5-3、泡沫③
尚也は一息吸うと、固まったまま動かない小井戸の肩に触れた。そして、机の上へ置いた端末を開き一枚の写真を見せる。
昨晩こっそりと撮った白石伶の写真だ。凌雅と共に食卓を囲み、談笑している姿が映っている。
「良く聞いて欲しい。まずはじめに、白石伶が見つかった。今は怪異対策本部内で保護をしている。これはその写真だ」
小井戸は眉を寄せると、小さく息を吐き出した。
「伶さん、本当に伶さんなんですね。……、っ、良かった」
崩れ落ちそうになる小井戸を支えながら、尚也は唇を噛んだ。彼女が近くのソファへ座るのを見届けて再び口を開く。
「先に言っておくが、今日この場で行われた俺と美帆ちゃんの会話は内々に処理するつもりだ。この前、君を保護し、秋坂怜を処分したあの日。君が証言した全ても、俺と凌雅の間で『誘拐監禁後の錯乱状態にて、これ以上の証言は不可』と内々に処理している」
だから。
ゆっくりと小井戸へ歩みを進めると、声を低くして囁いた。
「だから今、この場で本当のことを話せ。あの日、あの場で何があったのか。君が嘘をついていることは、もう分かってる」
小井戸は動かない。ただ尚也を見つめ、潤んだ瞳を震わせるだけ。彼女はもう言われなくても分かっていたのだろう。しばらくの沈黙の後、小さく震えた唇に、尚也は待てと手のひらを見せた。
「話して欲しいことは、ひとつ。君と伶さんの関係性と、あの日あの場で何があったのか。それから頼みたいことが、ひとつ。これはまた後で話し合おう。……話せそうか」
左の指を二本、ぴんと立てれば小井戸は頷いた。
動揺していながらも確りと口を開くところを見ると、積み上がる罪悪感に押し潰される直前だったのだろう。
掠れた声が紡いだ内容は、納得に値するものだった。
小井戸の話をまとめると、秋坂怜と白石伶は利用するされるの関係であったことは間違いない。
ここで秋坂怜と対峙した屋上を思い出すと、引っかかるのは「ボス」という単語だ。
秋坂怜と白石伶は、白石伶の姿を利用してひとつの犯罪を起こしてみせた。一方、その裏には「ボス」なる存在が居ることが分かっている。
秋坂怜の反応を振り返るに、ボスとやらは黒澤陽光だろう。その協力者として赤塚兼吾。そして、白石伶に、秋坂怜。
——結局、三年生の全員かよ。
自然と上がる呼吸に、頬を強くかく。
「美帆ちゃん、話してくれてありがとう。一個聞きたいんだけど、倉庫——君が閉じ込められていた場所には、白石伶と秋坂怜の他に出入りしていた人はいたかな?」
「えっと、同い年くらいの男の子が二人。名前は分かりません。顔も、……すみません思い出せません。彼らは食事や生活用品などを届けてくれていただけで、直接話すことはありませんでした」
「なるほど」
優しい子の心に漬け込んだ犯罪で、敵の大将が顔を出すことは流石にないか。少なくとも今回は、小井戸の白石伶に対する恋慕にも近しい感情を利用した犯罪だった。
尚也は立ち上がり、もうすっかり冷めたアールグレイを含む。それからクッキーを折って、小さな欠片を口の中へ放り込んだ。
「あの」
「ん?」
「その二人の男の子は、……多分、怪異だと思います」
尚也の一挙手一投足を追いかけていた小井戸が、ぼそりと呟いた。
「怪異って、現れたり消えたりする時にパチンと音を鳴らすじゃないですか。あの二人が部屋に来る時は、大抵私が寝たあとだったんですが、毎度破裂音がうっすら聞こえていたんです」
「ほう。秋坂怜、ないしは白石伶が一緒に行動していたかどうかは分かる?」
「……いえ。伶さんは無いと思います。伶さんだけは、扉を使って出入りしてましたから」
同じようにクッキーへ手を伸ばした小井戸は、小さな口で頬張りながら答えた。
「その言い方だと、秋坂怜には可能性があると?」
「はい。秋坂のレイさんは音もなしに現れますよね。就寝時間になったら音だけを聞いていたので、レイさんがそこに居たかどうかまでは分かりませんが」
残りの欠片を含んだ小井戸は、何度か咀嚼を繰り返した後、「あれ?」と首を傾げた。
「音が鳴らない怪異なんているんですか?」
「今更だな。結論から言ってしまえば、そういう怪異はいる。ただ数は少ない。虚空に消えて現れるなんてそう簡単に太刀打ち出来ない能力の、唯一のデメリットが備わってない希少種みたいなものだよ」
「希少種、……へぇ」
納得、と頷く小井戸は、落ち着かないのか何度もティーカップに口を付ける。
「あと一個だけ質問いいかな」
「……はい」
「倉庫の中で食べたご飯、できる限りで良いから思い出せる?」
「えっと、多分全部覚えてると思います。ただ少しだけ時間を貰えますか? 伶さんやレイさんも食べていたので、量が多くて」
「分かった、構わないよ」
しっかりと頷けば、小井戸はゆっくりとした動作で動き出した。
テレビ台に載せられていたブロック型のメモ帳へと、記憶をなぞるかのようにペンを走らせていく。
菓子パンに惣菜パン、おにぎり、お弁当、飲み物。
事細かに綴られる食物の数々。よく覚えてるな、と感心すると同時に、尚也は目を僅かに開いた。
——アイスとかき氷、ね。
犯行は六月。まず宵の口大学から遠いコンビニで買っていれば溶けてしまうことを考えると、食材の調達は大学の近場で行われていた可能性が高い。万が一にも車を使っていた場合は、大学へ車両入校届けが提出されている、ないしは、大学近くに車を停めているだろう。それならば、凄腕のハッカーがいない限りは簡単だ。
——半径5KM圏内のコンビニエンスストアを調査しよう。
無数にあるコンビニエンスストアの種類だが、小井戸達が食したものからある程度絞れている。さすれば、この事件に関与した二人の男の正体も分かることだろう。
「あの、尚也先輩。書けました」
メモ用紙三枚に渡る内容を受け取って、文字をなぞる。
現場検証で分からなかったアレソレがこんな簡単に分かるなら、もっと早く来ていたらと思う反面。小井戸をなるたけ傷付けずに話が出来ると確信したのは、白石伶が生きていたからでもあった。
メモ用紙を丁寧に丸め、スーツの胸ポケットへしまう。
「うん、ありがとう。そしたら話して貰いたいことはここまで。……それで、頼みたいことがあるんだけどさ」
再びティーカップを手にしていた小井戸に、尚也は静かに語りかける。彼女は小さく頷くと、視線だけは尚也にしっかりと向けた。
「君の携帯をコピーさせて欲しい。悪用はしないと誓うよ」
「コピー……?」
「ここに専用の機械を通せばあっという間にね」
鞄から取り出した小井戸の携帯と同じ機種と、怪異対策本部の情報部から借りた機械を見せる。すると、小井戸は「あぁ」と呟いて、自身の携帯を差し出した。事件時に証拠品として回収したものと何一つ変わっていない。
「良いですよ、なんでも」
ソファの上に置かれた携帯についたマスコットが揺れる。
「協力助かるよ。二、三分貰えるかな」
尚也が携帯を手に取ると同時に、小井戸は大人しく立ち上がった。
「私も、少しだけ席を外しても良いですか」
「構わないよ」
静かに部屋を出ていく背中を追いかけながら、作業は手早く進めていく。実を言えば、この携帯をどう使うかのシナリオは未だ出来ていない。ただ、白石伶の心を揺さぶるには十分であると、それだけの理由だった。
——できた。
時間にして三分。尚也が持ってきた携帯を起動すれば、小井戸のものと全く同じ画面が表示された。中身に関しても問題ないだろう。
「出来ましたか?」
「うん、問題なくね」
「へぇ、技術ってのは凄いですねぇ」
かりかりとした足音が近付いて来ると同時に、品のある香りが鼻腔を擽った。
どうやらこの空き時間を使って、新しい紅茶を入れてくれたようだ。ついでに子犬が小井戸の後を着いてきている。犬種はトイプードルだろうか。クリーム色のふわふわな毛が揺れる様は随分と可愛らしい。
「基本は噛んだりしないので触っても大丈夫ですよ」
小井戸は紅茶を置くと、優しい手つきで子犬を抱き上げソファの上へのせた。そんなに顔へ出ていただろうか。くぅくぅ、と小さく鳴きながら、尚也の太ももの感触を確かめている様はどうにも愛らしくて仕方がない。
「あと、これ。必要なんですよね」
しばらく子犬のあたたかさを堪能していると、小井戸が隣に座る。そして尚也の空いた手に何かを置いた。思わず視線で追いかければ、小井戸の携帯に付けられたマスコットと全く同じものがひとつと、スマホカバーだった。
「……これ、いいの?」
「いいですよ。このマスコットは限定品でもう販売していませんし、機種も古いものだからスマホカバーも廃盤のものなんです。どうせ探すつもりだったんでしょ」
——ああ、なるほど。
白石伶が小井戸美帆を気にいる理由も、利用した理由も何となくわかる。
小井戸は人の懐に入るのが上手い、と尚也は思う。
控えめな笑顔で、それでいて砕けた話し方は親しみやすい。
「ありがとう、大切に使わせてもらうね。それから最後に、ひとつだけ頼み事があるんだけど」
「はい」
「今夜、伶さんに電話をして欲しい。内容は、俺がここに来たこと以外なら何でも良い。君が話したいことを話してくれれば、それで良い。演技なんてしないで、本心で話して大丈夫」
小井戸は顔をあげると、眉をひそめた。
意図がわからない、というような表情だ。しかし湧き出す全てをぐっと飲み込んだのか、数十秒の間が空いた後に、小井戸はか細く答える。
「分かりました」
——まだ読めないのが怖いな。
今夜、小井戸が白石伶に今日のことを話す可能性はゼロではない。むしろ話してくれた方が都合が良いが、正直何とも言えないというのが現実だ。
尚也はまだ湯気の出るカップを口につけた。少々熱めのアールグレイは、乾いた唇を潤すと同時に、柑橘の香りが鼻をぬけていく。
「美帆ちゃん、これだけは言っておくよ。俺は白石伶をとっ捕まえて警察に差し出すようなことは断じてしない。むしろ怪異や警察から守る側だからね」
「え」
「そりゃ、今後の捜査で何人も人を殺してました、となったら話は別だけど。今は怪異に協力して君を誘拐し監禁した、という事実しかない。まだ大きな声では言えないけど、白石伶の裏にはもっと巨大な何かが居るんだよ」
今日ここに来た目的は、何も事件当日の事情聴取や協力を仰ぐだけではない。地元に戻り療養中の小井戸美帆本人の様子を伺い、ケアをする事でもあるのだ。
未だあの日のことを引き摺る彼女には、事実を開示することで、少しでも負担を減らしてあげることが最前だと尚也は思う。
カップの底に残ったアールグレイを飲み干して、ひとつ残ったクッキーを頬張った。ゆっくり話していたため、時間があまりない。あと三十分後の新幹線に乗らなければ、別件の打ち合わせに間に合わない。
「あの、いっこだけ良いですか」
尚也が立ち上がった瞬間だった。スーツの袖口を引かれると同時に、小井戸が疑問を口にする。
「ん?」
「私、あの時の演技、下手くそでしたか?」
その瞳は、純粋な想いで溢れていた。
「……いや、俺は下手だとは思わなかったよ。まだ演劇歴は短い凌雅ですら、一瞬は騙されるほどにね」
「そう、ですか」
「でもね美帆ちゃん。これだけは言っておきたいんだけど、ああいう演技をするのは良くないな。少なくとも暁では、人に嘘を付くための演技は教えていない。それに……」
尚也は一息つくと、ジャケットの皺を整えた。
空いた少しの間に、小犬と小井戸が尚也の顔を不思議そうに眺めてくる。
「今後はそんな演技をしないで欲しいな。人を騙すのは、悪人か、俺たちだけで十分だよ。是非その演技力は演劇の中で使って欲しいと思う。まあ、全部俺個人の身勝手な意見だけどさ」
これもまた、本心だ。
本来社会の裏側や悪しき所を目にする必要のなかった子たちが、ひょんなことから事件に巻き込まれるのは日常茶飯事な世界。とはいっても、自分が関わりのある人間が足を踏み入れていく様は、出来る限り見たくはない。
尚也の言葉を噛み砕いている最中の小井戸を横目に、帰り支度を進めていく。
「あと、今晩から川崎支部の人間を何人か仙台に派遣する。万が一のことが無いようにするから、安心して欲しい」
データをコピーしたスマートフォンに、貰ったスマホケースとストラップを、忘れないよう鞄の中にしっかりと詰め込んでいく。
再び小井戸の様子を伺えば、彼女はソファの上で膝を抱えて丸まっていた。小犬が心配そうに彼女の顔を舐めては、静かな鳴き声をあげている。
「大丈夫、必ず守るから」
小井戸がこの言葉を欲しがっている訳ではないことは分かる。でも、これ以上の何かをあげることは、尚也には出来なかった。
「ごめんね、片付けも何も出来なくて。アールグレイとクッキーも美味しかった、ご馳走様」
この場に凌雅が居たら怒られていただろうか。
膝に顔を埋めて一言も発さない小井戸は、小さく呻く。何を言っているかは聞き取れないが、泣いている事だけは分かってしまう。
この先の人生に対する不安か、話すまいと決めたことを簡単に話してしまったことか、はたまた、それ以上の重たい感情か。
尚也はひとつ息を吐き出すと、足をゆっくり動かした。
これ以上ここにいることは出来ない。伸びそうになった手を引っ込めて、鞄を握りしめる。
「……今夜、よろしくね」




