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箱庭物語【第一部 前半 完結】  作者: 彩都 らく
外伝01、小井戸美帆
51/53

外伝1-3、小井戸美帆③


 ――小井戸行方不明事件、四日目。

 

 ――――――――――――――

・この部屋から、勝手に出てはいけない。

・この部屋にあるものは、好きに使って良い。

・御手洗、入浴等は、決まった時間に提供する。

・不測の事態が起きた場合は、すぐに呼び出しボタンを押すこと。

 ――――――――――――――


 誘拐とは、一体全体何なのか。

 その定義から調べ直した方が良いと思えるほど、この数日間の生活は充実していた。

 

 足りないと感じたものはすぐに補充され、生きていく上で起きてしまう生理現象の全てもフォローされている。スマートフォン等のインターネットが使えないことに関しては少々不便ではあるが、話し相手には困らないのが現状だった。

 

 今現在も、小井戸の目の前には白石伶が居た。

 

 伶は、この数日間、ほとんどの時間をこの場所にいる。時々ふらりと虚無()になって出ていくが、数時間後には戻ってくる。と思えば、再び外出をしては夏のにおいをまとって帰ってくる。そんな不思議な時間の繰り返しであるからこそ、「行ってくるね」「行ってらっしゃい」なんてやり取りをしてしまうほどには、まるで家のような心地であった。

 

 そんな伶は現在、菓子パンを片手で食しながら、文庫本を熱心に読んでいる。一言を発することもなく、ただ静かに頁を捲っていた。

 

 ――この不思議な生活の中で、分かった事がある。

 

 小井戸は天井を見つめると、小さなため息を吐きだした。

 

 白石伶は、二人いる。

 

 一人は人間で、もう一人は怪異である。

 そして、たった今目の前にいる伶は怪異そのものだった。

 

 怪異ではない伶と対面していたのは、二人きりで出かけていた時の全てと、この場所で初めて目覚めた時のこと。それから新歓の演劇をしていた伶も人間だろう。しかし、それ以外の時のほとんどは怪異の伶であったと、小井戸は確信していた。

 

 ――それなら、どうしてこんなことをするのか。

 

 最初から怪異の伶だけなら、納得がいった。しかし、そうではないのが事実である。

 

「……あの、伶さん」

 

 中途半端に巻き込まれて、何も分からないまま毎日を過ごせるほど、小井戸は黙っていられる性格ではなかった。静かに、それでも良く響く声で伶へ話しかける。

 

 そうすれば、伶はゆっくりと身体を動かし、栞を挟んで文庫本を閉じた。

 

「どうしたのかな?」

「ひとつ、聞きたいことがあるんですけど」

「うん」

 

 首を傾げた伶に、小井戸は続ける。

 空気を大きく吸い込んで、ひとつ。

 

「あなたは、……誰、ですか?」

「……ぇ、」

 

 場へ広がった静寂に、伶の微かな声だけが響き渡った。

 

「あなたは、伶さんじゃないですよね」

 

 小井戸の言葉に僅かな動揺を見せた伶は、黒い瞳を左右へ揺らした後に頷いた。それから、覚悟を決めたかのように立ち上がる。

 

「うん。そうだよ」

 

 落ち着いた様子で、ひとつ。

 

「私は、伶じゃない」

 

 ――……やっぱり。

 

 目の前に居たはずの伶は、音を一切立てずに消えた。そして、一瞬の後に虚空から姿を現した。

 

 黒い髪は赤茶色へ。

 身長はわずかに伸び、その顔は全く別の男性へ。

 

 伶と比べれば幾分か筋肉のついた身体を揺らした男は、のんびりとした動作で、小井戸へ距離を詰めた。

 

 対する小井戸は、口を小さく開けたまま動くことは出来なかった。

 

 怪異は、本当に何もかもを模倣してしまう事実。そして、目の前でその変幻を目撃してしまった事実。どれもが衝撃的な情報として脳を支配していく。

 

「それでさぁ、少しだけ真面目な話をしたいんだけど」

 

 低い声が部屋に響く。言葉と同時に傍へ着席した伶……だったものを見やれば、男は歯を見せるように不器用な笑みを浮かべていた。

 

 怖がらせないための表情なのか、どうにもその笑い方は似合っていない。

 小井戸が小さく頷いたのを見届けた男は、口を開く。

 

「君は、気になったことをそのまま放置しておくことが出来ない性分だよな。この数日間、……いや、もっと長いあいだ君と話していてそう思ったんだけど」

 

 男は続ける。

 

「君のその、『なぜ、どうして』と言葉に出してしまう癖は、近いうちに君自身を滅ぼすことになるぞ。……これは、偉そうなお節介なんかじゃない。君への忠告だ」

 

 長い前髪を揺らして、男は静かに言葉を紡いだ。

 

 ――……分からない。

 

 白石伶も、この男も、随分と要領を得ない話し方をするのだ。随分と回りくどく、わざと情報をはぐらかすように話す。だからこそ、一番気になる所へ靄がかかったまま晴れることはなかった。

 

 ――どうして……。

 

 小井戸が口を開こうとすれば、男は更に続けた。小井戸に話をさせるつもりは一切ないらしい。

 

「また、『なんで?』って顔したな。……まあいい。この先の事の顛末を今から君に話そうと思う。それを聞いた上でどうするかは君次第。いいな?」

 

 男はそう問いつつも、小井戸の返事を待つつもりは無いらしい。

 

「近い未来、俺は死ぬ。怪異対策本部の手によって、お前を誘拐した犯人として殺される。……そしてお前は、怪異対策本部に助け出されるはずだ。

 すると、どうなるか。お前はこの部屋での出来事や、誘拐された時のことを問われるだろうな。その時、お前は何と答えるつもりだ。ここで見たこと知ったことの全てを洗いざらい話すか? それとも、黙秘するか?」

 

 ――つまり、それは……。

 

 小井戸は息を吸い込むと、喉の奥がつかえる感覚に顔をしかめた。

 

 ――この場での出来事を全て話すこと、すなわち、白石伶が二人居る事実を公にすること。

 

 人間と怪異が手を組んでいる事実を、公にすることと同義だ。人間である白石伶を、自身が好いて慕って堪らない先輩を、犯罪者として通報する事と同義だ。


 ――それは、普通のこと、だと思う。

 

 間違ったことをした人間を通報することは、正しい行いと言える。

 

 ――でも。

 ――でも、だって。

 

 心の中で暴れる感情は、止まることを知らなかった。小井戸が勧善懲悪を唄う正義のヒーローならば選択肢はひとつであっただろう。しかし、小井戸は違う。ただ前向きに生きてきた健気な少女だった。人と人が出会い続けるこの世の中で、恋慕にも近い情を向けた相手が、悪役であっただけなのであった。

 

 小井戸は、少しだけ考えるように首を傾げた。

 

「……もし」

 

 適切な言葉を探す様に、ゆっくりと、一音ずつ。

 

「もし、伶さんを守りたいと思ったら、どうすればいいですか」

 

 間。男は一瞬だけ目を細めた後に、鼻で笑った。

 

「……は。いい加減、自分で考えろよ」

 

 頭を抱え、吐き捨てるように紡がれた言葉は、静寂に溶けて消えていく。

 

「俺はあと数時間でこの世から居なくなる身だ。そんな無責任な奴に、お前の選択を委ねないでくれ」

 

 男は天を仰ぐような仕草をすると、もう話すつもりはない、とでも言うかのように頬杖をついた。思わず顔を見やれば、男の鋭い瞳は閉じられていた。

 

 ――自分で、考える。

 

 小井戸美帆は、自分の人生について、そのほとんどを自分で考えてきたつもりだった。分からないことは明確にして、その上で自分の意思を貫いてきたつもりだ。

 

 ――それなら、今は、どうしたらいい?

 

 守る。選ぶ。委ねる。

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 

 正解などない問いを前にして、ぐるぐると回り続ける視界に、小井戸は動くことが出来なかった。

 

 ――伶さんを守るには、でも守ったら、その時は――……。

 

「……まあさ」

 

 椅子に貼り付けられたまま固まる小井戸に、男は微かな声で呟いた。

 

「その状況になった時、本当にお前が白石を守りたいと思うなら」

 

 柔らかい色を放つ瞳で小井戸の双眸を見やり、首を傾げる。

 

「お前らお得意の演技でもすりゃいいんじゃねぇの?」

「……え、演技?」

「被害者になりきれよ。お前は、俺に手酷い方法で誘拐された。この数日間、恐怖で眠ることすら出来なかった」

 

 ぶっきらぼうな言い方でも、その声は十分に優しさを孕んでいた。まるで演劇の台本を読むかのような抑揚で話す男の手が、小井戸の首元に伸びる。

 

 ――っ、なんで!

 

「まるで、呼吸の仕方でも忘れてしまった、みたいな顔でもしてみろよ」

「……は、」

「出来んじゃん」

 

 冷たい指先が首筋に触れて、そのまんま。 

 伶とは違う骨ばった長い指先が、喉を掠めただけ。

 

 ――今の自分はどんな顔をしているのだろうか。

 

 身体の中を冷たい何かが駆けずり回っているような感覚だった。身近な人が怪異によって成り代わられていた事実を実感した、どころか、その人もまた怪異に協力をしている。ぐちゃぐちゃで、噛むことすら出来なかった現実が、やっと固形物になったのに。それは酷く固く、噛み砕いて呑み込むことは難しい。

 

 気が付いた時には、男の指は離れていたのに、息が苦しくて仕方がない。本当に、ほんとうに、呼吸のやり方を忘れてしまったみたいだった。

 

「お前がどんな選択をしても、白石伶も、……俺も、お前を責めやしねぇよ。全部、自分で選んだ未来だからな」

 

 男の声は滑らかに紡がれる。

 

 ――そっか。それじゃあ……。

 

 まだ何を選ばされているのか理解していない小井戸は、段々と落ち着いていく呼吸に安堵の息を吐き出した。その様子を見届けた男は、立ち上がる。

 

 そして、ひとつ。

 

「白石としてお前と話す時間は存外楽しかった。白石はもっと楽しいと感じていただろうな」

 

 そう言って、「じゃあな」と手を振り、虚空へと消えていった。

 

 机の上に読みかけの文庫本を残して。 

 妙に甘い香りを残して。これが、男と、そして白石伶との時間が最後であると認識するには充分であった。


 ◇◆◇


 

 私は、あの日の決断を後悔していない。

 

 男が去ってしばらくして、あの小さな部屋の扉は開かれた。

 

 ギィ、と嫌な音を立てながら、久しぶりの眩い光を部屋いっぱいに照らしていたことをよく覚えている。

 

 あの時、誰が助けに来るのだろうと思っていた。

 

 布団の中に隠れ、男から言われた通りに演技の準備をする。

 

 そうして聞こえた、よく知った声に心が揺るがなかったわけではなかった。

 

 嶋山凌雅。サークルの同期である彼は、明るく、強く芯の通った声で話す。そんな彼の、いつも以上に優しい声を聞いて、私はやっと理解したのだ。

 

 自分で選ぶこと。

 捨てたくないもの達を同じ天秤にかけること。

 その全てを理解した。

 

 伶さんを守れば、凌雅くんに嘘をつくことになる。

 凌雅くんに手を伸ばせば、伶さんを守ることは出来なくなる。

 

 ならば。

 私は、伶さんを守る。

 

 尊敬している、大好きな先輩の力になりたいと、そう思ったから。

 

 利用されたことは分かっている。傍から見れば執着にも近いこの行動がおかしいことも分かっている。

 

 でも、私は、伶さんが好きだった。

 それだけだった。

 

 親切で、優しい怪異対策本部に保護されて数日。

 

 私は、やっぱり、あの日の決断を後悔にしたくない。


 だから、どうか。

 伶さんや、あの男の人が、いつの日か笑って暮らせますように。

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