3-7、白昼堂々④
〇×
それから、さらに数十分は経った頃。
凌雅の素直な行動力と俊介の観察力が掛けあわさった調査は、至極順調に進んでいた。地図上に増えていく色とりどりの書き込みは、現在の進捗状況を示している。
――死角は、確実に存在していた。
それも、小井戸のアパートを出た矢先から無数に。
「おおよそ北へ抜けていった、って感じかなぁ」
尚也が持っていた地図を眺めながら、ぽつりと呟いたのは俊介だった。そして、凌雅が続く。
「俺もそう思います。南へ抜ける道には、死角のひとつもありません」
指さされた赤と青の×印を見るに、二人の言うことに間違いはないだろう。
――しかし……。
個人宅に取り付けられた防犯カメラまでは調べることはしないだろう、と。犯人がそう考えて行動していた場合は、全てが振り出しに戻る形となる。
もう少し人員を配置し、近所の防犯カメラの映像を提供してもらうべきか。このまま愚直に前へ進み続けるか。
地図を囲み、次の道を模索する二人を見やりながら尚也は小さく息を吐き出した。もうすぐ来たる夏に向けて、大気の温度は急上昇中だ。制服とはいえ、長時間の仮面やマントの装用はじりじりと体力を奪っていく。昼時の今は影もまともに出来ない路上であれば、尚更のことだった。
すると。
ぴゅぃ、とひとつ。
微かな音色が風に運ばれて、周囲に響いた。同じ高さの音が三回。怪異対策本部が緊急時に使う音色で間違いない。
――……指笛?
「今、何か……」
「あっちからです。行きましょう」
首を傾げる俊介に対して、音の方角を特定した凌雅が冷静に指揮を取る。
「うん、行こう。緊急時の合……、っ」
尚也も頷き、地図を急いでしまい込んだ瞬間だった。
円を描くように立っていた三人の真ん中に、何者かが音も無く現れる。此方を舐めまわす様に視線を這わせながら、不気味な笑顔を崩さない。
――……伶さん。
一番に動いたのは凌雅だった。懐から折りたたみナイフを取り出し、白石伶に向ける。
「お前は、……白石伶」
「うん、そうだね。凌雅くん。左腕はもう大丈夫かな?」
いつもサークルで聞く、柔らかく、それでいて芯のある中性的な声。
投げかけられた疑問を無視した凌雅は、一歩前に踏み出すと言葉を続けた。
「小井戸美帆を、どこにやった」
その質問に伶は答えなかった。にこりと口角を上げるだけで、ただ黙り込む。そして数秒の後、伶は目をゆっくりと細めると、凌雅の方へ足を一歩踏み出した。
「凌雅くんはさ。どうして、わたしの質問に答えないまま、わたしから何かを得ようとするのかな」
「どうして、って。あなたが小井戸美帆を連れ去った事は明確だからです。対話が出来る状態だと判断したまでで、俺のことを教える義理なんてありません」
「ふぅん……」
凌雅は仮面の下にある茶色の瞳を強く光らせた。
一度は対峙した相手であるからこそ、相手の出方を探っているのだろう。尚也も懐に手を忍ばせると、伶を刺激しないようゆっくりと息を吐き出した。そうして、あいた手の五指を動かし凌雅へ指示を出す。
――逃げられるくらいなら、仕留めるしかない。
目の前にいる伶は、『怪異』である。核さえ壊してしまえば、この世から消滅する。
「小井戸美帆を、どこにやった」
わずかに頷いた凌雅は、繰り返す。無言のまま姿勢を変えない伶へ一歩ずつ距離を詰めていく。
その時。
凌雅の身体が数メートル向こうまで吹っ飛ばされた。伶が一瞬で取り出した小型ナイフによって凌雅の折りたたみナイフが弾かれ、同時に繰り出された足蹴が凌雅の左半身に食い込んだのだ。
「……っ!! くそ、げほっ、……」
「はは、やっぱキミ、結構弱いよね」
蹲り、せき込む凌雅に、伶は近付いていく。尚也はこちらに背を向けた伶の後ろを、音のひとつも立てないよう着いていく。
「……お前、」
「少し前、図書館の前で刃を交えたでしょう? あの時から思っていたんだけどさ、キミの実力、人間の中では強い方って本当?」
「……どこ、で、そんなこと」
「ふふ、キミ達のことはボスから色々と教えて貰ってさぁ」
――ボス? 誰かに指示されているのか?
尚也は僅かに視線を泳がせると、足をぴたりと止めた。
伶は、状況に反して落ち着いた声色で言葉を紡ぐ。
対する凌雅は抵抗する様子を見せるものの、怪異の力には及ばないようだった。銀色の光が宙を割き、組み敷かれた凌雅の喉仏へと浅く突き立てられる。
「ボスって、っ、い゛っ……、!」
「監視しているのは自分達だけだと思うなよ」
――まずい。
目の前にいる怪異には、理性があった。街中で時折見かけるような、理性をなくした怪異ではない。対話が出来れば、交渉も出来る。その一方で、明確な思考力がある分、強かった。
それはもう、ただ強いなんて言葉で済ませてはいけない程には。
――……ここで必ず仕留める。
尚也は更に一歩を踏み出した。最早、慎重に、といった怠け言を零している場合ではないのだ。溢れる生唾を呑み込んで、隙を伺う。
手汗で滑るナイフの柄を握り込む。
伶の背を見やり、核の場所を捉える。
ヒトの身体でいう、心の臓と同じ場所。胸のほぼ中央の左側。そこを、一刺し。それだけで良い――……。
刹那。
静かなる大地に風が吹き荒び、伶が消えた。
そして。
あらわれる。
「俊!」
「先輩!!」
尚也と凌雅の叫び声が同時にこだまする。
おおよそ数メートル。走っても数秒はかかるであろう距離。
凌雅に刃を向けていた伶は、この瞬間、俊介の前へ移動していた。
――間に合わない。
慌てて地面を蹴るも、もう、遅い。
こちらへ不敵な笑みを浮かべた伶の指先は、無防備に立ち尽くす俊介の仮面へ触れた。ただ、静かに。ただ、わざとらしく。ただ、ゆっくりと。
「俊、逃げろ!」
「……ぁ、あ、……」
――あと、少し。
わずか数十センチで手が届くといった所だった。
「怖がらなくて良いんだよ、新入りくん」
俊介の髪先が揺れ、伶の手によって素顔が暴かれていく。
「……伶、さん」
「うん? どうしたのかな、俊介くん」
「なんで、」
俊介が口を開き、伶は静かに応えた。一見すれば落ち着いているようだ。しかし、伶の背中に隠されたナイフは、止まることを知らなかった。
「大丈夫、痛くないよ」
「……っえ」
――頼んだぞ、凌雅。
伶の右手が大きく振りかざされる。天高くに煌めく銀色の刃物が光り、ただ唇を薄く開けて動けない俊介に、落ちていく。
――そんなこと、させる訳がない。
守ると、誓ったのだ。
それだけではない、約束を交わしたのだ。
「俊先輩ッ! 避けて!!」
凌雅の大きな声が響く。
「俊、伏せろ!」
尚也はそれに続き、重たい足を踏み出すと、伶と俊介の間に潜り込んだ。
その折。
空間に小さな火花が散り、銃声が響く。
地面に座り込んだままの凌雅が、小型の銃で伶の肩を撃ちぬいたのだ。人間には効かない、対怪異専用の銃。数十秒ではあるが、怪異の虚無化を妨げることが出来る。
――……痛ェ。
銃に貫かれた衝撃で取り落とされたナイフが、顔を掠めたが気にしている暇などない。
与えられたこの時間で、必ず仕留める。
「逃げるな」
証拠は十分だった。
目の前にいる白石伶は、怪異だ。
今更。知り合いの顔をした怪異を処すことなど、日常茶飯事だ。
――逃げるな。
尚也は心の中でもう一度吐き出すと、銃の痛みで顔を顰める伶を睨みつけた。
そして、手にしていた折り畳みナイフを突き立てる。
突き立てて、素手で弾かれて、それならばと此方も素手で殴りかかって。世界の全てを戦場に組み合う伶との勝負は、五分……。
――否、劣勢だ。
対峙する伶は、まさしく怪異そのものだった。
彼女のしなやかな腕からは想像もつかない力に、鍛えた成人男性が殴って蹴っても動きやしない体幹に、その場の状況をすぐさま飲み込む判断力。そのどれをとっても、人間とはかけ離れている。
――銃の効果が切れるまで、あと、十秒。
「あと十秒、ってとこかなぁ?」
一瞬の隙に街路樹の上へ登った伶は、再び笑った。
――本当に、監視していたとでもいうのか。
尚也は奥歯を噛み締めると、伶を追いかけるべく木を登る、のぼる。
「五、四、三」
それを見た伶は、煽るように声を張り上げた。
左手を大きく天に掲げ、指をひとつずつ折っていく。
――あと、少し。
「二、一」
そして。それから。
指の全てが折られた時。
伶は、消えた。
「また明日」
ただ、その一言を残して。
穏やかな水無月の風を吹かせて。
――……クソッ、なんで仕留められなかった。
尚也は血が滲むほど強く唇を噛み、街路樹の幹を強く殴った。
酷く乾いた音が、静まり返った住宅街に響く。
――また明日。
その言葉だけが、やけに鮮明に耳に残って離れなかった。
次回更新▷▶▷2/27 19:00 『4-1、』
『第三章、失踪』完結――。
『第四章、レイ』




