第34話:背後の死神(アサシン・ストラングル)
『からくり空手』
第34話:背後の死神
「副将戦——始め!!」
三浦の声が落ちた瞬間、木村の目の前からオズワルドが消えた。
速さではない。気配が消えた。マブイの波形が消えた。『ブラック・マンバ』の脚部に仕込まれた超小型消音ブースターが、床との摩擦をゼロに近づけ、物理的な死角へとオズワルドを滑り込ませた。
「……消えた」
冷たいマブイが、首の後ろに触れた。振り向く暇はなかった。オズワルドの腕が、背後から蛇のように絡みつく。
「遅いよ、木村」
【日本A 00 - 03 ブラジル】
頚椎に微弱なパルスが走り、中枢神経が痺れ始める。「暗殺」の技だ。格闘技ではなく、生命活動を止めるための技術だ。木村は首に食い込む腕を引き剥がそうとした——しかし力を入れるほど、締めが深くなる。
「一度背後を取られたら、逃げられない。君の千手も、後ろには届かないだろう」
(届かない——)
その言葉が、木村の奥底にある記憶に触れた。シャオロンに敗れた夜。「届かなかった」。加藤と相打ちになった夜。「あと少し、届かなかった」。
(今度も、届かないのか)
木村は目を閉じた。一瞬だけ。
そして、口の端が歪んだ。苦悶ではない——何かが「決まった」時の、木村特有の表情だ。
「柔術の連中は、どいつもこいつも理屈っぽくていけねえ」
木村は、強引に引き剥がそうとするのをやめた。
代わりに、『隼』の肩関節のリミッターを、からくり制御で意図的に破壊した。
「なっ——肩を外したのか!?」
木村の腕が、本来の可動域を無視して真後ろへ跳ね上がった。
詠春拳の至近距離の理屈——「触れた瞬間、そこがゴール」。正面がゴールなら、背後もゴールだ。最短距離は、どの方向にも存在する。
「面がダメなら、裏で打つまでだ!!」
背後への連打が始まった。一秒間に二十発。オズワルドの顔面と心臓を交互に、正確に叩き続ける。
オズワルドは締めを深くしようとした——意識を刈り取れれば、逆関節ごと無効化できる。しかし木村の連打が心臓の回路を先に乱した。締める指令が、体に届かない。
締めが、緩んだ。
オズワルドが距離を取ろうとした。
木村は外れた肩を、からくりモーターで引き戻した。歯を食いしばる。骨が正しい位置に収まった瞬間、電流のような痛みが腕全体を走った。
それでも、足は前に出た。
「影の中まで追いかけてやるよ」
木村の全身から青い火花が散る。『隼』が悲鳴を上げながら、限界出力に達した。木村は体を独楽のように高速回転させた——正面だけでなく、全方位へ打撃の壁を展開する。死角を消す。360度、どこへ逃げても、木村の拳がそこにある。
再び背後を狙おうとしたオズワルドが、正面から拳を受けた。
鈍い衝突音。オズワルドの細身の機体が防壁へと吹き飛び、そのまま沈んだ。
「ダウン!!」
【最終スコア:日本A 15 - 09 ブラジル】
「勝者、木村!!」
木村は火花を吹く肩を押さえ、その場に座り込んだ。笑っていた。
田所がリングを見ていた。二連敗した後、ずっとバイザーを下げていた男が、今は上げていた。
日本、二勝二敗。大将戦へ。
三浦が立ち上がった。その瞬間、ブラジルベンチでシルバの視線がこちらへ向いた。
嵐の右腕が疼いた。ジョージを倒した傷が、まだ残っている。しかしこの疼きは、その傷とは別の場所から来ていた。
「三浦さん——シルバのマブイ、ジャングルの時と違う。あの時は『空』に向かっていた。今は——」
言葉が続かなかった。表現できない何かだった。
「……黒く、なってます」
三浦は静かに帯を締め直した。「承知しています。彼が今日ここに持ってきたものを、空の心で受け止める——それだけです」
シルバがリングへと歩き出した。その足元のマットが、わずかに沈んだ。
大将戦。三浦対シルバ。ソウル・ドームが静まり返った。




