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箱庭物語【第一部 前半 完結】  作者: 彩都 らく
第五章、二人目
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5-1、記憶喪失①


 ――白石伶(しらいしれい)が発見されるまで、残り二時間。

 ――氷沼俊介(こおりぬましゅんすけ)の訃報まで、残り六十一日。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 湿気高い季節が終わりを告げ、からりとした空気が街を満たす、午前五時。 

 夜の名残を押し出すかのように、朝日が大地を包み込む頃合い。 

 鼻腔をつつく香ばしいトーストの匂いに、古川尚也(ふるかわなおや)は目を覚ました。

 

 ――久しぶりの感覚だ。

 

 程よい時間にベッドへ入り、来たる朝日と共に起床する。誰かが作る朝餉の温もりに身体を起こし、ほぅっと安堵の息を吐き出した。

 

 ――こんなに頭がすっきりしたのは、果たしていつぶりだろうか。

 

 少なくとも、宵の口大学に入学を決めた時以来で間違いない。怪異対策本部の仕事には深夜業務も含まれるからこそ、眠ることに対する意識は無くなっていくものだった。起きていられる限りは起き続け、積み重なるばかりの仕事を崩していくばかり。

 

 そんな生活に、ひと段落ついたのがつい昨日の事だった。

 

 世間を騒がせた噂の怪異、アキサカ。人殺しこそしてはいないが、人を誘拐し、幾多の人々を騙した張本人である。もう既に、この世には居ない。尚也が壊した(コア)と共にアキサカは消えた。

 そんな彼の身元が、判明したのだ。


 尚也は大きく伸びをすると、共有スペースであるリビングに足を伸ばす。寝間着のままだが、聞こえる声から察するに、このままでも何ら問題のないメンバーが集結していることだろう。ためらいも無く扉を開ければ、そこにいるのはやっぱり。

 

 後輩であり気の知れた同僚でもある、嶋山凌雅(しまやまりょうが)新谷沙葉(しんたにさよ)の二人だった。

 

「おはよう」

 

 部屋の中央に位置するダイニングへ腰かけながら挨拶をすると、

 

「おはようございます、先輩」

「おはようございます!」

 

 なんて。元気な声がふたつ、同じ方向から飛んできた。視線を向ければ、彼らは仲良くキッチンに立っているようだった。自分とは違い、彼らの手作りは舌鼓を打つほどに美味しいのだから楽しみだ。

 

 現に、机の上には思わず手を伸ばしたくなるような朝餉が並んでいる。

 

 部屋まで匂いが届いていた、こんがりと焼けたトーストに、端がカリっと丸まったベーコン。更には、色とりどりのサラダまで用意されていた。

 

「随分豪華じゃないか?」

「そうですか? 久しぶりに時間が余ったので、つい」

 

 半熟の目玉焼きがのったフライパンを片手にやってきた凌雅へ問いかけると、彼は小さく笑った。

 

「私も、珍しく早起き出来たので。先輩もコーンスープで良かったですか?」

 

 それから、凌雅の後ろを着いてきた沙葉が、スープの入った器を尚也の前に置く。

 

「もちろん。ありがとう」

 

 更に加わった食欲をそそる匂いに、腹の虫は限界を迎えようとしている。

 

 朝餉を用意してくれた二人が着席するのを待ちながら、どれから口に運ぼうかと考えること数十秒。

 

 着席して「いただきます」と声を合わせる二人に続いて、手を合わせ、食事を取ることしばらく。

 

「……そういえば、」

 

 箸を動かしながら、一番に口を開いたのは凌雅だった。

 

「昨日、解析チームから連絡が来てましたよね。アキサカレイの件で」

「ああ、そうだな」

 

 トーストにたっぷりのジャムをのせつつ、尚也は相槌を打つ。その様子に凌雅は一瞬眉を顰める。飛び出す疑問を飲み込むことはしないようだ。

 

「結局、真相は掴めたんですか?」

「……いいや。でも、核心には近付いたよ」

「ふうん」

 

 煮え切らない尚也の解答に、凌雅は小さく息を吐き出した。続きを早く話せと言わんばかりの視線を向けながら、サラダを箸で突いている。

 

「アキサカの自宅は、高津区(たかつく)にあるアパートの一室だった。でも、……そこには何もなかった」

「何も?」

「うん、何も。生活していた跡がない、っていうのかな。布団とか冷蔵庫とかそういう家具が無ければ、服の一枚も無かった。あったのは……」

 

 淡々と話す尚也に、口を閉ざしていた沙葉が顔をあげる。

 

 アキサカの自宅へ足を運んだのは、つい昨日のこと。その時に見た異様な光景は忘れもしない。扉を開けた瞬間に、空き家の独特な匂いが鼻をついた。と思えば、目の前に広がるのは何もないただの空間だった。

 

 トーストの角を齧り、飲み込み、それから話を続ける。

 

「アキサカレイが今まで偽造した身分証のみ。玄関に、三枚置いてあった」

「「三枚?」」

 

 指をみっつ立てると、二人の声が綺麗に重なった。

 

「うん、三枚。うち二枚はここ十年の間で作られた(にせ)の身分証で、もう一つは本物だった」

「……うん? ってことは、人間の〝アキサカレイ〟も居たってことです?」

「いいや。それは、アキサカが怪異だと判明する前の身分証だ。世田谷生まれ、世田谷育ち。……かの世田谷大襲撃で行方不明となり、もう何年も前に失踪宣言がなされた数万人のうちのひとり」

 

 紡がれた尚也の言葉に、凌雅は首を傾げた。いつの間にか朝餉を食べる手は止まり、頭の中を具現化するかのように両の手指を動かしている。一方、沙葉は一足先に理解したようで、丸い瞳を細めている。

 

「まあ、あれだよ。難しく考えなくていい。いつもと同じ事例だ」

「……ああ、そういうこと」

 

 結局のところ簡単に言ってしまえば、今回の事件、それ即ち、ありきたりで最早日常の一部となってしまった事件のひとつに過ぎないのだ。

 

 現在から十年前。

 二○○九年、八月。

 東京都二十三区に位置する世田谷区は、突如としてあちこちから燃え立つ炎と、人々の悲鳴に包まれた。怪異によって引き起こされたとされる本事件は、『世田谷大襲撃』と名付けられ、今現在も真相の追及に尽力している。

 

 世田谷大襲撃に巻き込まれ、消息を絶った人間は数知れず。

 生き残った人々の証言によると、渦中の怪異はまさに()()()()であったという。

 赤く燃え盛る炎の中、虚無から現れ、逃げ惑う人間の心臓を一刺ししては消えていく。

 

 そんな世田谷大襲撃から十年。隣接する川崎市では、事件の余波が続いていた。

 

 この大襲撃で失踪宣言がなされた人々の姿を模した怪異、ないしは、当時世田谷に住みついていたとされる怪異が、大量に発生しているのだ。あっちでも、こっちでも、巻き起こる事件の結末には「世田谷」という単語が付きまとう。

 

 ――いつまで、俺たちは世田谷に捕らわれなくてはならないんだ。

 

 静かになったリビングへ響くのは、食器がぶつかりあう音のみ。

 

 怪異との対峙が当たり前になりつつ日常は、いつになったら終わるのだろうか。それは誰にも知る由もなかった。

 

 尚也は小さなため息を吐きだすと、最後に残ったコーンスープを一気に飲み干した。まろやかで優しい味が、喉を通り過ぎて染みていく。

 

「ごちそうさまでした」

 

 久しぶりにゆっくりとした朝のひとときを過ごせた事に敬意を込めて、そして感謝の意を込めて、丁寧に手を合わせる。

 

「お粗末様でした」

 

 さすれば、二方向から飛んでくる言葉もまた、柔らかいものだった。

 

 ――……まだ、やるべきことは残っている。

 

 今日も、明日も、明後日も。仕事は盛り沢山だ。完食した皿をキッチンへ運ぶと、先に洗い物をしていた凌雅が口を開く。

 

「あの、単刀直入に聞いてしまうんですが」

「ん?」

「アキサカの件から、白石伶の行方は掴めたんですか?」

 

 じゃあじゃあと流れ続ける水が、シンクを打つ音が響く。

 

 ――それは。

 

「……一切掴めていない」

 

 というのが正しいだろう。白石伶の自宅には本件の証拠を持って捜査に入ったものの、もぬけの殻だった。アキサカの家と違うのは、そこで誰かが生活していた跡があること。それだけだった。

 

「ま、そうですよね」

 

 はあ、と息をついた凌雅は、皿洗いに視線を落とす。尚也も追うように目を向ければ、凌雅の手は赤くなっていた。

 

「皿洗い、」

「すみません、支部長居ませんか!?」

 

 ――変わるよ。

 その言葉は、突如として響いた部下の声によってかき消された。顔を上げると、扉の傍には随分と焦った様子の部下が立っている。

 

「悪い、ここに居た。どうした?」

 

 落ち着かせるように声をかければ、部下は目を大きく開いた。そしてはくはくと口を開き、言の葉を紡ぐ。

 

「あの。あ、あの、本部の前に、白石伶と思われる人物が倒れていまして」

 

「……ぇ、……は?」

 

「意識がないようで、医務室に運ばれました。それで、その、緊急で支部長を呼んで来いと言われまして」

 

 ――つまりは、どういうことだ?

 

 言葉の通り捉えるならば、白石伶が見つかったということだろう。

 

 しかし、何故今更? 事件から数週間が経った。意識がないという所も気になるし、そもそもでその人間が白石伶本人かどうかも確認しなくてはならない。

 

「沙葉、片付けお願いしてもいいか」

「……、あ、はい」

「凌雅、お前は着いてこい。勇志、道中で当時のことを詳しく聞かせてくれ。急ぎで行くぞ」

 

 回る頭で、どこか置いて行かれている三人へ指示を出す。

 

 ――まずは、白石伶本人であるかの確認が必要だ。

 

 考えれば考える程、呼吸が早くなっていく。

 一歩進みそうな事件を前に、嫌な感覚が過るのは、ただの気のせいか。

 

 古川尚也は唇を噛み締めると、本部への道を踏みしめた。

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