第十一章
孤儀徒は掃除して整理された社長室にいた。
ソファに座り、横には亥事真が立っている。
目の前には、出されたワインを上機嫌で味わう青年がテーブルについていた。
遼嘉だ。
電影になったはずの孤儀徒だが、いたって普通の人間の姿に見える。
「今回は災難でしたね」
遼嘉は他人事のような口調だった。
「何、反発も出ようというものだよ。覚悟していんで問題はない」
「そういや、羽離流が帝位を降りると言っています」
「……意外だな。せっかく一介の浪人から手にした最高位じゃないか。それを易々とは」
「この際、孤儀徒さんはどうかと思いましてね」
「わたしが?」
ワザとらしく、意外な様子を見せる。
「楼詫宮の文明機器をここまで再現し、都市を戻そうとしたのですから、十分、資格はありかと。我が市はもちろんのこと他の三都市にも打診しましたが、異論はないとのことです」
「ほぅ……」
孤儀徒の自尊心はくすぐられた。
実は丁度、喜びがある分、不安もわずかながらあったという心情だったのだ。
皇帝になれば、人としての地盤も確実である。
「異論はないとはいったが、諸都市の意向をはっきりとしてほしい」
つまり、要請しろというのだ。
遼嘉は、内心苦笑した。
構わない。いいだろう。
「わかりました。では明後日までには、諸都市から使者を集めます」
孤儀徒は鷹揚にうなづいた。
彼が戴冠した日、雨逆の広場では、狐の仮面をかぶった男が、花びらを散らす電影の群衆に囲まれて、二人の少女に張りぼての王冠をかぶせてもらっていた。
杜戯は恭しい態度でそれを受けると、立ち上がった。
紅愚はイラついていた。
怪我は治ったが、維縞本社での無様なやられっぷりは、彼のプライドを傷つけていた。
サン=フールはあそこでほぼ全滅のうめきを見たのだ。
残ったのは、彼一人だ。
しかもあの小娘と小僧、瑞端と珂露といったか。
二人は彼をはるかにしのぐ実力をみせていた。
歯嚙みする。
灰司のところへ行くと、彼はいたって事務的な態度で書類を決裁していた。
「ああ、紅愚。孤儀徒が皇帝になるそうですよ。誰があの都市を旧帝国のまがい物に造りあげたか、気づいているんでしょうかね?」
皮肉も淡々としている。
紅愚にはその報は不快だった。
孤儀徒の使ったテラスカにやられたのだ。
「……放っておくのですか?」
やっと言葉を発す。
「電影の供給元は、我が灰弛館です。ウチの脅威にならないでしょうし、他の都市たちが収まるというなら、問題はないでしょうね」
そして最後に付け加えた。
「収まるわけがないですが」
加えて、彼は続ける。
「あと以前からあった噂というか神話というか。これ、何だと思います?」
彼がペーパービジョンに映し出した手紙を、紅愚は目にした。
『私は楼詫宮皇帝藍衣照陛下の代理人である。我が君主は、偽帝史海を非難する意をもっている。灰弛館は我々が認めた、楼詫宮の技術を継承する組織である。そなたらには、皇帝直々の命として、偽帝を処するように命じる』
「不思議が二つあるのですよ」
やっと顔を上げた灰司は、ペンを指で回しながら、もう一方の手を立てて頬肘をついた。
紅愚も、一体何かという思いだ。
「悪戯かと思いましたが、これ、帝国の国璽の印をつけられているんですよね。調べたら偽造されたものではなく、本物に近いと。つまり、まず、楼詫宮の最後の皇帝である藍衣輝はどこかで生きているんんですよ。そして、偽帝を今度戴冠したウチの元上司じゃなくて、史海とかいう人物だといっているんですね。疑問なんですよね」
面倒くさげな口調だ。
「どうするおつもりで?」
紅愚は訳が分からないので、一応の疑問をぶつけてみた。
「とりあえず、二人の調査でしょうねちなみに、汽示那殿には何も伝えてません。まぁ、愚痴でしたよ。すみません」
灰司は軽く息を吐く。
紅愚は、ふとこの人の目的は何なんだと思い始めた。
楼託宮跡を開発して、一体どうするつもりなのか。
だが、そんなことはどうでもいい。
紅愚には紅愚の思うところがあった。
「で、どうしたのです?」
わざわざ彼から言わずとも、灰司のほうから水を向けてきた。
「……テラスカに遅れを取りました。屈辱です」
「あー、なるほど。サン=フールも壊滅同然でしたね」
またいたって事務的な様子だ。
机に着いたまま上目使いに紅愚を見つめてくる。
「強くなりたいと。方法は一つしかないですが?」
「構いません」
紅愚の決意は硬い。
彼にもプライドがあった。
銃拳師として、一流でいたいと。
それが、瑞端は倒せず、挙句に維縞本社での失態である。
正直、彼の自信はズタズタだ。
「知っていたのですか?」
「最近、あなたの様子は少しおかしかったですからね」
紅愚は何も言わない。
灰司は彼を見つめた。
「元の人間には戻れなくなりますよ?」
「覚悟はできています」
紅愚の決意は硬かった。
「わかりました。あなたの自由にさせます」
うなづく紅愚に、灰司は深く息を吐いた。
分かったといって、灰司は灰弛館にある研究課に彼を連れて行った。
逃亡した影はどこにいるのか。
珂露の最近の関心ごとだ。
瑞端はホテルの彼の部屋で、キャミソールにショートパンツという部屋着のまま、アイスを食べつつ、まったりとしていた。
落ちるかと思っていたが、案外平然としているので、珂露は安心した。
「それにしても、流羽雨はさすがったねぇ」
ふと思い出したといった風に、瑞稀が言った。
「あー、そうだなぁ」
「あっさり雨逆が大人しくなったし、関心も楼詫宮に向けていったし。五都市内で内乱とか起こるかと思ったけど、一切ないってね」
「正直あの人は少なくとも、外交の発想がぶっ飛んでるんだよ」
珂露は流羽雨には、関心というより呆れた様子だ。
再び護民官職についた彼女だが、ただの家柄などでその職にいた訳ではないことは、散々と証明されていた。
様々なニュース等を漁りつつ、珂露は忙しくしていた。
史海はほぼ、地下に隠れているのか、姿をみせていないでいる。
「しかたがねぇなぁ」
珂露は、影を一枚広げた。
次には、そこから一気に十数枚の影が辺り中に飛び出していった。
「何今の?」
初めて見る影の使い方に、瑞稀は驚いたようだった。
「ちょっとした、分散する技」
珂露の反応はそっけない。
「そんなのあるなら、もっと早くやってよ?」
「できたらやってた。今はサン=フールが壊滅状態だからね。あいつらがいた時に見つかったらヤバいんだよ」
「へー、ほー?」
「なんだその反応は?」
言葉だけでムカつくなぁとつぶやき、影たちが散って行くと、ソファにもたれなおす。
「壊滅、言っても紅愚がいるじゃん」
「あれはいい」
瑞稀には、何がいいのかわからなかった。
「むしろ、一体をあいつのところに向けた」
「まぁ、あたしは紅愚とかどうでも良いんだけどー」
「可哀そうなこと言うな。あれでもちゃんと生きているんだぞ」
「珂露のほうが酷いこと言ってるよ」
「そうか?」
「そうだよ」
「ふーん」
だからどうしたといった珂露だった。
ただただ、彼らはだべっていた。
少なくとも、瑞稀は精神的に落ちそうだったので、珂露のいつもの調子は助かった。
「ちょっとさあ、寝るわ」
ソファに身体を倒す、瑞稀。
「あー? 自分の部屋いけよ」
「いーじゃん、たまに」
語尾はもう力が抜けていて、すぐに寝息に変わった。
「早いな……」
珂露は秒でねた瑞稀に苦笑いした。
野外でも風呂がすっかり気に入った汽示那は、深夜、冷気が強くなる時間帯に熱くした湯に入っていた。
おぼろ月の空が汽示那の頭上に浮かんでいる。
「隊長、酒飲んでから入ったでしょう? 死ぬのは勝手ですけど、あとで面倒が起こるのでやめてください」
維砂理が陣営の隅にいる汽示那のところに来た。
「なんなら、この湯に吟醸酒も少し入ってるけどな」
鼻歌を歌うように、汽示那は浴槽の湯を両腕で軽くかき混ぜる。
「通りで酒臭いわけですね」
「いい湯だぞ?」
維砂理は応えずに、陣営の方を軽く振り返った。
「どうするおつもりで?」
彼女が言っているのは、雨逆の孤偽徒のこともあり、灰弛館のことでもあり、そして赤汽隊の今後のことでもあった。
汽示那は、ぼんやりと月を眺めた。
「維砂理よ、我々は所詮、旧帝国の残りカスだ。足場もない生き残りなんてそんなものだろう。
我々は我々の存在によってのみたつんだよ。他の事情なんかどうでもいい。最後まで帝国の傷跡を大陸に残してやろうじゃないか」
赤汽隊は滅びる。
彼はそう言っているのだ。
維砂理は、同じ月に目をやった。
「傷跡、ですか」
「ああ」
「……そうですね」
もう、彼女は何も言わず、だまって陣営に戻っていった。




