第五章
ベッドで寝ていると、急に顔面に手を置かれた。
「ちょっと、おきてよ」
脇から、瑞稀の声がした。
珂露は正直に身体を起こそうとするが、顔を抑えられているので上手く行かない。
「……無理言うな。手をどけろよ」
「足の方が好みだった?」
「マニアックだなそれ」
手が離されると、部屋着のまま寝ていた珂露は、ベッドに座る格好になった。
「で、何なんだよ?」
夕刻近い時間だ。不規則な珂露は寝たいときに寝る癖がある。
軽くあくびをして、返事を待つ。
瑞稀は大きく開いた、珂露の口に指を入れようとする。
速攻で、払う。
「ここさぁ、あたしの家にするから、どっか寝床見つけて」
「……舐めてんのか?」
「やだよ、気持ち悪い」
「そっちじゃねぇ」
珂露は息を吐きながら、瑞稀を睨むようにする。
「理由もないのに、自分チから出ていくわけねぇだろ」
瑞稀は軽く首を傾げるようにしつつ、目を伏せて彼のそばから離れた。
この建物は、珂露の自宅兼事務所兼宿舎だった。
「珂露は電影の話で忙しくなるでしょ。それに、こっちもイカヅチの件でかなり大変になるの。正直、邪魔なんだよね」
振り向いて意地の悪い笑みを浮かべる。
珂露はじっとその顔を見つめた。
また落ちている。
少女は、感情の起伏が激しく、情緒が不安定な時があるのだ。
今、確実に気分が悪い方にいっているのだろう。
珂露はいつもと変わらない態度を取った。
「……邪魔はおまえだ」
「ひと様を邪魔とかいうな」
「言い出したのは、俺じゃない」
「いいから、出てってよ」
「家賃出すから住まわせろ」
「……何それ?」
「ついでに、依頼としてイカヅチの件は請け負うから、その依頼料でチャラな」
瑞稀は一瞬、呆けたように口を開けた。
そこに、今度は珂露が指を突っ込もうとする。
「あーもー!! いいよ、好きにしなよ!!」
手を上から叩いて、瑞稀はそのまま部屋から出て行った。
狙い通りだ。
珂露は一つ息を吐いてから、小さく笑った。
中心部にある小さな喫茶店だった。
夕食か朝食わからない、サンドイッチを食べに、二人は来ていた。
携帯通信機で、遼嘉に連絡を入れていた。
映像はないが、芯の硬そうな、それでいてなめらかな青年の口調だった。
『わざわざ、私の許可を取ろうとはね』
彼が出た一言目に、キダラを潰すと宣言した珂露だった。
「あなたの管理下にあると思いましたので」
『話にはきいているぞ、珂露。あの汽示那相手にかましてやったそうじゃないか』
「そんな時もありましたね」
いきなりの話題替えにも慌てることなく、やんわりと返す。
『どうだ、珂露。私のところで働かないか?』
「……沙深のこともありますので、考えさせてもらいます」
『そうかそうか。おまえは若いし面白い。これからは遠慮なく私を頼ることだ』
「キダラの点は良いので?」
『奴らもおまえに潰されたのなら、それまでのモノででしかない。自由にやっていい』
冷たい言葉だが、印象としてまったくそれを感じさせない、遼嘉だった。
珂露は気にもしないで通話を切った。
「何か、ひどい人だなぁ」
目の前に座って、会話を聞いていた瑞稀は反感を抱いたようだ。
「多分、試されてるんでしょ、俺。相手がキダラというのは、遼嘉がけしかけたんじゃね?」
「どして? テラスカと繋がってるなら、キダラを取り込んでおいたほうが徳なんじゃないの、ああいうタイプの人たち」
珂露は軽く笑っただけで、何も答えなかった。
紫煙に満ちた赤い壁の部屋は、半裸の男女があっちこっちで横になっていた。
模戯は、龍をモチーフにした仮面を首から垂らし、ソファーに寝転がって煙管を咥えている。
やせぎすで、中背。両腕には龍のタトゥが彫られている。
やや長めの髪はおさまりが悪く、ぼさぼさに見える。
キダラのリーダーの姿がこれだった。
歳は二十三歳。
いくつかの街道を実力で占拠し、そこからの収入で勢力を伸ばしたのがキダラだった。
中核のメンバーは十人で、増えた人数は二百人にのぼっている。
模戯は元々、都市国家・杜鸞にいた没落した都市貴族の息子だった。
彼は小さいころから匪賊の仲間に入り、キダラを立ち上げると、あらゆる都市と楼詞宮の重要街道を何本か手に入れた。
おかげで、旗爾という少年を介してテラスカと関係が出来た。
遼嘉の元に入ったのは、いい加減、拠点のようなものが欲しかったからだ。
特に、遼嘉が気に入ったわけではない。もっと言えば、マシだったというべきか。
口から煙管を離して、煙を吐く。
いつ終わるのか。
杜鸞で育った頃の知人はほとんど、都市貴族としてエリートコースに進んでいた。
模戯は孤立するだけならともかく、彼らから酷く侮蔑された扱いを受けていた。
今や、そいつらを困らすことを生業にしている。
だが、こんな程度では、鬱積は晴れないのだった。
いずれ、五都市を巻き込んでデカいことをしてやる。
彼にとっては常に頭の中にある、一種の慰めの言葉だった。
だが今は、やることが一つある。
珂露と瑞稀という、ガキ二人を殺すのだ。
簡単な仕事だろう。
模戯は、瓶に入った酒をラッパ飲みしようとしたが、顔に思い切り中身を被ってしまった。
ヘラりと、力ない笑いをして、瓶を壁に向けて放り投げる。
粉々になって辺りに中身をぶちまけたが、誰一人反応するものはいなかった。




