4-2、怪異に生まれること、それは。①
秋坂怜は、二十五年間の自分の人生を悪くはなかったと評価する。
人間の姿で生まれ、人間として育てられ、人間として生きた期間はたったの六年間。それでもその六年間で、胸焼けしてしまいそうなほどの愛情を貰った。何も知らずに育てば、不自由なく立派な大人になれただろう。
様々な道を見て、数多くの未来を選択出来ただろう。
でも、その未来を捨てたのは秋坂自身だ。
――後悔は、していない。
初めて自分の事を、周りと違う、と感じたのは小学校に入ったばかりのことだった。
小学校では幼稚園とは違い、ある程度の自主性が求められる。
例えば、委員会活動であったりとか。秋坂の通った小学校では、低学年から委員会への参加が必須であった。勿論、出来ることは少ないのだが、それでも年上のお兄さんお姉さんと関わることの大切さを学ぶため、と皆が何かしらの委員会に入るのだ。
その中でも一番人気は、「どうぶつ委員会」。小学校内で飼っている動物たちに、先生同伴のもとで餌をあげたり、住処の掃除をしてあげたりと、所謂お世話係に近しいもの。
この「どうぶつ委員会」の席は、たったのひとつだった。
だから皆、立候補のために手を挙げる。
飼っている動物はうさぎやアヒルで、可愛いからだと。女の子にも男にも大人気だったのだ。しかし、ただ一人、怜だけは手を挙げなかった。
周りの友人たちは、「どうして? すごくかわいいのに」「うさぎさんも、アヒルさんも、いいこなんだよ」とか、色々と言われた事をうっすらと覚えている。
それでも頑なに立候補しなかったのは、物心ついた頃から両親に厳しく言いつけられていたからだ。
「どうぶつさんはね、どんなに可愛くてもカッコよくても、触ってはいけないよ」
「すっごく危ないの。がぶって噛まれたり、怜は小さいから食べられちゃうんだよ。もっともっと大きくなったら触ってみようね」
そう、何度も、何度も言われ続けていたからこそ、怜は信じていた。本当に食べられてしまうと、本当に危ないのだと。
――ともだちは、みんな さわっているのにな。
友人たちの家で飼われている犬や猫を見て、街中を闊歩する小動物に軽々しく触れる友人たちを見て、羨ましいと思うことは多々あった。それでも、大好きなお父さんとお母さんが言うのだから、守らなくては、と。
クラスメイトが手を天にぴんと伸ばす中、机の下で拳を握り込んだ。
次に違和感を感じたのは、それから凡そ一年後のことだった。
小学校には、遊具が沢山ある。シーソーやブランコといった低学年からでも楽しめるものから、ジャングルジムやアスレチックといった高学年から遊ぶことを許されるものまで取り揃えられていた。
それでも、好奇心旺盛な低学年男子達、禁止されているはずの遊具へ足をかける。高学年のお兄さんお姉さんたちに野次を飛ばされながら、地上からは数メートルも離れた頂上を目指す。
そして、落ちた。
一瞬の事だった。
細い鉄の棒から足がつるりと滑り、その拍子で手を離してしまったのだ。見つめていたはずの青い空は一転、気が付けば砂だらけの地面に蹲っていた。
――痛い。いたい。イタイ。
でも、動ける。立てる。だから、歩こうとしたら全然うまく動けなくて、近くに居た先生に抱えられて保健室へと連れていかれた。
保健室の先生にも、担任の先生にも、そして、両親にも酷くキツく叱られた。
――……なんで?
いつもは、まず最初に心配してくれるはずなのに。迎えに来てくれて、共に帰る道すがらも、帰宅した後も怒る。怒鳴る。顔が、怖い。
「きちんとしつけていたのに、男の子は分からないわね」
腕や足だけではなく、顔についてしまった傷が最も深く出血していた。その傷を消毒液で容赦なく拭いてくる。
「痛いよ、お母さん」
そう訴えても、母親は手を止めてくれない。横で静かに見守っていた父親も、ただ険しい顔をしているだけだった。それに、学校では「念のため病院に連れて行ってくださいね」と、言われたのに。
いつまで経っても連れて行ってくれないのは何でだろう。
変なの、と。
ふてくされた心の声は、いつの間にか漏れていたらしい。
両親ははっとした表情になると、顔を見合わせて、怖い顔を辞めた。
「そろそろ、本当の事を話しましょうか」
「え?」
その時聞いた話は、幼い心に深く刻まれた。
「怜くん。怜くんはね、人間じゃないんだよ」
――なんで?
「人間が、『怪異』と呼ぶものたちがいるよね。僕たちは『怪異』、……いや、偉大なる始祖様の子孫なんだよ」
――ぼくは人間じゃない? いだいなる、しそさま?
「そう。母さんも父さんも、怜くんも、始祖様のこどもなの」
――母さんも、父さんも、人間じゃないの?
当時の秋坂怜にとって、『怪異』とは。
怖く恐ろしく、一度出会った瞬間に人間の命を奪う存在だった。周りの友達も、その家族も、先生も、『怪異』は危険な存在だと言う。
何も無いところから急に現れて、人間を誘拐したり、殺したりする。
――それが、僕?
容易に信じることは出来なかった。
なんで、と口から出かかった言葉は呑み込めても、噛み砕いて消化することは出来なかった。
怪異と怪異の間に生まれた子どもは、生まれながらに人間の形をした『怪異』となるか、虚無にはなれない『中途半端な怪異人間』となるか、だという。両親は、怜がどちらの存在になろうとも愛するから、と、自分を産んだそうだ。
結果、怜は怪異として生まれた。
確かに、思い返してみれば変なことはいくつもあった。
健康診断は、一度も受けたことがない。記憶にあるのは、寂れた雑居ビルの中、あまり良い匂いのしない部屋で身体を調べられたことだけである。
――ぼくには、わからない。
――母さんも、父さんも、ほんとうに『怪異』なの?
――ぼくも、『怪異』なの?
両親の「愛している」、その言葉に嘘偽りはないことは分かっていた。
行きたいところがあれば、どこへでも連れて行ってくれた。得意なことがあれば、とことん伸ばしてくれた。突拍子もない我儘以外はなんでも話を聞いてくれて、伸び伸びと育ててくれた。
毎日見ていた、両親の優しく慈愛に満ちた表情は忘れられない。
自分が『怪異』と知った日から、怜は少し変わった。
学校では一番足が早かったのも、泳ぎが上手かったのも、とにかく体を動かすことが得意だったのは、自分が『怪異』だったから。
動物に触れてはいけないのも、万が一にも「この動物になってみたい」、そう強く願ってしまえばその動物になりかねないから。
両親から、『怪異』について沢山のことを聞く度に、自分が『怪異』として生まれたことを強く否定したくなる。
――どうして、僕は人間じゃないの。
学校に行けば行くほど、自分が人間ではない事実だけが心を痛めつける。
『怪異』として生まれることを望んだわけではない。産んでくれと、親に頼んだこともない。仲の良い友人達と肩を組んで遊んでいられるのは、一体全体いつまで許されるのだろうか。
考えれば考えるほど怖くなり、必然的に友達との繋がりは薄れ、学校に行くことが億劫で部屋に籠る時間が増えていった。
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