第20話:天を突く脚、地を這う魂
『からくり空手』
第20話:天を突く脚、地を這う魂
道場の中央に立った瞬間、嵐は初めての感覚を覚えた。
「見上げる」空手。
小龍ジムの中堅、アブダビ・ブル——218センチ。各関節に高圧ガスシリンダーを搭載した超軽量アーマー『ステアウェイ』が、その長身をさらに大きく見せる。嵐が低く重心を構えても、相手の懐はあまりにも遠い。
試合前、シャオロンが嵐の耳元で一言だけ言った。「大きな山に登るなら、足元を見るな。山の一部になれ」
意味は、まだ分からなかった。
「……嵐。君のパンチは、僕の胸にすら届かない」アブダビ・ブルがゆったりと構える。その目は嵐を見ているが、「見ていない」——第19話から続く、あの感覚だ。「君ほどの身長差で勝った相手が、今まで一人もいなかった。だから——」言葉を続けなかった。続ける必要がないと思っているようだった。
「始め!!」
嵐が踏み込んだ。最短距離、最大出力——しかし右拳を引き絞るより早く、頭上から巨大な影が降りてきた。
ドッ。
予備動作なしのサイドキック。足を上げるだけで嵐の胸板を捉え、突進をそのままシャットアウトする。弾き飛ばされながら嵐は気づいた——これは攻撃ではない。消火だ。嵐のマブイが燃え上がる前に、長い脚が火を踏み消す。
「ジークンドーは効率の科学だ。お前が三歩進む間に、僕は一歩で全てを解決する」
ストレート、アックスキック、また蹴り。リーチの差が「時間の差」となり、嵐を追い詰めていく。三浦の浸透も、木村のリズムも、届かなければ意味がない。懐に入る前に止められる。入ろうとすること自体が、アブダビ・ブルの計算の中にある。
(……この人は俺を「脅威」として見ていない。それが一番怖い)
嵐は動きを止めた。止めて——板間の感触を、足裏で直接感じた。
ブースターをOFFにする。機能を絞る。重くなる。しかし同時に、床との接触が明確になる。アブダビ・ブルの長い脚が描く軌道が——円の弧として、足裏から伝わってくるような気がした。
(山の一部に——なるとは、こういうことか)
アブダビ・ブルが跳んだ。旋回しながらの大蹴り。天空から落ちてくる、質量と速度の結晶。
嵐は逃げなかった。
それどころか、姿勢をさらに崩し、床に左手をついた。アブダビ・ブルの蹴りが最大に伸びきる、その一瞬を待って——足首の、わずか一点を、静かに押さえた。
楔を打つように。根を張るように。
アブダビ・ブルの目が、初めて嵐を見た。
「——なぜ、そこが分かった」
巨木が傾くように、218センチの体が揺れ始めた。自らの蹴りの遠心力が、逃げ場を失って主へと返ってくる。長い脚は、一度絡め取られれば巨大なテコになる。アブダビ・ブルが空中でバランスを失っていく過程は、ゆっくりと、しかし止められなかった。
嵐は床を蹴った。
下から上へ。重力の逆を突く。『昇龍』のブースターが最大出力で火を噴き、アブダビ・ブルの無防備な腹部へ嵐の右拳が突き刺さった。
ズドォンッ。
短く、重く。巨体が道場の天井近くまで浮き上がり、そのままマットへ沈んだ。
「……勝者、安道 嵐!!」
静寂の後に歓声が来た。嵐は膝をつき、肩で息をする。アブダビ・ブルは天井を仰いで笑った。
「……完敗だ。空の下に、まだこんなに熱い地があったんだね」
シャオロンが静かに頷いた。焦りのない顔で、ただ嵐を見た。「いい一撃だった。だが、次を忘れていないか」
背後から、グリーンのマスクをつけた男が前に出る。加藤だ。
道場の端で、木村が立ち上がった。その右手が、微かに震えている。恐怖ではない——半年間、毎朝この瞬間のために打ち込んできた手が、ようやく仕事を思い出したのだ。




