第九章
夕方も過ぎた頃、復旧した宮殿の廊下を灰司がのそのそと進んでいった。
薄暗い遠くで、何かが横切った気がした。
構わずにいると、生暖かい手を、後ろから肩に置かれた。
振り向くと、さっと黒い影が、物陰に隠れる。
「……楽しい悪戯だなぁ」
猫背のまま、灰司は構わず進んだ。
客間の一つで、汽示那と維砂理が立っていた。
入る前に、ドアのない入口の壁に、紅愚が寄りかかって灰司を待っていた。
彼は、青年を連れて、二人の前に現れる。
「どうしました、そちらからのお呼びとは珍しい」
灰司は挨拶もなく、尋ねる。
「五都市連合のことだよ。なかなか良い汁吸ってるらしいな?」
維砂理が皮肉に嗤った。
「ああ、あの連中ですか」
興味もないという風な灰司だ。
「帝国復興したら顧問機関になりたいとか、笑わせてくれる」
「そのつもりですが?」
「ならどうして、五都市の皇帝を僭称した流離羽に大量に資金を渡している? ついでに支社も作るそうじゃないか」
「それが何か?」
灰司はまったく動じた様子もない。
「……皇帝はウチの汽示那がなるんだろう? そこでの顧問機関なんだろう? それともおまえら灰弛館はただの安っぽいコンサルなのか?」
灰司は本社の維縞開発会社から独立したとき、自身の会社を灰弛館と名付けていた。
そういうことですかと答えた灰司は、一つうなづくと言う。
「つまり、私は大陸の統一に一役買ったというわけですよ」
「何だと?」
一つ、あくびをした灰司は、ニッコリとした笑みを浮かべた。
「乗りますか、汽示那閣下?」
意味深な視線を受けた汽示那は、こちらも負けずにぼんやり超然としていた。
「いやぁ、楼詞宮の復活しか興味ないから。あくまで俺は、この遺跡を守ってるよ」
「そうですかぁ」
灰司は残念そうだった。
流石は、楼詞宮の守護神だ。頑なである。
汽示那がここから離れないのは、最後の皇帝との関係があった。
見ていれば、何を考えているかわからない上に、奇行も酷い汽示那を認め、見出し、兵を与えてくれて引き立てたのは、皇帝である詫雅佳である。
それまで、流浪の傭兵だったが、彼が落ち着ける場所をとなにくれなく世話してくれた。
汽示那は、彼を裏切れないでいるのだ。
「……楼詞宮の復興ですが、妙なものを発見しましてね。調査班が解析した結果、とんでもない事実が出てきました」
「なんだね?」
「楼詞宮の住民は、皆、帝国が滅んだ時には、電影となっているのですよ。一部、いやほぼ彼らは今いる人々の「影」に潜んでいるのです。影が生活する空間というものが存在し、彼らは未だに生きている」
維砂理は、その言葉に呆然となったが、汽示那は面白そうに笑んだ。
「つまりわが社は羽離流を通して、帝国の遺民たちを助けているのです。そして、最後の皇帝詫雅佳は親衛隊とともに未だどこかで存在しています」
「これはまた、何という朗報か」
汽示那の目が輝いた。
彼は、詫雅佳のために生きているといっても過言ではない。それが、未だにどこかに居ると聞いて、喜ばないはずがなかった。
「羽離流が皇帝になったのは、まだ諸都市国家群が力を持っているからに過ぎません。暫定的な段階の地位です」
「どこにいる、陛下は!?」
「わかりません」
「それでもいい。いずれ自らおいでになるだろう!」
「ええ。私もそう思います」
維砂理は考えつつも、汽示那の興奮を冷静な目で見ていた。
のん気なものだ。
良いように転がされている。
「で、サン=フールの立場は?」
彼女が尋ねると、灰司は顔を向ける。
「一度、集めて調査します。彼らが何か持っているかもしれませんから」
維砂理はうなづいた。
「こんなに暇とは思わなかった」
ホテルの珂露の部屋を訪れて、瑞稀はぼやいた。
サン=フールとテラスカの撃滅といったが、しばらくは情報収集が必要で、彼女ら実戦部隊は未だに待機である。
一方の珂露は文句ひとつ言わずに、黙々と日常を過ごしていた。
彼女がソファでぼんやりとペーパーヴィジョンを眺めているとき、横で意外そうな気配がした。
見ると、いつの間にか、珂露がまるで氷と清水で解いたかのように輝く刃の刀を持っていた。
「……どしたの、それ!?」
「もらった」
「いや、どこから!? 誰から!?」
「あー、昔の恩人、かな?」
「珂露、使えるの? 刀なん」
漆塗りの鞘に刀身を納めて脇に置くと、誇らしげに鼻を鳴らす。
「むしろ、得意だ。以前はよく振るってたから」
「へぇ……」
まぁ、いいけどと、瑞稀は落ち着きを取り戻した。
突然、珂露の携帯通信機が鳴った。
通話にでると、相手は遼嘉だった。
「テラスカが、おまえらイカヅチを狙っている。気をつけろ」
「……理由は?」
「反楼諷宮分子と確定されたそうだ。狙っているのは、亥事真と笹樹慈という二人だ」
「連絡どうも。どうにかするよ」
一旦、切った珂露は立ち上がった。
ドアまで行くのを目で追った瑞稀もようやくその背を追った。
「どこ行くん?」
「羽離流のところ」
短く言って廊下にでる。
彼らは一般より少し高い部屋をあてがわれているが、羽離流のところは最上階のスィートルームだった。
五都市の皇帝となった彼女だが、朝から窓辺で森を静かに眺めて要る様子で、客も秘書もいなければ執務なども行っていない。
まだ仕事の時間ではないのだろうか。
「ああ、君たちか。おはよう」
爽やかにその場で挨拶してくる。
「遼嘉から、沙深を超えて警告が来た」
珂露の口調はいつもどうり、ぶっきらぼうなものだ。
「それなら、私のところにも来ました。で、どうしましたか? 君たちが処理する案件だとおもうんですけども」
「それはそうだが、良い話がある」
羽離流は小首を傾げた。
どうぞと、先を促す。
「……テラスカを潰すのに、サン=フールを使えないか? というか、味方にできないか?」
「サン=フールで、テラスカを潰す?」
流石に、羽離流は考えている様子である。
「このままじゃ、あんたの部下が争い合って自滅することになるだろう?」
彼女は少しの間難しい顔をしていたが、すぐに表情が和らいだ。
「珂露、あなたは相当な策士ですね」
耐えられないという様子で、可笑しそうにくすくすと笑いを漏らして続けた。
「その代わり、あなた方にも協力していただきます」
珂露は少し気分を害したように押し黙った。
「……まぁ、しょうがないよね」
瑞稀が肩に手を置いて、ニヤニヤしつつ言う。
言外に、余計なこというからだという、蔑んだものを含ませて。
舌打ちしようとしてやめて、代わりに息を吐く。
羽離流は、その場で携帯通信機を使った。
声と顔の映像で連絡先が映る。
どこか、ぼんやりしたところのある、猫背の中年男だった。
『どうも。おどう呼びますかね?』
彼は困った風でもなく挨拶代わりに聞いてきた。
灰司だ。
「とうとでも。それよりも、テラスカが邪魔になる頃かと思いましてね」
挨拶もないのは、相変わらずだ。
『あー、連中ですか。邪魔なのは、あなたじゃないんですかね?』
「お互いさまですよ。なにしろ、今テラスカを支援しているのは、維縞社なんですから」
『よくご存じで。なら、問題ありませんよ』
あっさりと、灰司は同意した。
「こちらからは二名出します」
『なるほど。ならこちらはその二人の知った一名を出しておきますよ』
人数から見ると、随分とテラスカも舐められたものだと感じる。
楼詫宮至上主義を掲げる政治結社のテラスカは、半ば政党として、各都市で勢力を持っていた。
代表は、孤儀徒という。
確か、電影師でも銃拳師でもない、デマゴーグの青年だったはずだ。現在、潜伏中で居場所を把握している者はいない。
『では、あとは本人たちにやらせますよ』
灰師は言って他にご用はと尋ねたが、羽離流は無いと答えて通信を切った。
「あとね、どこかの誰かがイカヅチ狩りをしている。気をつけてね」
彼女は、二人に言った。
丁度、ニュースを流しっぱなしのペーパーヴィジョンで、特集が組まれているのが三人の注意を引いた。
五都市のいたるところで、電影を使う者に異常が診られているという。
具体的な話を耳にする前に、珂露と瑞稀は自分たちの部屋に戻った。




