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からくり空手  作者: 水前寺鯉太郎
第2部

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第22話:空(くう)と水(みず)

 秋吉道場。そこは今、地図から消された特異点となっていた。

 琉球犬獣人の三浦義一と、チャウチャウ獣人のリ・シャオロン。二頭の達人が放つマブイの干渉が、半径十メートルの因果律を書き換え、現実を歪めていた。門下生たちの網膜にはノイズが走り、嵐の『昇龍』は目の前の光景を格闘と認識できず、「神域への侵入」というエラーを乱打している。

「始めッ!!」

 三浦の号令と同時にシャオロンが爆発した。自身の太い尻尾と連動した油圧ヌンチャクが描く螺旋は、空間を削り取る死のドリル。一撃ごとに道場の柱を風圧で断ち切る旋風を、三浦は避けなかった。衝撃が着弾するたび旧式装甲『シズメ』から火花が散るが、三浦のずんぐりとした巨体は一ミリも揺らがない。

(流しているんじゃない。失った右腕の接続口を導管(バイパス)にして、衝撃を大地へ逃がしているんだ!)

「澄んだ水になれとは言わねえ。……泥に塗れて喰らいついてこい、三浦……!」

 シャオロンが分厚いタテガミを揺らして跳んだ。ヌンチャクの遠心力で加速された超音速のサイドキック。三浦は左のからくり掌でそれを受け止めた。

「……リ殿。あなたの泥、飲み込ませていただきます」

 南流秘奥『マブイ浸透・零(ゼロ)』。三浦の左手を通じ「大地の静止」が逆流し、シャオロンの『ドラゴン・コア』の歯車を強制的に凍結させた。伝説の怪獅が止まる。その刹那、三浦は右腕の切断面――ひしゃげた接続端子から、溜め込んだマブイを血色の炎のように噴出させ、シャオロンへ叩きつけた。

「――流れるだけが、水ではないッ!!」

 シャオロンがマブイを爆発させ、内側から『コア』の凍結を粉砕した。機械の理を捨てた、純粋な獣の魂の暴走。二頭の拳が交差した瞬間、道場全体の照明が破裂し、分厚い漆喰の防壁が紙細工のように吹き飛んだ。

 暗闇に非常用電源が灯る。二人の足元の板間はクレーター状に陥没し、その中心で互いの拳が喉元、心臓の数ミリ先で静止していた。二人の間に、巨大な土佐闘犬の重圧――秋吉の腕が、分厚い壁となって割り込んでいたのだ。

「……あぶねぇ。秋吉、いいところで止めるな」

 シャオロンが犬歯を見せて笑い、三浦は深く、静かに一礼した。三浦の右肩の接続部はマブイの過負荷で完全に焼け焦げ、もはや二度とからくりを繋ぐことはできない。だが、その瞳には勝利を超えた光が宿っていた。

「負けだ、秋吉。軍港を降りて、銀座で一番高い肉を食いに行くぞッ! 貸し切りだッ!!」

 シャオロンの爆笑が重圧を吹き飛ばす。嵐は二人の激突で弾け飛んだ装甲の破片を拾い上げた。焼けるような熱。その「痛み」が、嵐の『昇龍』の深部へ、二頭の究極の波形を消えない残像として刻み込んだ。

 道場の外。雨に濡れた軍港の街角。

 傘も差さずに立つコートの男が、道場から漏れる残光を冷徹な瞳で見ていた。ジャーマン・シェパードの血を引くその男が低く唸ると、周囲の街灯がノイズを走り、一斉に暗転した。足元には、強酸性の排熱とオゾン臭と共に、踏みにじられた「黒い百合」の花びらが散っている。

「……安道嵐。世界闘獣祭(ワールド・ドッグ・ファイト)の舞台は武の聖地ではない。……お前たち極東の野良犬を処分するための、ただの墓場だ」

 シェパードの男が去ったあと、軍事用からくりの異常な熱で溶け、ドロドロになったアスファルトだけが残された。

 嵐が掴んだ「掌の予感」が、真の絶望へ変わるまで、あと百日。

 極東の軍港で生まれた旋風は、さらに巨大な渦を巻き、世界を飲み込もうとしていた。

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