第20話:天を突く脚、地を這う魂
秋吉道場の天井が、これほど低く感じたことはなかった。
道場の中央に立つ巨壁、アブダビ・ブル――二一八センチ。彼が纏う高機動型アーマー『ステアウェイ』の長い四肢が動くたび、成層圏の冷気が嵐の肌を刺した。
「始めッ!!」
嵐が地を蹴る。だが、右拳を引き絞る刹那、視界は漆黒の影に塗り潰された。
――ドォォォォン!!
アブダビ・ブルのサイドキック。回避不能。衝撃波が嵐の胸板を透過し、弾き飛ばされる小石のように板間の端まで吹っ飛んだ。
「これが『時間の壁』だ。君が認識した時には、僕の攻撃は既に終わっている」
打撃、打撃、また打撃。リーチ差が残酷な「処理速度の差」となって嵐を追い詰める。三浦の浸透も、木村の速度も、届かなければただの空想だ。
「……はぁ、はぁ。見上げるから、遠いんだ」
嵐は、血に濡れた口元を歪めた。潜る。ただ、地を這う獣になればいい。
カチッ。嵐は『昇龍』のメインブースターを自ら強制終了した。
「なっ……動力を捨てるだと!?」
木村の叫び。駆動音を失った『昇龍』は重い鋼の枷へと戻る。だが、その瞬間、嵐の五感は外部へと解き放たれた。足の裏から伝わる板間のささくれ。床下を走る地盤の微細な震え。そして――巨躯が踏み出すたびに発生する「重心の揺らぎ」。
嵐は、四足の獣のように低く伏せた。
「醜いね。這い蹲って、何を待つ」
アブダビ・ブルが跳んだ。天空から降り注ぐ、死の旋回蹴り。シリンダーが全解放され、真空の渦が巻き起こる。
嵐は逃げなかった。直撃のコンマ一秒前、左手で床を掴み、大地と自らの重心を固定した。そして、伸び切ったアブダビ・ブルの「足首」――唯一の支点へ、右手を添えた。
――グギッ。
力で止めるのではない。流れる水の、最後のしずくを指先で止めるように。
「……!? 慣性が……逃げ、ない……!?」
長すぎる脚。それは先端を固定された瞬間、主を振り回す「巨大なテコ」へと豹変した。
「あんたは、高すぎたんだ」
嵐が板間を蹴り抜いた。沈黙していた『昇龍』が、残留熱を一気に噴射し、地底からの爆発的な跳躍を生む。下から上へ。重力を背負った、泥臭く、しかし鋭い正拳。
ドォォォォォォォォォォォォンッ!!
巨人の腹部装甲が飴細工のようにひしゃげ、突き抜けた衝撃波は天井の梁を粉砕した。二メートル超の巨体が文字通り天へと跳ね上がり、マットへ沈没する。
「勝者、安道 嵐!!」
静寂。嵐は膝をついたまま、震える拳を握りしめた。右腕の装甲の下、有機組織がドクドクと不気味に蠢き、倒れた巨人のマブイを渇望している。
「……いい一撃だ。だが、次を耐えられるかな」
シャオロンの声が道場の温度を氷点下へ引き下げた。
香港側の副将、グリーンのマスクを纏った加藤が前に出た瞬間、木村の右腕の『燕』が、持ち主の意志を無視して激しく暴走を始めた。スピーカーから漏れるのは、半年前に木村が敗れた際の絶叫。
「加藤……。……今度は、俺が……!」
木村は、暴走する右腕のボルトを自ら緩めた。カチカチと外れていく装甲。
過去を捨て、生身の腕で「呪い」に立ち向かう狂気。地獄の副将戦、開始。




