case6ー16.嫉妬と自尊心は身を滅ぼす(3)
「……なに?」
ルイス侯爵の眉がピクリと動いた。これから崩れるであろう彼の表情を想像すると、思わず口角が上がる。
「ルイス侯爵は、随分と素晴らしい名医だそうで。つい最近、世界初の臓器移植に成功したとか」
「それがどうした?」
侯爵の表情は硬い。エレノアはスッと笑みを消し、冷たい声で侯爵を問い詰める。
「成功するまでに、一体何人が犠牲になった?」
臓器移植の最大の失敗要因は、免疫の拒絶反応。つまり、自分の体が他人の臓器を異物として判断してしまうことだ。その原因を突き止めた侯爵は、一卵性双生児間での臓器移植を成功させた。
それは、世界初の偉業となる――はずだった。
侯爵はエレノアの問いを鼻で笑い飛ばす。
「君は何もわかっていない。臓器移植は最後の手段。死期の迫った患者に同意を得て施すものだ」
侯爵は嘲笑を浮かべ、余裕を取り戻していた。そんな彼を冷たく睨みつけながら、エレノアは続ける。
「私が言っているのは、臓器提供者の方だ」
「臓器提供者は脳死、あるいは心停止した患者がほとんどだ。それも家族の同意をしっかりと取っている」
「ああ、知っている。調べたからな」
エレノアは懐から五枚の紙を取り出すと、目の前のテーブルにバサッと広げた。それは、数日前に入手した、臓器移植のカルテの写し。
「この病院に忍び込んでカルテを見せてもらった」
「なん……だと……?」
再び侯爵の顔がこわばる。彼はしばらく体を硬直させていたが、そのうちブルブルと震えだし、ついには怒鳴りだした。
「忍び込んだだと!? そんなことをして許されるとでも思っているのか!」
ドン、と乱暴に机を叩き激怒する侯爵を、エレノアは軽く手で制した。
「まあ、聞け。お前の言う通り、確かに臓器移植のほとんどは同意の元に行われていた。が、お前が臓器移植を成功させる直前の五例の臓器提供者は、身元不明の子どもと女。あれは誰だ?」
エレノアがテーブルに広げた五枚のカルテは、その五例の臓器提供者のものだった。侯爵もそれを理解したらしく、先程まで真っ赤だった顔が途端に青白くなっていく。
そしてエレノアは畳み掛ける。
「お前、ジョン・ラッセルから買った人間の臓器を使ったな?」
「…………っ」
言葉を失った侯爵は、唇を震わせながら青ざめていた。物的証拠がエレノアの手中にある今、破滅から逃れられないことを悟ったのかもしれない。
「ヘザー子爵の逮捕理由は、人を買ったこと。お前は子爵に人を買わせ、それを横流しさせた。臓器移植の実験に使うためにな」
臓器移植のカルテを入手したエレノアは、ウィリスに頼み、カルテの人物に心当たりがないかジョンやその手下に聞いてもらった。すると案の定、「数ヶ月前に貴族に売り飛ばした奴らだ」という情報を得られたのだ。カルテの五名の買い手は、いずれもヘザー子爵だったと、手下たちが証言している。
ジョンはこの国に来た当初、捨て子や訳アリの女性を拾って売りさばいていた。つまり、買っても足がつきにくい。侯爵はその点を利用し、行き場のない子どもや女性を、臓器提供者として扱った。
「論文を書くために臨床研究の結果を記録しておく必要があったんだろうが、カルテを残しておいたのは失敗だったな。厳重に保管されてはいたが、あれでは逆に見つけてくださいと言っているようなものだったぞ? すぐに場所がわかったよ」
嘲笑うように言い放つと、ルイス侯爵はしばらく絶望に染まった表情で固まっていた。そしてゆっくりと頭を抱え、またしばらく静止する。
暇になったエレノアは、二本目のタバコに手を伸ばそうとした。
「……貴様さえ」
ポツリとこぼされた言葉に顔を上げると、侯爵が執務机の引き出しから拳銃を取り出すところだった。
侯爵は暗殺者とコネクションがあった。つまりは、裏社会との繋がりがある。その拳銃も、護身用として裏ルートから入手したのだろう。
だが、引き出しに拳銃が隠されていることは、忍び込んだ時に確認済みだ。
エレノアはやれやれと溜息をこぼし、タバコに伸ばしかけていた右手をそのまま上に挙げる。
「貴様さえいなければあぁぁぁあ!!」
侯爵がエレノアに銃口を向けた途端、ガシャーンと大きな音を立てながら窓ガラスが割れて散らばった。それとほぼ同時に、キィンという甲高い音が響く。気づけば侯爵が持っていた拳銃は、床に転がり落ちていた。
状況が理解できない侯爵は、呆然とした様子で取り落とした拳銃を見つめている。
「な、にが……」
「あまり下手に動かないほうがいい。次は手を狙えと言ってあるからな」
「スナイパーか! い、一体どこから!?」
ようやく拳銃を撃ち抜かれたことに気づいた侯爵は、割れた窓の外にハッと顔を向ける。
この部屋の窓はとても大きく、非常に見晴らしが良い。エレノアは遠くに見える老舗ホテルを指差した。この病院よりひとつ高い、五階建ての建物だ。
その最上階の部屋には、スナイパーライフルを持ったミカエルがいる。
「あんなところから狙えるはずが……! ここから七百ヤードはあるんだぞ!?」
「私には非常に優秀な弟と妹がいてな」
信じられないというように目を見開く侯爵に、エレノアはフッと笑う。
侯爵は、スナイパーの存在を知ったはいいが、身動きが取れない様子だ。下手に動けば次にいつ撃たれるかわからない。
すると侯爵は、その場で固まったまま、部屋の扉に向かって大声を上げた。
「え、衛兵! 来てくれ、侵入者だ!!」
――答えは沈黙。
一向に衛兵が駆けつける様子はなく、侯爵は焦りと恐怖に瞳孔を広げ、大量の冷や汗を流していた。そして、「またこいつが何かしたのか」と言わんばかりにエレノアを見ている。
エレノアがフッと笑いながらわざとらしく肩を竦めたとき、ゆっくりと部屋の扉が開いた。
中に入ってきたのは、可愛らしいドレスに身を包んだ金髪の少女――マリアだ。
「お初にお目にかかります、ルイス侯爵閣下。わたくし、文具屋『銀の鋏』のマリアと申します」
マリアは挨拶の口上を述べると、見事な一礼をしてみせた。気品漂う言葉遣いや仕草からも、どこぞの上位貴族の娘だと誰しもが思うだろう。
突然現れた美少女に、侯爵は困惑を隠せない。
「な……衛兵は……」
「申し訳ございません、閣下。すべてわたくしが制圧してしまいましたの。でもご安心を。命は奪っておりませんので」
にこりと微笑むマリアの背後に目を向けると、扉の外には理事長室前にいた衛兵二人が転がっていた。このフロアの衛兵の数はこの二人を含めて七人。それを音も立てず制圧したのだから、マリアの腕もかなり上がったものだ。
「よくやった、マリア」
「えへへ」
褒められたマリアは、照れながらも嬉しそうに笑った。その笑顔がなんとも可愛らしい。
(帰ったらミカエルもたくさん褒めてやらないとな)
再び窓の外に視線を向けてそんなことを思った後、エレノアは侯爵に向き直った。




