5-3、泡沫②
〇×
時は遡り二日前。
宮城県仙台市某所。
人々が行き交う街の中心を、古川尚也は闊歩していた。
仙台駅から広がる無数の商店街は、平日の昼間から賑わいを見せている。ショッピングを楽しむ観光客に、見慣れた景色を歩く周辺住民の皆々様。
——平和だ。
通り過ぎる人々の顔を横目で見つつ、浮かぶ笑顔に焦燥の息を吐き出す。
怪異出現率全国No.1の街、仙台。
人口密度の高い東京23区を軒並み抑えての結果から、怪異対策本部は仙台への警戒を高めていた。理由は不明だが、過去五年間この記録が破られたことはなかった。
現に、仙台駅から歩くたったの十分の間で、狐の仮面をつけた隊員を十三人も見かけている。
と、いうのにだ。
行き交う人間は、何一つ警戒の色を見せていなかった。日常を謳歌する隙だらけの姿に、恨めしさすら湧き上がるほど。
別の街を仕切る支部長として浮かぶ複雑な心境を胸に、尚也は歩みを続ける。本日の目的地まであと五分もあれば着くだろうか。
——そろそろかな。
携帯電話の電源を落とし鞄の奥底へしまい込んだ。
今日の行動は、まだ、本部の誰にも見つかってはいけない。
向かう先は、小井戸美帆の生家だった。
事件に巻き込まれた彼女の避難場所でもあり、安全地帯でもある場所だ。
表向きは、小井戸美帆の経過観察。二次被害を防ぐため、怪異による不審な訪問が無いか等の聞き込みに、精神面や身体面での回復状況の把握。怪異対策本部として、川崎支部の支部長として、自身の管轄圏内で起きた事件の被害者に向き合う行動である。
一方、その裏では、
——如何にして情報を引き出すか。
ただこの思いに尽きる。
小井戸を心配する気持ちは本物だが、それよりも事件の真相に近付くことが最優先だと判断した。それまでだ。
尚也はスーツの襟を正すと、ひとつ、息を大きく吸い込んだ。
豪華な門扉に、大理石の表札に彫られた『小井戸』の文字が輝かしい。大きな家を隠すように生える木々は青々としていて、手入れが行き届いていた。
——分かってはいたが、かなりの豪邸だな。
煉瓦に埋め込まれたインターホンへ指先を伸ばし、袖越しに一回。チャイムを鳴らす。掠れた機械音が響くと同時に、バタバタと慌ただしい音が家の中から聞こえてきた。
それから数秒程して機械が音を立てる。
『はぁい』
久しぶりに聞いた小井戸の声は、想定よりも元気そうだった。
「こんにちは、古川です」
『えっ! 尚也先輩?!』
「うん。急に来ちゃってごめんね。もし良かったら少しだけ……」
『今開けます!!』
手にしていた紙袋をインターホンへ見せる前に、小井戸は離れていってしまったようだ。再び家の中から賑やかな音が聞こえ、暫くの後に玄関扉が大きく開いた。
「お久しぶりです!」
「久しぶり。体調はどうかな、と思ってね」
「体調はすこぶる良いですよ」
門扉まで開け、小井戸は此方を招き入れる。一度は断るものの、彼女が「どうぞどうぞ」と言うならば仕方がない。
立派なガーデンを歩くすがら、小井戸は世間話を止めなかった。最近美味しいものを食べた、とか、飼ってる犬が新しい芸を覚えた、とか。傍から見れば可愛らしく微笑む彼女の表情を、尚也は見たことがあった。
——あんまり、……いや、かなり良くなさそうだ。
元気に歩くところを見ると体調は良いのだろう。ただ、気丈に振る舞うその姿は、あの事件から回復したとは言えない。
「——先輩、尚也先輩! アールグレイ、飲めますか?」
はっ、と顔を上げれば、先程小井戸が飛び出してきた玄関口に辿り着いていたらしい。
「飲める、けど、本当にお邪魔して良いの?」
「ええ、今日は母も父もお仕事ですから遠慮なく。……あ、犬アレルギーとかないですか?」
「無いから大丈夫だよ」
お邪魔しますと続けて潜った玄関の先は、これまたどうにも華やかなものだった。埃ひとつないペルシャ絨毯に、大きな観葉植物に、カチカチと重たい音を立てるアンティークな柱時計。家族三人で笑い合う写真と、それから。
鎖で縛られた大きな鳥が長い剣で貫かれているような彫刻がひとつ。
——この彫刻、どこかで見かけたな。
あまりの趣味の悪さから、この造形だけが頭の片隅で眠っている。
ただの記憶違いなら問題ない。ただ、尚也が引っ掛かる違和感、それ即ち怪異絡みであることが多いのだ。スーツの内側に隠していた小型カメラを向け、静かに撮影をした。
しかし何故、こんなものが小井戸の実家にあるのだろうか。他の小物と比べると妙に浮くコレは、一体全体何なのか。思わず手が伸びそうになった所で、背後から小井戸の気配が戻ってきた。
「先輩? リビングはこっちですよ」
「ん、いいや。立派な時計だなあと思ってね、魅入っちゃったよ」
咄嗟に手を引き柱時計を指させば、小井戸は納得がいったように笑う。
「えへへ、友達にもよく言われます。母と父のコレクションなんです。アンティークなものが好きで、リビングにも沢山ありますよ」
流れるように到着したリビングは言わずもがな、小綺麗な場所だった。よくよく見れば多種多様の物が置かれているものの、しっかり整理されている印象だ。
「良かったらどうぞ。こんなものしか出せませんけど」
少しばかり落ち着かず辺りを見渡していれば、ことん、とティーカップが手前に置かれた。続くように置かれた小皿にはふっくらとしたクッキーがふたつ。
「むしろ申し訳ないくらいだよ」
芳醇なアールグレイの香りに、背筋が伸びる。ひと口含めば上質なことがよく分かる風味だ。
しばらく無音の中で茶を嗜むふたり。先に口を開いたのは、小井戸からだった。
「あの、……尚也先輩は、今日、どうしてここに?」
たどたどしく発された声は、酷く掠れている。
「ああ、うん。本当は先に話すべきだったな」
尚也は立ち上がると、隣に置いていた紙袋を取り出した。そして深く頭を下げる。
「先日の事件、美帆ちゃんを守れず本当に申し訳ない。総力を上げてすら三日もかかってしまったのは、私たちの不徳の致すところだ」
「……その言葉のためだけに、ここまで?」
同じく立ち上がり一歩引いた小井戸は、戸惑った様子を見せていた。
「ええ。お伺いが遅くなったことも申し訳ない。本来なら親御さんが居る時に来るのが筋なんだけど、どうしても今日じゃないといけなくてね」
再び頭を下げれば、小井戸は首を振った。イマイチ感情が分からない仕草だ。
——でも、これならいける。
「と、まあ、ここまでが私、怪異対策本部川崎支部の支部長である古川尚也からの本音。……で、今からは俺個人の身勝手な行動であることを念頭に話を聞いて欲しいんだけど。良いかな?」
尚也は鞄からひとつの端末を取り出すと、机の上に置いた。被害者であるものの、未だ加担した可能性を否定出来ない彼女に有無は言わせない。
怪異対策本部は、警察ではない。探偵でもない。ただ、怪異に関する物事の全てを取り扱う団体にすぎない。だからこそ、出来る事もあるのだ。




