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箱庭物語【第一部 前半 完結】  作者: 彩都 らく
第五章、二人目
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5-1、記憶喪失②


 〇×


「……この人は、間違いなく、……白石伶、ですね」

 

 怪異対策本部 川崎支部の地下にある重々しい扉を潜った先。独特な薬品の香りが漂う医務室にて。

 

 真っ白いベッドに横たわった人物は、白石伶本人で間違いない。

 

 ウルフカットの黒髪に、中性的で美しい顔立ち。夏の始まりには暑いだろう黒のレザージャケットもまた、彼女が愛用していた服だった。そして。

 

 ――……この甘い香りは、いつものだ。

 

 伶に近付くほどに鼻腔を支配する甘ったるい匂いは、暁の三年生が喫煙する時につかう香水のかおりだった。

 

「白石伶はどんな状態でしょうか」

「うぅん。意識はないけれど、健康そのものだね。ただ眠ってるだけに近い。身体も見させて貰ったが、怪我のひとつも無いよ」

 

 尚也の問いに答えたのは白髪の医務室長だった。

 声の方へ顔を向けると、室長はベッドの傍に置かれた椅子へ足を組んで座っている。その細い眼鏡の下にある瞳は鋭く光っていた。

 

「ただ、……こんなものが上着のポケットにあってね」

 

 がさりと卓上に取り出されたのは、薬の空シートだった。二錠綴りの、小さなパッケージ。裏面には大きく薬の名前が表記されている。

 

 ――……これは。

 

「睡眠薬、ですよね」

 

 激務な仕事であるからこそ、こういった薬を見ることも少なくはない。

 

「うん、正解。これはウチみたいな簡易診療所でも取り扱い出来る薬の一種だね。そこまで深い眠りを誘うものではない。もしこの薬を彼女が服用していたとして、何時間も起きないなんてことはないだろう」

 

 空のシートを手のひらに載せた室長は、穏やかな声色で続ける。

 

「ひとまず、血液検査はすでに研究所の方へ依頼した。彼女が起きたらこちらで詳しい検査も進めていこうと思うけど、どうだろうか?」

「問題ないです。ありがとうございます」

 

 尚也の解答に対して満足げに頷いた室長は、椅子を回してこちらへ背中を見せた。作業の途中であったようで、これからはそちらに集中するようだ。

 

 ――それにしても、何故このタイミングで?

 

 白石伶の家宅捜査は終わった。秋坂怜の自宅にも、調査が入った。物事のひとつひとつが段落を付けていく中、霞みがかり消えかけていた人物が突然と現れた。

 

 もう、誰しもが助からないと思っていた。いつものように、時間と共に失踪扱いとなり、そのままこの世界から亡くなってしまうものだと、皆が口に出さずとも薄っすら思い始めていた頃だった。真相を追い続ける怪異対策本部の面々だけではなく、暁のメンバーもまた、察し始めていた頃だった。

 

 ちらりと、眠り続ける伶を見やれば、彼女にかけられたタオルケットが上下に動いている。

 

 ――ちゃんと、生きている。

 

 耳を澄ますと聞こえてくる寝息。確かにそこにいる体温。その温もり全てに安心すると同時に、形容しがたい感情がこみ上げてくるのは一体全体何なのか。焦慮、焦心、焦燥、そのどれにも当てはまらない。不安、屈託、懸念、そのどれでもない。

 じゃあ、本当に何だというのだ。目の前の人間は生きている。そして、眠っているだけ。それなのに、どうして――……。

 

「古川くん。呼吸はゆっくりね」

「……、……はい」

 

 閉じていた目を開けると、室長がこちらを覗いていた。慌てて深呼吸を繰り返せば、知らずのうちに上がっていた自身の呼吸は落ち着いていく。


 

 それから、ものの十分くらい。

 室長が用意してくれた白湯を飲みつつ、現状をまとめるようにのんびり頭を動かすことしばらく。

 静かな部屋に、ノックの音が響いた。

 

「どうぞ」

 

 室長の返事と重なるように開かれた扉の向こうには、凌雅の姿があった。一緒に行動させていた勇志がいない所を見ると、別の仕事でも入ったのだろう。

 

「失礼します」

 

 凌雅は、いつもよりか落ち着いた声で礼儀正しく頭を下げながら入室する。一瞬、ベッドの上に横たわる伶へ視線が向いた。

 

「監視カメラは確認出来たか?」

「はい、ばっちり映ってました。ただ、……例の如く、少しおかしい様子が記録されていまして」

「と、いうと?」

「映像を見てもらった方が早いかな、と思います。先生、この机借りますね」

 

 凌雅は手に抱えていたノートパソコンを開くと、慣れた手付きで動画ファイルを開いた。

 医務室へ来る前に、凌雅には本件を頼んでいたのだ。

 

 ――白石伶が倒れていた場所にもよるが、怪異対策本部に設置された監視カメラのどこかには、彼女が映っている可能性がある。それらを探してきてくれ、と。

 

「わたしが見てもいい映像なのかな?」

「ええ、むしろ一緒に見て貰えると助かります」

 

 凌雅の指が再生ボタンに触れた瞬間、疑問を投げかけたのは室長だった。尚也はそれに即答する。

 

「じゃあ、見させて貰おうかな」

 

 室長の言葉を経て、動画は進んでいく。

 何ら変哲もない、怪異対策本部 川崎支部の入り口前。朝日に照らされ白む世界の中、重々しい門が動画の中央で佇んでいる。仮面をつけた隊員の出入りはまばらで、体感十数分に一度か二度か。

 

 そうして、早送りで進んでいく動画が等速になった時。

 画面の端から現れたのは、紛れもない、白石伶の姿だった。

 

 ふらりと身体を揺らしながら歩くその様は、まさしく千鳥足。画質が荒く、表情こそ見えないが、正常な意識を持っている様には思えなかった。

 

「まるで酩酊しているみたいだね」

「俺も思いました」

 

 室長と凌雅が声を揃える中、尚也は静かに映像の行く末を見やる。

 白石伶は、くらり、ゆらゆらと左右へ振られながらも、入り口の前へと歩いていく。そして、辿り着いたその刹那。その場へと倒れ込んだ。そして隊員の一人が発見する時まで、動くことはない。

 

「……うぅん。別角度の映像ってあったりする?」

「あるんですよね、それが」

 

 一通り見終わった後、尚也は小さく呟いた。対して、凌雅は新たな映像ファイルを開く。

 そこには、見たかった映像が流れていく。

 

「うん、なるほどね」

 

 ――この白石伶は、人間(ホンモノ)の可能性が高い……、と思いたい。

 

 監視カメラが捉えられるギリギリの距離から、伶はふらつく足で歩いていた。秋坂以外の怪異が白石伶を演じている、という可能性は少ないようにも思える。が、この決めつけは良くないだろう。

 室長が回してくれた血液検査の結果が出るまでは、怪異である可能性も考慮し続けなくてはならない。

 

「しかし、彼女の様子はどうにも変だね。歩く様子を見ると、眠っているようには思えない。でも、普通の状態という訳でもない。……が、今ここにいる彼女は健康体そのものだ」

「アルコールは検出されてないんです?」

「うん。一切」

 

 ――そうなると。

 

「伶さんが起きるのを待つ形になりますかね」

 

 話しのまとめに入ろうとする室長に、尚也は自身の結論を吐き出した。

 この先ばかりは、検査の結果を待ち、そして何よりも、伶本人が起きてからの解決を願うばかりだ。これ以上どうこう考えても、答えは出ない。


 

 そして、時が経つこと数十分。

 リビングの片付けを終えた沙葉と合流した尚也は、医務室にて事務作業を進めていた。凌雅は街中の見回りのため、数分前に出ていったところだった。

 

「……あ」

 

 と。掛布団の上に乗せられていた伶の腕が、ぴくりと動いた。

 思わず漏れ出た尚也の声に、室長が「シー」と人差し指を立てる。

 だから、静かに見守っていれば。もぞもぞと動く伶の身体は、覚醒の糸を辿っているようだった。

 

「……ここは、……」

 

 小さな呻き声と同時に起き上がった伶は、首を動かして周囲の様子を伺っている。天井を見やり、部屋中を見まわし、そして最後には室長と尚也を捕捉すると、黒い瞳を大きく開いた。

 

「え、……尚?」

 

 状況を把握したのか、飛び出した伶の声は、わずかに掠れていた。

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