第75話:激闘(2)
二〇二六年、六月下旬。駒沢オリンピック公園体育館。
EMPによって機能を停止した照明に代わり、リングを照らすのは格闘家たちの機体から漏れ出す「マブイの燐光」と、バシュタールの銀色の装甲が反射する鈍い月光だけだった。
「嵐さん……、身体が……!」
暗闇の向こう、バシュタールに溶接された佐藤の呻きが、アリーナの静寂を切り裂く。だが、その凄絶な光景を背に、第二のリングでは「査定」という名の死の野試合が強行されていた。
第二試合 木村 対 田村。
木村が『隼Mk-II』のモーターを過負荷状態で唸らせ、リングへ上がった。対する田村は、バシュタールの磁界によって姿勢制御を狂わされながらも、小川譲りの重厚な「アース」の構えを崩さない。
「木村さん、イップ老師の『マブイの位相』は見えましたか」
「ああ……遠すぎて目眩がしたよ。だからこそ、ここで立ち止まるわけにはいかねえ」
木村の声は、死線を前にした武人の鋭利さを帯びていた。隣で仲間が捕らわれている極限状態。その怒りを、彼はすべて『隼Mk-II』の駆動トルクへと転換した。
「始めッ!!」
木村が爆発的に潜り込んだ。詠勝拳特有の最短経路の踏み込み。だが、田村の指先が、接触するより早く木村の肘を捕らえようとする。
(早い……! 人工筋肉が火を噴く前の、微かな電圧降下を捉えたのか!?)
木村はあえて捕捉を許し、接触の瞬間に『隼Mk-II』の全振動子を異なる位相で爆発させた。不協和音の連環拳。
ガガガガッ、と。
暗闇の中で、二人の装甲が激突するたびに散る火花が、刹那の閃光として互いの顔を照らし出す。
「クリーンヒット、木村! 2点!」
【木村 03 - 00 田村】
「……連環拳の起点が、機体OSの予測を超えている。接触のたびに、私の処理系にノイズを流し込んでいるのね」
田村は、バイザーに走る「演算エラー」の警告を無視した。彼女は知っている。今の木村の拳には、広島で仲間を傷つけられた「執念」が乗っていることを。
田村が作戦を切り替えた。掴むのではなく、自ら木村の拳の「雨」の中へと飛び込む。木村が放つ不規則なリズムの連打。一定の周期を持たない変拍子の暴力。
(規則を追えば、バシュタールの磁気ノイズに惑わされる。なら――データの『外』にある重心の核だけを掴む!)
田村は、嵐や佐野が見せた「視覚の遮断」を、さらに一段階上の「能動的感知」へと昇華させた。桑原部屋の高から学んだ、帯越しに相手の「重さ」をハックする技術。彼女はそれを、木村の拳が自分の装甲を叩く「圧力分布」から逆算する術として体得していた。
「そこッ!!」
木村の右ストレートが田村の胸板を打った瞬間。田村はその衝撃 F を受け流さず、あえてそのベクトルを自分の中へ「取り込んだ」。衝撃の反作用を利用し、木村の袖を物理的にクランプ。そのまま、木村の「打つための重心」を、奈落へと引き摺り込む。
「ダウン、田村! 3点!」
【木村 09 - 07 田村】
「……重心を読んだか。いや、俺が『打つ』という決断を下す前の、機体の重心移動を逆探知したのか」
木村の口元に、狂気じみた笑みが浮かぶ。彼は機体のリミッターを「一二〇%」まで強引に引き上げた。
「なら、準備そのものを光速の彼方へ置く。『マブイ残像波』――焼き切れるまで行くぞ!」
木村の全身から、バシュタールの磁界と干渉した青白い放電が立ち昇り、周囲の光を激しく屈折させた。一本の腕が十本に見える。光学センサーは完全に無力化された。だが、田村の「足裏」が感じている地面の振動までは、嘘をつけない。
木村の残像が、暗闇を埋め尽くす。
田村はその嵐の中を、滑るように潜り抜けた。残像という「光」を無視し、大気を震わせる「重みの芯」だけを見定めて。
一本背負い。
田村の『柔・二型』が、バシュタールの磁力さえも「投げるための重り」として利用した。
「ダウン、田村! 3点!」
【木村 09 - 10 田村】
逆転。残り三十秒。
木村は立ち上がった。排熱限界を超えた『隼Mk-II』からは、もはやオイルの焼ける白煙ではなく、絶縁体が溶ける不吉な黒煙が立ち昇っている。
「……田村。お前のその、泥の中に根を張るような柔道……認めざるを得ないな」
木村が、最後の一撃を放つ。それは技ではなく、自らの機体の寿命をすべて注ぎ込んだ「命の放射」だった。
タイムアップ。
【最終スコア:13 - 10。――勝者、木村!!】
勝利を告げるブザーの代わりに、バシュタールの嘲笑のようなハウリングが会場に響いた。
リングの下。田村を抱き起こした道場主の小川勝己は、暗闇の中でバシュタールの影をじっと見つめていた。
「田村。お前が桑原部屋で得たその『重心の予読』……それが、あの銀色の怪物を壊すための唯一の鍵になるかもしれん」
「……先生、行くんですか。桑原部屋へ」
「ああ。俺が、一から学びに行く。空手の流派も、道場の意地も関係ない。あの化け物の磁場を、大地の重みで叩き割る『連合』を作るんだ」
その時、アリーナの中央で、バシュタールの腕がさらに佐藤を締め上げた。
「……あ、あ、あああッ!!」
佐藤の装甲が、塑性変形の限界を超えて砕け散る音がした。
嵐のバイザーの「凍結」が、赤い警告音と共に、ついに解除された。
「……佐藤ッ!!」
六月の駒沢。システムの崩壊した地獄で、少年は今、大地を蹴って、銀色の死神へとその「白」を叩きつけようとしていた。




