第4話:骨砕きの振動
『からくり空手』
第4話:骨砕きの振動
ミルカラスの「戦慄の左ハイ」から、一週間。秋吉道場の空気は、かつてないほど張り詰めていた。田所は病院へ担ぎ込まれ、先輩たちは無言で、しかし以前よりも苛烈な修行に打ち込んでいた。
安道 嵐は、依然として電源の切れた『クロオビ』を纏い、今夜も山を下りていた。水瓶の水は、もうこぼさない。だが秋吉は、まだからくりの起動を許さなかった。
(焦るな……。力を抜いて、風になれ。叔父さんのように)
月の光だけが照らす暗い山道を、鉄塊と化した『クロオビ』を引きずりながら歩いていると、道沿いの影から一人の男が現れた。
「……アンディの甥か。期待外れだな。ただの鉄屑を背負った敗犬だ」
後藤道場の道着を纏っているが、その佇まいは格闘家というより暗殺者に近い。染川——古流武術「骨法」をからくり工学で再解釈した『からくり骨法』の使い手であり、後藤道場の裏の仕事を請け負う男だ。
染川は、沈黙したままの『クロオビ』を舐めるように見た。
「そのアンティーク、まだ眠っているようだな。……眠ったまま、『解体』してやる」
構えは空手のそれとは違う。掌を嵐に向け、指先をかすかに震わせている。
「からくり骨法……。装甲の上から、その下のフレームの接合部や動力パイプを振動で外す技だ。お前のその頑強な装甲も、俺の前ではただの棺桶だ」
音もなく染川が間合いを詰め、掌が嵐の右肘関節に触れた。
ビビビッ。
凄まじい超振動が腕を走る。装甲は無傷だ。しかし関節を繋ぐボルトが一瞬で緩み、肘が外れた。
「くあぁっ……!」
右腕が、力なく垂れ下がる。
「ほう。アンティークのフレームは、現代のものよりボルトの精度が悪いようだな。緩めやすい」
次は膝だ。染川の指先が触れるたびに超振動が走り、嵐は膝から崩れ落ちた。
「終わりだ。アンディの名誉と共に、そのゴミを砕いてやる」
染川が、とどめの掌打をチェストピースへと放つ。マブイ機関の接合部を振動で外し、嵐を永遠に動けなくするための一撃だ。
(動け……! 動いてくれ、クロオビ!!)
嵐は垂れ下がった右腕にマブイを流し込もうとした。だが電源は切れている。関節は外れている。動くはずがない。
その瞬間、秋吉の言葉が蘇った。
『道具を「使おう」とするな。道具と「一つになれ」』
(……一つに?)
嵐は、マブイを込めるのをやめた。強引に動かそうとするのではなく、電源の切れた『クロオビ』を——叔父が愛したこの鉄塊を——自分の失った皮膚として、延長された骨として、感じようとした。
ドクンッ。
からくりの鼓動ではない。嵐自身の心臓が、漆黒の鉄と完全に同期した。関節が外れているはずの右腕が、意志と同時に、音もなく、流れるように動いた。
「なっ……! 電源も入れていないのに……!」
染川の掌打を、嵐は外れた肘を支点にした柔の動作で受け流した。水汲み修行で培った、体幹のブレない無意識の呼吸。
「俺の空手は、叔父さんの空手は、からくりが動かしてるんじゃない。この魂が、動かしてるんだ!」
嵐は残った左拳で正拳突きを放った。マブイによる爆発的な破壊力ではない。『クロオビ』五十キロの重量と嵐自身の肉体が、寸分の狂いもなく一点へと集束した、純粋な質量の一撃。
ドォォンッ。
染川の強化外骨格がひしゃげ、本人は悲鳴を上げる暇もなく山道の斜面へと吹き飛ばされた。
「ふぅ……」
嵐は外れた右腕のからくりを、生身の左手で強引にはめ直した。痛みが走る。マブイは空っぽのままだ。電源を一度も入れずに、後藤道場の刺客を退けたのだ。
「……道具と、一つに」
自分の右拳を見つめる。からくりの光はない。だが、叔父の『クロオビ』が、以前よりもずっと自分の体になじんでいた。
「合格だ、嵐」
影から木村が現れた。詠春拳の使い手。彼は一部始終を見ていた。
「まさか電源なしで、質量だけで倒すとはな。秋吉館長が水汲みをさせた理由、少しは分かったか?」
木村は不敵に笑い、嵐の肩を叩いた。
「さあ、帰るぞ。明日からは俺が直接、型を仕込んでやる」
嵐は傷ついた『クロオビ』を愛おしそうに撫で、木村と共に山道を歩き始めた。ミルカラスとのトーナメントまで、あと三週間。嵐は、からくり使いではなく、本物の空手家としての一歩を、確かに踏み出していた。




