第5話:連打の旋律(メロディ)
「いいか、嵐。空手において、間合いとは『空間』じゃない。――『時間』だ」
秋吉道場。板間の冷気が、木村の発する熱気に溶けていく。
サイトハウンド獣人である木村が纏うのは、装甲を限界まで削ぎ落とした軽量型アーマー『燕』。高精度モーターが奏でる駆動音は、もはや微細な羽音となって道場の静寂を切り裂いていた。
「俺の連撃は、お前のマブイが脳に危険を知らせる前に、お前を終わらせる」
秋吉の合図。その刹那、木村の姿が視界から「消去」された。
次の瞬間、嵐の全方位から無数の拳が降り注ぐ。サイトハウンド特有の長い四肢と爆発的な瞬発力が生み出す、一秒間に二十射の神速。正確に装甲の継ぎ目だけを噛みちぎるような精密な連打。『クロオビ』の視覚補助が残像を処理できずオーバーフローを起こし、視界が白いノイズに埋め尽くされた。
(速すぎる……機械の目が追いつかない!)
木村の腕が嵐の腕に絡みつく。離れようとすれば猟犬のように執拗に纏わりつき、最短距離から顎を、喉を、みぞおちを的確に貫く。装甲の内側でパグの太い骨が高周波に震え、意識が遠のいていく。
(叔父さんは……こんな嵐の中で、どうやって息をしてたんだ)
朦朧とする意識の中、アンディの言葉が蘇った。
――機械の計算に頼るな。人間社会の理屈で殺した『犬』に還れ。
嵐は、思考を「棄てた」。
ホワイトアウトした視界を無視し、肌に触れる『クロオビ』の温度変化、そして短い鼻腔から吸い込む空気の匂いに全神経を集中させる。木村の『燕』が加速するたび、摩擦熱と微かな獣の匂いがノイズとなって脳へ流れ込む。
――嗅ぎ取れる。木村のマブイの「火花」が。
それは残酷なまでに美しい、一定のリズムだった。
嵐は『クロオビ』のリミッターを脳内で焼き切った。
「――同調しろッ!」
自分の太い心臓の鼓動を、木村の連打の隙間へ、不協和音として捻じ込む。
木村の貫手が嵐の喉を撃ち抜こうとした刹那、嵐はずんぐりとした胴体の力を抜き、重力に逆らわず極限まで重心を沈めた。
「……なっ!?」
コンマ数秒、木村の演算が「極端に低い位置へ消えた的」に混乱し、同期を失う。針の穴を通すような一瞬の空白。嵐は太く短い右腕を、木村の胸元へ「置いた」。
溜めはない。引きも作らない。パグの強靭な体幹に蓄えた全質量と、八十キロの『クロオビ』のデッドウェイトを、背骨という一本の軸で連結させる。
「――打ッ!!」
ゼロ距離の爆発――寸勁。
道場の空気が爆ぜた。木村の軽量アーマーが衝撃に耐えきれず砕け散り、彼は弾丸の速度で後方の壁へ吹き飛んだ。
「……はぁ、はぁっ……」
パグ特有の荒い呼吸を繰り返す嵐の右腕から、白煙が上がる。過負荷に耐えきれず装甲が一部融解し、皮膚に焼き付いていた。
「合格だ。今のはアンディの真似事じゃない、お前自身の牙だ」
木村が血の混じった唾を吐きながら立ち上がる。その瞳に、初めて一人の格闘家への敬意があった。
「だが、覚えとけ。ミルカラスは今の泥臭い一撃すら『見て』いた男だ。あいつの周囲には機械の音すらない。完全なる静寂。それを破れなきゃ、お前は死ぬ」
同じ夜、重油と潮の匂いがこびりつく軍港の埠頭。灰色のコートを纏った男が、音もなく降り立った。
出迎えた後藤道場の門下生たちが、次々と膝をつき、歯の根を合わさずに震え始める。無毛犬であるミルカラスの左脚――冷たい鉛色の義肢『ボルト』が、周囲の空間から熱とマブイを貪欲に吸い上げているのだ。
門下生たちが急激な低体温症で次々と意識を失う中、ミルカラスは振り返りもせず、毛を持たぬ肌に冷たい海風を受けながら、暗い海を見据えていた。
決戦まで、あと十四日。
嵐の戦いは技術の習得を超え、己の魂を「からくり」という地獄の深淵へ投げ込む段階へと突入した。




