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箱庭物語【第一部 前半 完結】  作者: 彩都 らく
外伝01、小井戸美帆
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外伝1-1、小井戸美帆①


 ――小井戸行方不明事件、当日。

 

 演劇サークル暁は、心安らぐ場所である、と小井戸美帆は思う。

 

 日々皆と顔を合わせる中で、自分の居場所が出来ていく安心感と心地良さが暁にはあった。

 

 三年生は時に厳しく指導するも、基本的には至極優しく接してくれる。二年生は同期同士で仲が良い印象で、皆して新入生を可愛がってくれている。

 

 それから、今後四年間を共にするであろう同期は、明るく楽しい人達だった。嶋山凌雅はいつだって子どものような笑顔を見せているし、彼の芯の通った声には元気を貰う。伊東明奈は人見知りなところもあるが気配り屋さんで、とても優しい彼女の振る舞いには心が落ち着いた。

 

 そして、暁の皆は何よりも演劇を愛していた。

 

 幼い頃から演劇が大好きだった小井戸にとって、彼らの演劇は至高のものであった。新歓で初めて目にしたあの日には、暁に入ろうと決意したものだ。


「……明日の練習も楽しみだなあ」


 午後七時。

 大学で知り合った友人と沢山遊んで帰った今夜は数日分の自炊もしてしまおうかと、台所の前に立った小井戸は小さく呟いた。

 

 買ってきた食材を並べながら、思い返すのはサークルでの出来事ばかり。練習そのものが楽しくて仕方なくて、練習がない間も笑いが絶えない幸せな場所なのだ。

 地方から上京して、一人暮らしをすること二ヶ月。

 寂しいと、思う暇もない毎日だった。大変な事ばかりで、それでもその大変さが全部新しい経験だからこそ、落ち着いて過ごすことが出来ていた。


 ――それも全部、暁のおかげだなあ。


 冷蔵庫の中にストックしていた卵を取り出して、小鉢に割り入れる。それを菜箸でかき混ぜながら、ひとつ。

 料理の間に思い浮かぶのは、やっぱり暁のこと。

 

 何度だって声を大にして言いたいのだが、新歓の演劇は素晴らしかった。見応えのあるみっつの演目が終わった際には、ただ気の抜けた拍手をすることしか出来なかったくらい。

 一番に目を引いたのは三年生の演目だった。

 時代劇、とは言い切れないけれど、それに近い新しい演劇。何よりも三年生三人の和服が美しいと同時に、背景かのように舞う桃色の花弁が姿形を際立たせていた。

 演技、立ち振る舞い、圧倒されるような空気感。

 三者三様で互いが互いを生かすように動く可憐さ。

 そしてその中で小井戸が最も視線を奪われたのは、白石伶だった。和服から伸びた白い腕はしなやかに動き、中性的な声が空へ響き渡る。

 ――この人と、一緒に演劇をしてみたい。

 そう思うには、十分だった。


 暁に入ってからは、早かった。

 憧れの先輩たちと肩を並べ、演劇を吸収する時間が楽しかった。何気ない世間話にも花が咲き、勉学やアルバイト以外の時間はずっとずっと一緒に過ごしていた。

 そんな日常の中、白石伶と共通の趣味の話になったのは偶然のこと。気が付けば意気投合していた二人は、あっという間に距離を縮め、個人的に出かけるような仲になったのだ。

 アニメのコラボカフェに行ってみたり、カラオケで一日過ごしてみたり、時には互いの家に招いて招かれてアニメの鑑賞会をしてみたり。所謂先輩後輩というよりも、友人といった方が適切だろうか。

 

 伶は底抜けに優しかった。

 一人暮らしである小井戸に簡単な自炊を教えてくれたり、学生のお財布に優しい定食屋を教えてくれたりと、兎にも角にも気にかけて貰っていた。

 ――この簡単卵スープも、伶さんから教えてもらったものだし。

「……うん、美味しい」

 ぐつぐつと煮立つ鍋へ調味料をひとつ、ふたつ、みっつ。スプーンで掬ってひとくち含めば、鶏ガラのいい香りが鼻腔を擽った。

 と。

 音楽を奏でていた携帯が静まり返り、メッセージがひとつ。

『美帆ちゃんの家の近くに寄ったんだけど、少しだけ会えるかな? 直接話したいことがあってね』

 宛名は、つい先までまるで恋慕の相手かのように思い返していた白石伶からだった。少々突然ではあるが、いつものように返信をすれば、どうやら今から我が家に来るという。

 ――そうとなれば。

 もしかしたら、今夜はアニメの鑑賞会をするかもしれない。演劇について深い話が出来るかもしれない。

 携帯を手にしたまま随分なにやけ顔を浮かべた小井戸は、コンロの火を消した。どのくらいで来るのかは分からないが、作りかけのものは完成させてしまった方が良いだろう。

 小井戸は冷蔵庫の中から野菜を取り出すと、軽快に下処理を進めていく。

 ――それにしても珍しい。

 大抵、伶から連絡が来る時は午前中やお昼時が多かった。こうして日も暮れた夜時に連絡が来るのは初めてのことで、それがどこか引っかかるような――……。


 

「美帆ちゃん。私が教えた卵スープ、ちゃあんと作ってくれているんだね」


 ――え?

 

「は、はい! ……え、っと、伶、……さん?」


 背後から聞こえたのは、紛うことなき白石伶の声だった。握っていた包丁が滑り落ち、床へと突き刺さる。心臓が跳ねると同時に、背中を冷たい汗が伝って落ちていく。

 

 

 この家はエントランスも玄関もオートロックである。家主が許可しなければ一生開くことのないシステムだ。

 窓からはあり得ない。ここは九階であり、普通の人間であれば侵入することなど不可能だった。

 

 ――……なら、どうやって?

 

 振り返ることも出来ずに固まった小井戸は、中途半端に切れ込みの入った人参をただ見つめることしか出来なかった。

 

 人の気配は確かにそこにある。

 

 静かな部屋に、呼吸音がふたつ。擦るような足音が、一回、二回。響いて、ひびいて、それから。

 緊張に耐え切れず、重たい首を捻り、顔を音の方へ向けた。


 その瞬間。

 

「やあ、美帆ちゃん。お邪魔しているよ」

 

 白い歯を見せて笑い、何でもないかのように片手をあげる白石伶の姿が、そこにあった。


 

「……伶さん。どうやって、この部屋に入ってきたんですか」

 

 紛う事なき本人の登場に、小井戸は後退る。シンクの淵に残っていた水が背中を濡らしていくが、気にしている余裕はなかった。

 

「ふふ、知りたい?」

「え、えぇ。普通は、玄関から入ってくるものでしょう」

「うん。()()()は、そうだよね」

 

 含みを持たせながら話す伶の仕草は、いつもと変わらないものだった。柔らかい話し方で静かに言葉を紡ぐ。

 

 ――まるで、自分が普通じゃないとでも言いたいかのような。

 

 小井戸は目を細めると、視線を泳がせた。

 何を考えているのか分からない伶を前に、現状の突破口が見当たらない。静かすぎる睨み合いが続けば続くほど、小井戸の思考はぼんやりとしていく。

 

 ――伶さんは、出入り口の何処も介さずにこの部屋に入ってきた。

 ――それはつまり、伶さんは……。

 

「私、怪異なんだよね」

 

 刹那。伶は音も無く自身の姿を消すと、数秒の後に同じ体勢で現れた。

 

「そんな、……」

 

 小井戸自身で至った結論を目の前で見せつけられて、声を失うことしか出来なかった。対する伶は、何事も無かったかのように笑うだけ。ほんの少し乱れて顔にかかった髪を、鬱陶しそうに払うだけ。

 

「美帆ちゃん、ちょっとだけ話をしよっか」

「……」

「無言は肯定と取るよ。ほら、おいで?」

 

 唇を薄く開けたまま固まった小井戸に、伶は足を踏み出した。一歩、一歩と伶が近付いてくるが、抵抗することはできなかった。甘い声色と共に手を引かれ、肌に触れた彼女の体温を振り払うことは出来なかった。

 流されるままにソファへと促される。

 

「美帆ちゃんにはさ、協力して欲しいことがあってね」

「……協力」

「そう、協力。私は今から、ひとつ、罪を犯さないといけない」

 

 パチン、と手を叩いた伶は話を続ける。

 

「万引きでも、通り魔でも何でも良かったんだけどね? 警察や怪異対策本部へ捕まらずに目立つ必要があってさあ。かといって人殺しはしたくないし、誰かを傷つけたくもなかった。

 だからさ、私に誘拐されてくれない?」

 

 ――……は?

 小井戸の手を握ったままそう言い放った伶は、にこりと笑う。

 

「悪いようにはしないよ。報酬は払うし、怪我を負わせることもしないと約束するよ。何日間になるかは分からないけど、衣食住の責任は持つからさ」

 

 それなら良いでしょう、とでも言いたいかのような伶に、小井戸は唇を噛み締めた。

 

 ――分からない。

 ――意味が、分からない。

 置かれた状況が上手く呑み込めない。でも。

 

「……そう、伶さんに言われて、私が傷付かないと思いましたか」

 

 憧れの先輩と仲良くなれたと思っていた。暁の皆との幸せな時間が未来永劫続くものだと思っていた。

 

 ――まさか、全部利用するためだったの?

 ――話かけてくれたのも、意気投合して遊んだあの日もこの日も、全部、このために?

 頭の中がぐるぐるとして、何も考えらない。もどかしい気持ちで溢れかえって、前が全く見えなくなって、何一つ理解が出来なくて、どうしようにもない。

 

「ねぇ、美帆ちゃん」

 

 甘く優しく自分の名を呼ぶ声に、首を振る。

 

「美帆ちゃんはさ、私のこと好きでしょ?」

 

 ぐらりと身体が揺れて視界の全てが眩い光に包まれた瞬間、小井戸は自身が押し倒されたことを理解する。視界いっぱいに伶の優しい笑顔が広がって、伶の口から飛び出した疑問には頷くことしか出来なかった。

 

「大丈夫。傷付けることはしないよ。……約束する」

 

 口元に甘い香りのする布が抑えつけれて、呼吸が苦しくなっていく。身体にかけられる伶の体重は、少しだけ重たかった。

 

「ゆっくり呼吸して。大丈夫だから」

 

 数分、数十分、どのくらい経ったか分からない頃合。

 

「関係ない君を巻き込んで、ごめんね」

 

 わずかに揺れた伶の声色と、大丈夫だからねと何度も繰り返される言葉に、小井戸の意識は暗闇へと落ちていった。

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