4-2、怪異に生まれること、それは。②
それから、時は流れ十歳の夏。
家族のことは嫌いになれなかった。
相変わらず優しい顔で接してくる両親に、いつも通りの元気で明るく笑顔の絶えない秋坂怜を装う。
小学校に行くと体調が悪くなると嘘を付き、ただひとり部屋に籠って楽しくもない勉強を続ける毎日。時々両親が買ってきてくれる小説を読んでは、面白いと感じた箇所に付箋を貼って、一字一句覚えるまで読み直す毎日だった。
そんなある日。
世間の小学生は夏休みを迎え、学校のない楽しい日々を過ごしているであろう今日日。
――……どうしよう。
怜は、両親の仕事部屋の中央で困り果てていた。
〇×
怜の家は、少し広めの一軒家で、部屋が沢山ある。
怜には出入りを許されていない部屋もあれば、物が一切なく使われていない部屋もあった。
いつか両親のいない日に、隅から隅まで探検してやろう、と。
そう思っていた矢先、朝一番に全身を着飾った両親から告げられたのは、「今日は夜まで帰れないからね」という言葉。「何かあったら連絡するのよ」と、どうにも心配そうな顔をする両親の気持ちとは裏腹に、怜は心を躍らせていた。
――ついにこの日が来た。
と。
両親が玄関の扉をくぐり、車を出し、一時間。
本当に帰ってこないことを確認した怜は、それはもう楽しく家中を探検した。
両親の寝室、普通。
物が散乱している訳ではないが、綺麗という訳でもない。
屋根裏部屋、普通。
怜が幼稚園や小学校で作成した工作の数々。教科書やノートの数々。
普段は入ってはいけない物置部屋、ちょっと汚い。
段ボールがいくつも積み重なっている。その中のひとつの封があいていたものだから、それを見やればそこには奇妙な置物が入っていた。鷲……のような大きな鳥が太い鎖で縛られ長い剣で貫かれている、不気味な彫刻だった。
そして。
気が付けば両親のことを『怪異』として見るようになっていた怜は、ほんの少しの興味と好奇心から、両親の仕事部屋を覗いてしまったのだ。
階段下の物置から段差を下って入る仕事部屋は隠し部屋のようで、羨ましいな、などと呑気なことを考えながら。
――これは、想像以上に……。
気持ち悪い。
暑さで流れていたはずの汗が、部屋の扉を開けた瞬間に冷たいものに変わる。
部屋は、広く綺麗だった。整理整頓されているものの、窓が無いせいか何処か陰湿な空気が漂っている。それどころか、物置部屋にあった不気味な彫刻が、無数に飾られていた。壁にも、棚にも、机の上にも、思い返せば、仕事部屋の扉にも吊り下げられていた。
怜は、溢れる生唾を飲み込みながら足を進める。
部屋の中央に鎮座するパソコンに手を付けるのは気が引けて、机に置かれたままの書類を手に取った。
――なんだよ、コレ。
書類には、様々な人間の名前や写真などが貼られていて、よく見れば住所まで記載されている。かなり遠方の住所まであるが、これは果たして……。
――人の顔に、バツ印? 何故こんなものを。
こういうのは、小説やテレビで見たことがある。人の顔にバツ印をするのは、その対象を始末した時とか、どうでも良くなった時とか、とにかくネガティブなことだろう。
何枚も重ねられた書類を捲っていくと、見覚えのある母の綺麗な字で所々にメモが書かれている。
――嘘だ、うそだ!
手にしていた書類を震える手で元の場所に戻すと、怜はその場に座り込んだ。好奇心は、時に自分の首を絞める。リストには幼い子どもから老人まで、様々な年代の人間が記載されていた。
――『生かす価値、有』、か。
では、バツ印は生かす価値が無かったのだろうか。
人間を何かに利用するために、そのために、何をしている?
――殺し。
頭の中にパッと浮かんだ単語が、脳を支配していく。両親は、殺しをしていて、金を貰っているのか。確かに、この家は裕福だ。否、まさか。全く関係のない話の可能性だってある。決めつけるな。悪い方向だけを考えるな。ただ、仕事部屋に無造作に置いてあったリストを覗きみただけだ。齢十の息子に万が一見られても大丈夫なものなはずだ。だから、何の決定打にはならない。
無意識のうちに早くなっていた呼吸を何とか整え、怜は這うように部屋を後にした。
その後にとった行動は、我ながら短絡的だった、と秋坂怜は評価する。
すぐに取り掛かったのは、虚無になる練習だった。虚無になれば両親の仕事についていくことが出来るかもしれない。その先に何を見出したいのか、自分でも分からなかった。
ただ、はっきりさせたかった、が正しい答えか。
虚無になるのに、時間はかからなかった。言われたように「虚無に変わりたい」、そう願うだけで変わることが出来た。
――ああ。気持ち悪い。
確実に自分の思考は残っているし、腹の中が気持ち悪いと思う感覚や吐き出しそうな違和感がある。だが、顔は無いし、当たり前のように手も体も足も何もない。周りの景色は色を失い灰色のベールに囲われているが、見えない訳ではない。静かな水音に包まれながらも、周囲の音を拾うことが出来る。移動だって、移動したいと思えば出来てしまう。
――化け物、なんだ。
改めて自分の正体を実感し、大きなため息を吐き出した。口の中がざらつき、苦い。
――戻りたい、戻りたい。変わりたい。
――人間の、秋坂怜に、戻りたい。
初めての変化は、たったの五分で終わらせた。
自分が自分で無くなっていく感覚が、身体を支配する。どんなに願っても、虚無になる事が出来なければ良かったのに。『中途半端な怪異人間』だったら、良かったのに。
次回更新▷▶▷3/10 19:00 『怪異に生まれること、それは。③』




