第16話:新しき旋風、国境を越えて
ジャパウ国の鉄花祭から二ヶ月後、嵐は南米大陸の密林に立っていた。
アマゾンの熱帯雨林は、巨大な「肺」だった。
呼吸のたび、濡れた真綿を喉に押し込まれるような濃密な湿気が、パグ獣人である安道嵐の短い気管を容赦なく塞ぐ。パンティング(あえぎ呼吸)による体温調節は完全に破綻し、滝の轟音は、自身の耳鳴りと過呼吸のノイズに飲み込まれていた。
「……息が、吸えない。大気が、物理的に俺の気道を潰しにきてる」
嵐の纏う漆黒の新型装甲『クロオビ・昇龍』。秋吉が設計したこの最新鋭機は、環境補正のために人工肺と排熱シリンダーを過剰駆動させ、火花をパチパチと散らしている。
「みっともないあえぎ声だ。繊細な極東の回路と愛玩犬の鼻じゃ、この森の原初的なマブイには耐えられないか」
岩陰で冷笑するのは、監視役として同行するピットブル獣人、ビリー。後藤の命令で嵐の変異データを収集している彼の『リヴァイアサン』もまた、湿気で演算にノイズを生じ、異様な唸りを上げていた。
その時、密林の緑が意志を持って蠢いた。霧を割って現れたのは、ブラジリアン・マスティフの血を引く闘士・シルバ。極彩色のアーマー『スクワドラ』が、ビリンバウに似た金属音を奏で始める。
「アンディの甥よ。極東の狭い計算機が、この森の暴力に通用すると思うな」
シルバがステップ「ジンガ」を踏んだ瞬間、嵐の視界が歪んだ。
南米獣人秘奥:『重力攪乱』。
ブラジリアン・マスティフの極太の尻尾をバランサーとした予測不能な遠心軌道と、『スクワドラ』が放つ超低周波が、嵐の『昇龍』内のジャイロセンサーを直接ジャッキングし、天地の平衡感覚を破壊する。
「ぐっ、……あ、が……ッ!」
平衡を失い、酸欠で膝をついた嵐の胸板に、シルバのあり得ない角度からの蹴りが突き刺さる。最新鋭の装甲が、泥と湿気によるショートで排熱できず、機能不全に陥っている。
「自分のマブイに振り回され、窒息する気分はどうだ? この森では、機械はすべて泥に還る」
(落ち着け……。装甲の排熱が追いつかないなら、獣のやり方で熱を逃がす……!)
嵐は決断した。拘束ボルトを爆砕し、膝から下の装甲を強制パージ(放熱排除)する。
剥き出しになったパグの太い足が、アマゾンの泥濘に直接沈み込んだ。鋭い腐葉土が肉を裂くが、ひんやりとした冷たい泥が獣の皮膚から急激に熱を奪い、嵐のショート寸前だった生体神経を蘇らせる。
(俺は器だ。この森の泥濘を、そのまま『滑り』に変える器だ――!)
嵐はシルバの放つ重力攪乱の「波」を、回避するのではなく、泥の滑りとパグの極端に低い重心で「乗りこなした」。地にへばりつくような超低空の姿勢。そこから、泥を蹴り上げる脚力と、生肉と癒着した漆黒の右腕のトルクだけで、天へ向けて爆発的にねじり上げる。
スラスターなど要らない。獣のバネとからくりが完全に同期した、純粋な破壊力。
安道流・空:『昇龍・落とし(ライジング・ゼロ)』。
ドォォォォォォォォォンッ!!
シルバの重厚な顎を貫いた一撃は、ブラジリアン・マスティフの巨体を宙へ跳ね飛ばし、アマゾンの大木をへし折って沈黙させた。機能停止した『スクワドラ』から火花が散り、森に静寂が戻る。
「……この森の呼吸、少しだけ掴めましたよ」
嵐は、毒蟲に噛まれ赤く腫れた足を泥で冷やしながら、太い息を吐いた。ビリーがチッと舌打ちをし、通信端末を投げ渡す。
送信者は後藤。
『ミルカラスが動いた。お前に義肢を破壊された影響で、吸熱の制御を完全に喪失している。奴の暴走したマブイが、南極の氷壁を物理的に融解させるほどの”熱の災厄”と化している。……嵐、世界が溶ける前にジャパウへ戻れ』
嵐の丸い瞳に、再び鋭い火が灯る。
その意思に呼応するように、彼の右腕――金属と有機組織の継ぎ目が、アマゾンの生命力を吸い上げたかのように、制御を離れてドクンと脈打った。
世界の理を壊すための旅。安道嵐の「第二部」は、泥と血、そして未知の変異と共に加速していく。




