4-2、怪異に生まれること、それは。③
〇×
「ねぇ、君。最近毎日此処に来てるけど、暇なの?」
時は流れ、齢など数えなくなった時のこと。
大地を焼き尽くしてしまうかのように燃え上がる真夏の太陽の元、水も食事も取らず暇を潰していた怜に一人の男が話しかけてきた。
背丈は、怜と同じくらい。
髪は茶色に染めている。何処か心の余裕を感じる男の表情は、胸倉に掴みかかって殴り飛ばしてやりたくなるような笑顔だった。
「……」
「暇なの?」
黙り込む怜に、男は繰り返す。駄々を捏ねるような仕草で近付いてきて、怜の顔を覗き込む。そして、再び同じ言葉を言った。
「なあ。暇なのか、って聞いてんだけど」
――この男は、怪異だ。
なんとなく、分かる。
この世に生まれて、怪異として生きること二十年。人間と怪異の違いが分かるようになったのはいつのことだったか。怪異たちの間では普通のことらしく、相手の気配や雰囲気から、その相手の正体など容易に分かるという。
――……最悪。
両親が金のために人間を利用するだけ利用し、無残にも殺す姿を見た時から、ずっと死にたいと思っていた。怪異に生まれた自分が、悔しかった。人間に生まれたかった。それでも、自分が怪異であるという呪縛は、死のうという気持ちすらも踏みにじっていく。
「放っておいてくれ」
何度も何度もしつこく「暇なの?」と問うてくる男に、乾いた喉から拒絶の言葉を投げつける。こうも毎日のように公園で暇を潰していれば、怪異や人間が絡んでくることは珍しくない。大抵の奴は、この言葉で引き下がる。もしくは無言の圧力に耐えられず、どこかへ行ってしまう。
「あ、そう。君さ、どうして死にたいの?」
――……は。
声が漏れそうになるのを、すんでのところで堪えた。
何故、死にたいと思っていることが分かるのだろう。
気が付けば怜の隣へ腰かけた男の瞳は、吸い込まれそうな程に真っ黒だった。
「どうしてって……」
「うん。どうして?」
「……俺は、ただ、……」
――やばい。
有無を言わせないと言いたげな瞳のせいか、言の葉が零れ落ちていく。
たった今はじめて見知った男に、
――今、俺は何を言おうとした?
怜は慌てて口を押えるが、もう、遅い。
「君は死にたい。けど、死ぬのが怖いんだろう?」
男は笑う。
――何もかも、見透かしているような。
その口ぶりがどうにも気に入らない。此方を憐れむような視線も、今さっき互いに顔を知ったはずなのに馴れ馴れしく話しかけてくる姿も気に入らない。
煽るかのように笑い続ける男に、苛立ちが募っていく。
我が物顔で隣に腰掛け、美しく整った甘い顔立ちを歪ませながらからからと笑う姿に、やりきれない思いが積み重なっていく。
腹が減った。喉も乾いた。もう何日も飲み食いしていない。普通なら死んでいる。人間ならば、死んでいる。ただ、ただ、苦しかった。
「だったら何だよ! お前が殺してくれんのか?」
怜は身体に力を入れると、男の胸倉を勢いよく掴んだ。そして叫ぶ。周りに人が板ならば、通報されそうだが気にしない。男もまた、微動だにしない。
――何に、熱くなっているのだろう。
静かな公園に風が吹くと同時に、怜は力なく手を下ろした。
その瞬間、男は目を細めながら立ち上がると、座ったままの怜の肩を強く押す。そして、何処からか取り出したナイフを心臓に突き付けた。
「無様に泣き叫ばない自信があるなら、今すぐ殺してやるけどね」
目の前の男から出たとは思えない程、低い声が空気を震わせる。怜は、銀色に光るナイフの先端を見やることしか出来なかった。顔を上げることは出来ない。
だって、だって、やっと死ぬことができるのだ。
怪異の核を破壊すれば、やっと。
暑さのせいか、男が発する殺気のせいか、得体の知れない汗が全身を伝う。目を見開いたまま微動だにしなければ、男が口を開いた。
「なあ、取引をしないか?」
「……っ、そう、思うならコイツを下ろせ」
刃先が厚い衣服を若干貫いたところで、離れていく。
突拍子もない提案に、怜は深く息を吐き出した。
――分からない。わからない。
この男が何を考え、何がしたいのか。
「俺は、お前が死にたい時に死ねるように、その環境を完璧に整えて背中を押してやる。だからお前は、お前の〝死〟の瞬間を俺に利用させろ」
「……と、いうと?」
「そのままの意味だけど。返事は一週間後まで待つ。またこの場所で」
指を一本立てた男は、にこりと笑う。
随分と爽やかに言うが、その内容は常軌を逸していた。言いたいことを言って去ろうとする背中に、思わず細い声を漏らす。
「見ず知らずの俺を信用するのか、お前は」
「だって君、どう考えても死にたいじゃん。悪いけど全部見てたから。あの壁から飛び降りれないのも、飛び込めないのも、首を吊ることすら出来ないのも、このクソ暑いのに着てる長袖の下にある傷も、今も、」
男は、怜のパーカーのポケットへ入れていたはずの小型ナイフを、いつの間に盗んだのか彼の手の内へ収めていた。
「こんなものまで持ち歩いてるくせに、自分の核に向けることすら叶わない。違うか?」
――ぐうの音もでねぇ。
男の言うことに、何一つ間違いはなかった。
怜は死にたかった。怪異に生まれたことを憎み、怪異に生まれた事実を嫌っていた。ただ、とにかくこの世を去りたかった。でも、怪異はそう簡単に死ぬことはできない。
核を壊さない限り、その命の灯が朽ちることはない。
そう理解しながら、一線を超えることは出来ず、毎日のように死ぬ方法を探していた。
――つまり。
「そういうこと、ね。随分と熱心なストーカー様だ」
睨むように見やれば、男は微笑む。
「それはどうも。情の要らない手駒がひとつでも欲しくてね。君みたいなヤツは扱いやすく、利用価値が高い」
「はは、……そう、そっか」
怜は大きく息を吸い込むと、憎いほどに美しく青い空を見あげた。そして、崩れ落ちるようにベンチへ座り込むと目を閉じて、息をひとつ。
「……分かった。協力しよう」
「え」
「一週間も要らない」
随分と驚いたような声を上げた男は、続く怜の言葉を聞くと大きな笑い声を響かせる。同時に、勝手に奪い弄んでいた小型ナイフを返してきた。
「俺、黒澤陽光。陽って呼んで」
「……秋坂怜。怜で良い」
「分かった。よろしくな、怜」
自らの名を名乗った男――陽光は、怜の手を取ると、まるで破顔という言葉を体現するかのような表情を見せた。目の前に現れたその瞬間から若いとは思っていたものの、こう見るとかなりの年下なのではなかろうか。
「そうと決まれば、行こうか」
「は?」
「着いてこいよ」
よし、と言い残して勝手に歩き出した陽光は、茶髪を揺らしながら離れていく。
――どこに行くのかくらい、言えよ。
このまま、すぐに利用してもらえるのだろうか。
このまま、すぐに死ぬことが出来るのだろうか。
どんどんと突き進んでいってしまう陽光の背中を追いかけながら、怜は大きく息を吐き出した。
次回更新▷▶▷3/13 19:00 『4-3、箱庭』
体調が優れないため、明日(3/14)更新とさせてください。




