第十二章
灰弛館の建物で灰司は執務室の机を前に、膨大な資料を山と積んでいた。
古文書を繰る指は一定の時間通りに動き、無表情なまま、次々と調べ上げてゆく。
「……やはり……」
彼は立ち上がり、廊下にでて携帯通信機で連絡を入れてから地下のラボに向かった。
深夜で薄暗い中は、当直が数名いるだけだ。
壁際にある十字架状の鉄板に電影が数体、鎖で掛けられていた。
彫り出した数のうち、すでに二体だけになっていた。
「お呼びですか?」
斜め後ろに、長身の赤愚が立った。
「調子はどうです?」
「そこそこというところですか」
「ふむ。良いでしょう」
「で、これは?」
「ああ、あわよくばのちょっとした実験をしてみようと思いまして」
灰司は当直の技官に細かな命令を与えていった。
コード類が多数接続されている十字架が、わずかな唸りを上げ始める。
「……一つ、物語があるのです。旧楼詫宮帝国が滅ぶ時の出来事ですけどね。影を統べることによる帝国の政治に絶望を感じた皇帝は、自らの能力と人間としての本質てきな部分に身体を分けたそうなんです」
「真っ二つに割ったりしたんですか?」
「いえ、そういうわけじゃ」
灰司は苦笑した。
「冗談です。皇帝が二つの電影になったということでしょうか?」
「電影の帝国です。技術も相当なもの。可能性があるのです。まぁ、そこでこの電影なんですけどね」
技師をちらりと見てから、視線を電影にもどす。
「分離する前の皇帝のあらゆるデータを入れてみました。動かすのは、初めてですよ」
「一体どうするおつもりで……? まさか、五都市と……」
言い淀む紅愚に対して、灰司は二コリと笑んだ。
「まさか。そんな面倒はしません。むしろ協力するんですよ」
「協力?」
「ええ。どこかで生きている旧皇帝という者は、今の大陸にとっては脅威以外のなにものでもないですからね」
では一体?
司灰はまだわからないという風な紅愚に、言って見せた。
「晒すんですよ。死体を」
紅愚は驚いて声も出なかった。
そんな彼を無視し、灰司は技師に次々と指示をだす。
多数の配線のところどころで漏電した光が瞬く。
俯いていた電影が、急にもだえだした。
しかし手足は十字架に縛りつけられているので、ろくに動くことができない。
「……旧帝国の電影技術では、それぞれスペアを造ってそれに本人が入ったりしていたそうです。十二号と呼んでますが、これは、皇帝のスペアを再現した電影です」
冷静に灰司は説明する。
その時、横で磔にされていた電影が、身体をよじりだした。
灰司は技師に目だけで説明を求める。
「……九号に侵入者です。十二号を媒介として、別のモノが入り込もうとしています」
淡々とした答えが返ってくる。
「危険度は?」
「非情に危険です」
「紅愚」
次の瞬間、銃声が数発轟いた。
九号と呼ばれた電影は弾丸を四発、顔面と胸部に喰らい、だらりと身体を吊り下げた。
紅愚が拳銃を抜く間も、ホルスターに納める間も、灰司には見えなかった。
もう紅愚はまるで何事もなかったかのように、関心を十二号に向けている。
灰司も、同様にした。
電影ののっぺりとした何もない真っ黒の顔が歪み、狐のお面のような形が浮かび上がってきた。
「……ふふふ、わざわざありがとう。これで、俺は自由だ」
十二号の足元に影が伸びて、四枚が広がる。
「接続を切れ!」
灰司が叫ぶ。
紅愚は両手に拳銃を握っていた。
いきなり、電影の十二号はガクリと力をなくした。
狐の顔も無くなり、ただの電影だけが残っている。
「……甘かったようですね」
珍しく悔し気に灰司が呟く。
紅愚は、動かなくなった電影の頭部を狙って拳銃を二発撃った。
「……念のためですが」
「ありがとうございます」
灰司は息を吐くと、もういつもの飄々とした態度に戻った。
「さわらぬ神だったのかもしれませんね」
まるで吐き捨てるようなセリフを吐いた。
だが、それで終わりではなかった。
頭に弾丸を喰らった電影の身体中の各所から閃光のような漏電が起こった。
技師が見ていたディスプレイに、怒涛のような検査データが流れ込んでくる。
「これは!?」
彼らは、驚き椅子から腰を浮かせて電影に顔をやった。
灰司と紅愚は、不測の事態に思わす後ずさっていた。
電影がゆっくりと、起き上がった。
一歩、足を出す。
繋げている鎖は、全て砕けていた。
紅愚が再び拳銃を手にする。
変化しながら素早く動いた電影は、紅愚の腕の下に自分の腕をいれて足を掛け、そのまま身体を伸ばして押し倒した。
狐の面に、強化繊維の民族衣装を来た男が両手に拳銃を持ってそこには立っていた。
床の紅愚に拳銃を撃つが、彼は身体を転がして何とか避けた。
「バカな、貴様は藍衣照ではない!」
灰司が思わず叫んでいた。
「あー? 以前の皇帝陛下か?」
せせら笑うような声だ。
杜戯は、立ち上がろうとする紅愚をそのたびに弾丸でけん制して、動けないようにした。
「ほれ、そこにいるじゃねぇかよ、藍衣照は」
後方の十字架にかけられた力無くした電影を軽く顎で示す。
「なん、だと……?」
灰司は完全に我を失っている。
「よく俺の言う通りにしてくれたよ、灰司さん? どこにいるか探してたんで、見つかって感謝してるぜ?」
「……では、あの文章は!?」
「俺だよ」
杜戯はニヤニヤしながら言った。
素早く腕を動かし、技師たちをたちどころに撃ち殺す。
「ご褒美に、苦しまずに殺してやるよ」
杜戯は灰司に拳銃を向けて、数度、引き金を引いた。
彼の身体は後方に吹き飛び倒れ、血が床に広がっていった。
ドアが開いた。
中に入って来たのではない。
出て行ったのだ。
紅愚が。
杜戯は、鼻を鳴らした。
「まぁ、あいつもあいつで頑張ってもらうか」
一つ、呟いて杜戯はラボの機器に銃を乱射して破壊した。
苦しい。
また影が瑞稀に覆い被るようにして、上から首を絞めつけている。
あらゆる記憶が後悔の元になり、全てが彼女を非難する。
悲鳴も上げられないほどだ。
何時までこの影に苦しめられるのだろう。
絶望が絶望を呼び込んで、瑞稀は眉間のシワを濃くした。
「バカな!?」
唐突に珂露が声をあげたために、瑞稀は目を丸くした。
「ビックリしたぁ!」
「あ、ごめん……」
瑞端の気分が落ちているようなので様子を窺いにきた珂露が、ベットの彼女に目をやったとたんのことだった。
謝罪の声がかすれていた珂露だったので、瑞稀は上体を起こした。
「大丈夫?」
「……ああ」
「顔が青いよ。ちょっとこっち来て座りなよ」
瑞稀はベットの端に腰かけて、微笑みながら横を手で軽く叩いた。
彼女の影はすでに普通にベットの上にあった。
珂露は遠慮なく座った。
「いままで、俺は一つの電影を護って持っていたんだ……」
力なく、喋り出す。
「ん、なんかあるなとは思ってたけど」
「それが、奪われた上に、殺された」
「……なにがあったの?」
「わからん。ただ、俺は楼託宮帝国の最後の皇帝、藍衣照陛下を電影として持っていた。別に復活させて帝国をどうこうしようという話にするつもりはなかった。ただ、彼を逃がそうとしていたんだ。だが、どこかにいって、消えてしまった」
珂露の話に驚きもせずに瑞稀は聞いていた。
「きっと、役割を終えたんだね、珂露は。次は、仇だね」
追及することなく瑞稀がいうと、珂露はうなづいた。
珂露が表に出なかった理由は、藍衣照だったのだろう。
彼は非力で小さく見えていた。
自身や存在の意義も、同じだっったのだ。
彼も影を抱えていた。
それも誰にも言えないようなモノを。
史海の話もある。
瑞稀は珂露の頭を優しくなでた。
「よしよし。それじゃあ、ちょっと早速、流羽雨のところにいこうじゃないか」
「あ、ああ」
珂露は抵抗することなく、ゆらりと立ち上がった。




