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からくり空手  作者: 水前寺鯉太郎
第2部

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第16話:新しき旋風、国境を越えて

『からくり空手』

第16話:新しき旋風、国境を越えて


 アマゾンの密林は、日本のどこよりも生きていた。

 虫の声、獣の気配、腐葉土の匂い、そして絶え間なく降り注ぐ湿気——そのすべてが、安道 あんどう・あらしのマブイに絡みついてくる。上半身裸の嵐が巨大な滝の裏側で正拳突きを繰り返すたびに、拳の軌道が微妙にぶれた。日本で会得したはずの「くうの一突き」が、ここでは別物になる。

 ミルカラスを倒してから、半年が経っていた。

 修行に発つ前夜、嵐は道場の隅で旧「クロオビ」と向き合った。ひび割れた装甲。弾け飛んだボルト。叔父アンディが長年手入れしてきた漆黒のフレームは、もう限界を超えていた。嵐は一時間、無言でその装甲を磨き、それから静かに木箱へ収めた。翌朝、秋吉館長が手渡したのが、旧クロオビの素材を一部引き継いで改造された新型アーマー——「クロオビ・昇龍」だ。見た目は似ている。しかし、纏った瞬間の重さが違う。叔父の重さではなく、嵐自身の重さがした。

 「甘いぞ、嵐! マブイが湿気に溺れている!」

 滝の脇で腕を組むビリーが怒鳴った。第14話の準決勝で嵐に敗れたアメリカ代表が、なぜここにいるのか。嵐自身、いまだに答えを半分しか知らない。ビリーはただ「俺の哲学はまだ完成していない」とだけ言い、ブラジル行きに同行した。

 「この湿気と熱で、マブイの伝達が日本と全然違う」

 「それが世界の壁だ。からくりは環境に支配される。だがお前の空手は、環境を支配しなきゃならねぇ」

 ビリーの目が、密林の奥へと向いた。「来やがったぜ」

 木々がなぎ倒される音がした。三体のからくりドローンが先導し、その後ろから一人の男が姿を現す。黄色と緑を基調とした、関節部が露出した柔軟型アーマー。まるで踊るように——しかし一歩ごとに周囲の空気が揺れていた。

 「あなたがアンディの甥か。日本の舞台で勝ったくらいで、世界の顔をされては困るね」

 ブラジル代表・シルバ。カポエイラ・マブイの使い手にして、次期ワールドカップ優勝候補の一角だ。

 「始めようか」

 シルバがステップを踏んだ瞬間、嵐の平衡感覚が消えた。

 地面が傾いた感覚ではない。自分のマブイが、自分に逆らい始めた。嵐が正拳突きを放つと、拳の軌道が途中で歪み、自分の肩へと返ってきた。「重力攪乱グラビティ・ジンガ」——シルバのマブイが周囲の空間に干渉し、嵐自身のエネルギーを嵐自身の敵に変えている。

 「おっと。自分の拳に打たれるとは、空手家も大変だね」

 これは染川の振動でも、ビリーの円でもない。自分のマブイを信じることを、そのものとして奪ってくる技だ。嵐は「クロオビ・昇龍」を起動させようとしたが、装甲が呼応する前に自らの出力が歪んで散る。

 「……ビリー、手は出すな。これは俺の修行だ」

 嵐は目を閉じた。泥だらけの指先を、ジャングルの地面に深く突き立てる。

 遠野が教えてくれた。大地は嘘をつかない。シルバがどれだけ空間を歪めても、土の感触だけは変わらない。嵐はその確かさを起点に、自らのマブイを「昇龍」を通じて大気へと開いた。湿気、熱、シルバが乱した重力の波——それらすべてを逆位相で飲み込むのではなく、ただそこに在る。

 シルバの足が、一瞬だけ止まった。

 「……なぜだ。ジンガの波形が——吸われている?」

 嵐が跳んだ。

 重力に逆らうのではない。シルバが歪めた重力の「流れ」に乗り、その先端で踵を絞る。叔父アンディの代名詞だった空中技を、嵐が自分の言葉で書き直した一撃。

 踵がシルバの肩口に落ちた。音は一つ、重く、短く。

 シルバはジャングルの泥の中に深く沈み込み、そのまま動かなくなった。

 静寂。遠くで鳥が鳴いた。

 ビリーが低く口笛を吹いた。「歪みねぇな、今の蹴り」

 嵐はシルバに手を貸し、引き起こした。シルバは泥だらけの顔で天井——木々の隙間から覗く灰色の空——を見上げ、それから嵐を見た。

 「……あなたのマブイは、アマゾンの空気を飲んだね。次は、もっと面白くなる」

 「ワールドカップで待ってる」

 嵐は答えながら、自分の拳を見た。「昇龍」のフレームに、叔父の古いアーマーの黒が、かすかに残っている。重さは変わった。しかし、脈動は変わらない。

 その夜、ビリーから衛星回線で一通の連絡が届いた。差出人は後藤。本文は一行だけだった。

 『ミルカラスが動いた』

 嵐は画面を閉じ、暗いジャングルを見つめた。「昇龍」が、静かに鼓動を打ち始めた。

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