4-1、人に為る
――人に成り代わる。
それは、至極気持ちの悪い感覚である、と。
一人の青年は思う。
この世に生を受けてもうすぐ二十五年。
人生山あり谷あり。谷ばっかりの人生ではあったが、悪すぎることも無かった。思い返せば楽しい事だって、幸せなことだってあった。その分、嫌なことや辛く苦しいことも沢山あった。
――本当、……気持ち悪い。
青年は、強く願っただけだった。
逆らえないヒト、否、逆らおうとも思えない人物に「やれ」と命令されたまで。
怪異に生まれてもうすぐ二十五年。
人間に成り代わる行為を、初めて試みた。骨格や筋肉が変化していくことの痛みだとか、髪の毛が伸びる時の痛みだとか、どうにもフィクションで見るようなイヤなことばかり想像していたものの、それは妙に呆気なく終わりを告げる。
『この人に、なりたい』
そう、強く、つよく、願っただけ。
目の前に差し出された、白く細くしなやかな指先を握り込み、心の中でそう唱えただけだった。
「これが、俺?」
青年は洗面所の鏡に映る自身の姿を見て、口を大きく開ける。元の赤茶色の髪の毛は、真っ黒に。短かった髪は、肩に触れる程にまで伸びている。
結論から言えば、心配していた物理的な痛みは何一つない。
時間がかかったわけでもなく、ほんの一瞬の出来事。
しかし、現在の状況を丸々全て飲み込むことは出来なかった。
身体の主の情報が、主が生きた二十一年分の記憶が、ひとまとめになって脳内を埋め尽くしていく。
――白石伶。
自分がたった今成り代わった、年下の女性。
綺麗な黒髪に、整った顔立ち。性格は大人しく、人に頼るのは少し苦手。友達はそんなに多くなく、交流の範囲は狭い。アルバイト、サークル、学業が今の生活の殆どを占めている。……あと、赤塚兼吾との密なる時間。
「あ、い、う」
試しに声を出してみれば、中性的な声。自身の低い声とは違い、よく響く声である。青年はため息を吐きだすと、鏡に映る〝自分〟を一瞥した。
――俺はこれからしばらくの間、この女になる。
――何の因果か、自身と名前が同じ女に。
怪異は成り代わると、極自然にその人物になれるという。元からその人間であったかのような振舞うことは、簡単なことである、と伝えられていた。
――全然、ウソじゃないか。
青年は頭を乱雑に掻くと、小さく首を振った。
生まれ持った姿で生きた時間が長すぎたのか、はたまた、簡単だと言い放った人物が手練れているのか。
自分が生きた二十五年間の記憶と、白石伶の記憶が、混ざり合うことなく頭の中に存在する。互いに侵食する様子はないため、意識を集中させれば問題なさそうか。
目を閉じて落ち着いて、もう一度、鏡を見やる。
「出来たか?」
「ああ……、うん」
白石伶なら、こう笑う。
静かににこりと、歯は見せずに、柔らかく笑う。
「良いねぇ。戻ろうか、レイ。あいつらにも見せてやろう」
いつの間にか真後ろに立っていた男は、鏡越しに不敵な笑みを浮かべると大きく笑った。そして、くるりと背中を向けると足早に歩きだした。
レイも男に続く。いつもの豪快でがさつな歩き方ではなく、音を立てず静かに足を踏み出して着いていく。
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