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からくり空手  作者: 水前寺鯉太郎
第2部

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22/67

第22話:空(くう)と水(みず)

『からくり空手』

第22話:くうみず

 

 道場が、凪いだ。

 虫の声も、装甲の駆動音も、門下生たちの呼吸も——三浦とシャオロンが中央に立った瞬間、すべてが遠ざかった。二人の放つマブイの密度が、空間の電子バランスそのものを書き換えているのだ。周囲のアーマーが低く共鳴し、まるで嵐の前の海面のように、静かに揺れている。

 「……三浦。お前の『サンチン』、遠目からでも見事だった。だが、近くで見ると——もぬけの殻のように見える」

 シャオロンが腰のヌンチャクに手をかけた。その目に、試合を楽しむ色と、何かを探す色が混在している。

 「……リ殿。空手とは、己をからにすること。空であればこそ、何物も私を傷つけることはできず、何物も私を拒むことはできない」

 三浦が地を踏みしめた。音はない。しかし板間が、わずかに沈んだ。

 「始め!!」

 抜かれたヌンチャクが宙に弧を描く。

 その軌道に終点はない。円が円を生み、その接線が常に三浦の急所へと向き続ける——逃げ場のない螺旋だ。しかし三浦は避けなかった。ヌンチャクが肩口を捉えた瞬間、火花が散る。だが三浦の体は動かない。着弾と同時に、衝撃を全身という「ふるい」に通し、四方へと霧散させた。

 「ほう」シャオロンの目が細くなった。「浸透の逆か。衝撃を自分というフィルターで、全方位に逃がした」

 歓喜の色だった。探していたものに近い、という色だ。

 「今度は、こちらから行きます」

 三浦の拳が、静かに突き出された。スローモーションのような突き。しかしシャオロンの「ドラゴン・コア」の警告が最大音量で鳴り響く。

 「——来い!」

 シャオロンはヌンチャクを盾にせず、素手で受けにいった。三浦の拳がシャオロンの掌に触れた瞬間、板間が円形に爆ぜる。「マブイ浸透・零」——装甲を透過するだけでなく、細胞の深部まで波を送り込む死の一撃。

 しかしシャオロンの体は「波」打った。衝撃を脊椎から足首へ、足首から地面へと受け流す。

 「Be Water——」

 その声に、初めて独り言の質があった。技の説明ではない。長年かけて辿り着いた場所を、改めて確かめるような呟きだった。「形をなさぬ水に、点の攻撃は届かない」

 攻防は、もはや速度の問題ではなかった。

 ヌンチャクの閃光と三浦の正拳。「剛」と「柔」が極限まで高まり、互いのマブイが混ざり合って、道場の中心に奇妙な「静寂の渦」を生み出す。嵐は観客席で身じろぎひとつできなかった。二人ともアーマーの性能に頼っていない——からくりを、ただ「魂の拡声器」として使っている。

 「……三浦! 最後の対話といこうじゃないか!」

 シャオロンがヌンチャクを手放した。床に落ちた音だけが、静寂の中に響いた。

 右拳を腰に溜め、全身のマブイを一点に凝縮する。

 「……望むところです」

 三浦もまた、全ての防御を解いた。

 二人が、同時に踏み込んだ。

 シャオロンの寸勁と、三浦の正拳浸透突き。

 互いの拳が相手のアーマーへと迫る——その刹那、道場の空気がひとつになった。

 「——そこまで!!」

 秋吉の声が落ちた。二人の呼吸が、同じタイミングで止まった瞬間を、館長だけが見切っていた。

 二つの拳は、相手のアーマーからわずか数ミリの地点で静止している。それだけで、背後の防壁が音もなく崩れ落ちた。拳から放たれた風圧だけで。

 「……フゥ」シャオロンが汗を拭いた。「相変わらず野暮なところで止めるな、秋吉」

 「……リ殿。これ以上は、どちらかの命が消える。この道場を壊すのも、その辺にしておいてもらおう」

 三浦が深く、一礼した。

 通算戦績、一勝四分け。数字の上では秋吉会館の勝利だ。しかし道場にいた全員が分かっていた——今日ここで交わされたものは、勝敗ではない。

 シャオロンが秋吉の肩を叩いた。「負けだ。お前のところの連中に、俺たちは今日、何かを受け取らせてもらった。アンディの甥が、いい先輩を持ったな」

 秋吉は黙って頷き、それから嵐を呼び寄せた。

 「嵐。シャオロンたちの動きを見て、何か掴んだか」

 嵐は答えなかった。ただ、自分の右手をゆっくりと開き、その掌を見つめた。

 何を掴んだかは、言葉にならなかった。言葉にしてしまうと、逃げてしまう気がした。

 「よし! 寿司だ!」

 シャオロンの豪快な声が、その沈黙を割った。「約束通り、支払いは負けた俺が持つ! 野郎ども、腹を空かせておけよ!」

 笑い声が、激闘の余韻を残す道場に響き渡った。嵐はその音を聞きながら、まだ右の掌を見ていた。

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