紙なら、読んだ」

クレインは、ミラを一瞥した。

「地方の迷信に、王国の予算は割けん」

「迷信なんかじゃ……!」

「星が消えると町が消える、だったか」

クレインの口元が、わずかに歪んだ。

笑ったのかもしれなかった。

「流行り病の一種だろう。物忘れの病は、どこにでもある」

ミラが、唇を噛んだ。

リオは、拳を握りしめていた。

「……どうして、星図を持っていくんですか」

声が、震えた。

「星図がなくなったら、誰が星を……」

「星は、誰が数えずとも空にある」

クレインは、淡々と言った。

「王国にはかつて、十二の天文台があった」

「二十年のうちに、十一が廃止された」

「星図はすべて、王都の書庫に収められている」

「ここが、最後のひとつだ」

最後の、ひとつ。

リオは、その言葉を胸の中で繰り返した。

知らなかった。

祖父は、そんなこと、一度も教えてくれなかった。

自分が――この世界で、最後の天文台守だったなんて。

「星を数えるだけの閑職に、王国の金は出せん」

クレインは、天文台の円屋根を見上げた。

「記録は、書庫で眠っていれば十分だ」

「誰も読まずとも、失われはせん」

「……誰も、読まなかったら」

リオは、小さく言った。

「それは、失われたのと同じです」

クレインの眉が、初めて、ぴくりと動いた。

けれど、それだけだった。

「今夜は、ここで目録を作る」

男は、兵士たちに手で合図をした。

「明朝、星図を積んで発つ。用意をしておけ」

兵士たちが、馬から荷を下ろし始める。

空の木箱が、いくつも。

星図を詰め込むための、箱だった。

リオは、動けなかった。

祖父の星図。

何代もの天文台守が、書き継いできた夜空。

「ルミナ」の名が記された、あの最後の頁。

それが、明日の朝には、遠い王都の書庫の暗がりへ消える。

誰にも読まれず、誰にも呼ばれずに。

そのとき、リオの袖を、誰かが引いた。

ステラだった。

いつの間にか、台所から出てきていた。

フードもかぶらず、銀の髪を陽にさらしたまま。

ステラは、じっとクレインを見つめていた。

夜空色の瞳を、細めて。

何かを、見透かすように。

「……リオ」

ステラが、小さな声で言った。

「あのひと」

「……え」

「あのひと、すこし、うすい」

リオは、ステラの視線の先を見た。

灰色の外套の、痩せた監察官。

陽の光の中に立つ、その輪郭が。

ほんの一瞬だけ、霧の向こうにあるように、滲んで見えた。

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