第7話:嵐の目
『からくり空手』
第7話:嵐の目
後藤道場主催のオープン・トーナメント——「鉄花祭」は、廃工場を改築した巨大アリーナで開催された。
観客席を埋める数百人のからくり使いたち。各道場の旗が揺れる中、最前列には後藤が悠然と腰を下ろしていた。リングの上では、すでに一回戦が始まっている。火花と衝撃波が飛び交い、空気そのものが焦げるような熱気だ。
「……でかいな」
嵐は入場ゲートの手前で立ち止まり、アリーナ全体を見渡した。隣を歩く木村が、肩をすくめる。
「ビビってんのか?」
「してない。ただ……叔父さんも、こういう場所に立ってたんだと思うと」
木村は何も言わなかった。ただ、嵐の背中を一度だけ、強く叩いた。
嵐の一回戦の相手は、後藤道場の若手精鋭・板垣だった。全身を重厚な攻撃型アーマー『ブルドーザー』で固めた、正面突破一辺倒の格闘スタイルだ。
「アンディの形見を背負った坊主か。せめて、一発くらいは当ててみろよ」
板垣の嘲笑と共に、試合開始の銅鑼が鳴った。
板垣が突進する。正面からの衝突は、重量差で嵐が不利だ。だが嵐は動じなかった。呼吸を整え、『クロオビ』の出力を均等に分散させながら、板垣の踏み込みのリズムを聴く。
(三歩。踏み込みは三歩だ)
三歩目の瞬間、嵐は半歩だけ横へ流れた。
板垣の重い右拳が空を切る。その慣性が板垣の上体を前へ泳がせた、その刹那——嵐の寸勁が、脇腹の装甲継ぎ目へと吸い込まれた。
ドォンッ。
板垣は声もなく横倒しになり、審判が右手を上げた。
時間にして、十二秒。観客席が、一瞬遅れてどよめいた。
二回戦、三回戦も嵐は制した。いずれも派手な破壊はない。相手のリズムを読み、最小限の動きで急所を貫く。まるで、嵐の名前の通り、触れたものを静かに薙ぎ倒していく風のようだった。
観客席の後藤が、初めて表情を変えた。
「面白い。あの『クロオビ』……アンディが使っていた時とは、別物の動きをしている」
傍らに控える秘書が囁く。「ミルカラス選手は、準決勝からの登場予定です」
後藤は静かに頷き、リングを見つめ続けた。
準決勝。
嵐がリングに上がると、対岸から現れた男に、会場全体が静まり返った。
ミルカラスだ。
大会用の軽装に身を包んでいるが、その佇まいは変わらない。空港で見た時と同じ、触れるものすべてを凍らせるような冷気をまとっている。義肢「ボルト」が、照明の下で鈍く光った。
「……生き残ったか、安道 嵐」
「ミルカラスさん」
嵐は真っ直ぐに、その目を見た。恐れていない、とは言えない。膝が、かすかに震えている。だが、その震えは恐怖だけではなかった。
ミルカラスが、わずかに目を細めた。
「その目だ。アンディも、初めて俺と向き合った時、同じ目をしていた」
会場が、息を呑んだ。
銅鑼が鳴った。
ミルカラスは動かない。ただ、左足に重心を移した。その一動作だけで、嵐の『クロオビ』が全力の警告を鳴らす。「ボルト」が起動した時の、前兆だ。
嵐も動かなかった。木村に習った通り、相手のリズムを——マブイの波形を——ただ、聴く。
(重い。波形が、ない。まるで湖面みたいだ……)
ミルカラスのマブイには、木村のような刻まれたテンポがない。板垣のような踏み込みの癖もない。凪いだ水面のように、完全に静止している。リズムを盗もうとしても、そもそも「波」が存在しないのだ。
(これが、世界の壁か)
嵐が思考した、その一瞬。
ミルカラスの左足が、光速で跳ね上がった。
「戦慄の左ハイ」——その右。
嵐は間一髪、頭を沈めた。しかし「ボルト」の放電が、『クロオビ』の肩甲部を掠める。
バヂッ!!
嵐の左肩のマブイ回路が、一瞬遮断された。感覚が消える。だが嵐は構えを崩さなかった。
「……掠ったか。初めてだ」
ミルカラスが、低く呟いた。その声に、かすかな——本当にかすかな——驚きの色があった。
「秋吉に何を習った、安道 嵐」
嵐は答えず、左肩の感覚を確かめながら、静かに息を整えた。右拳に、透明な熱が集まっていく。
「……俺がなぜ戦うか、ですか」
嵐は一歩、踏み込んだ。
「俺は、この空手が好きだから——立ちます」
会場中のマブイが揺れるような、静かな瞬間だった。
だが、嵐の踏み込みをミルカラスは正面から受け止めた。
嵐の正拳突きが「ボルト」の装甲に叩き込まれた瞬間、超高電圧の逆流が嵐の右腕を貫いた。
バヂドォォンッ!!
嵐の身体が、大きく後ろへ吹き飛んだ。リングの端ぎりぎりで踏みとどまるが、右腕の回路が焼き切れ、『クロオビ』の右半身が完全に沈黙した。
「お前の一撃は、確かにアンディに似ている。だが——」
ミルカラスが、ゆっくりと近づいてくる。
「アンディは、この先があった」
嵐は、右腕の感覚のないまま、それでも構えを取った。全身が悲鳴を上げている。マブイはほぼ空だ。
だが、瞳の火は、消えていなかった。
試合は、そこで止まった。
審判ではない。ミルカラス自身が、右手を上げたのだ。
会場がざわめく。後藤が、眉をひそめた。
「……今日はここまでだ」
ミルカラスは嵐の前に立ち、低く言った。
「俺の左ハイを掠めて立っている人間を、俺は十年ぶりに見た。続きは、決勝でやれ。もし這い上がってこられるならな」
ミルカラスはリングを降りた。その背中を、嵐は焼けた右腕を抱えながら、ただ見送った。
木村が駆け寄り、嵐の肩を支える。
「……生きてるか?」
「……生きてる。右腕が、動かない」
「決勝まで三時間だ。秋吉館長が来てる」
嵐は空を仰いだ。アリーナの天井の向こう、夏の夜空が広がっているような気がした。
(叔父さん。俺は今日、お前の見ていた世界の端っこに、やっと触れた気がする)
決勝まで、三時間。嵐の右腕は沈黙したまま、しかし『クロオビ』の心臓部だけは、静かに、確かに、鼓動を打ち続けていた。




