case6ー13.学術都市ルムニア(3)
エレノアは婦人とともに、近くにあったベンチに腰掛けた。ここは街外れだが、昼時が近いということもあって人通りが多くなってきている。
そんなざわめきを背景に、婦人が少し気落ちした声で話し始める。
「ごめんね、急に。アンナちゃん、すごく良い子だったの。それなのに、あんな事件を起こしたなんて、どうしても考えられなくてねえ」
「いえ、ありがとうございます。情報提供、とても助かります」
軽く頭を下げると、婦人は「いいのよ、私も誰かに話を聞いてもらいたかっただけだから」と言った。
もしかしたら彼女は、ずっと胸の内に抱えていたのかもしれない。アンナが起こした事件への不信感を。
「アンナちゃんがロゼクに引っ越す三ヶ月くらい前だったかしら。学校に行けるんだって、それはそれは喜んでいてね。貴族の方が推薦人になってくれたそうなのよ。でも、匿名で推薦するから、名前は教えてもらえなかったって。おかしいと思わない?」
婦人は同意を求めるように、こちらの反応をじっと待っている。エレノアが婦人の目を見てうなずくと、彼女は自分の感覚が間違っていないと安心したのか、続きを話し出した。
「それで私、心配になって、アンナちゃんに言ったのよ。騙されてるんじゃないか、一度推薦人の素性を調べたほうが良いんじゃないか、って」
そこまで言うと、婦人は目を伏せ、表情を暗くする。
「……でも、アンナちゃんは聞いてくれなかったわ。推薦人を尊敬してやまない、信じて疑わないって、そんな様子だった。スミスさん夫妻に言っても、心配しすぎだって取り合っちゃくれなかった」
アンナにとって推薦人は、学校に行きたいという夢を叶えてくれた人物だ。その上、学費と生活費の援助に、実家の借金の肩代わりまでしてくれた。まるで聖人のような推薦人に、アンナが心酔していてもおかしくはない。
アンナの両親も、借金の肩代わりをしてくれるような聖人君子が悪人であるはずがないと、信じ切っていたのだろう。
「推薦人の顔は見ましたか?」
「いいや、直接は。でもアンナちゃんに聞いた話だと、白髪の、お年を召した方だったそうだよ。姿勢が綺麗で、紳士的で、とても素敵な方だって、よくアンナちゃんが言ってたものさ」
この時点で、推薦人はヘザー子爵ではない事が確定した。子爵は四十手前だ。婦人の発言と合わない。
しかし、白髪で高齢という情報が得られただけでも大きい。
「他に何か情報をお持ちですか?」
そう尋ねると、彼女は周囲をキョロキョロと見回した。
往来の人々は皆、忙しそうに動き回っており、こちらに注意を向けている人はいない。そのことに安心したのか、婦人はエレノアにしか聞こえない小さな声で言った。
「実は私、アンナちゃんのご両親――スミスさん夫妻と話してるのよ。二人が亡くなる前日に」
そう前置きしてから、彼女は続ける。
「推薦人の貴族の方が、借金を肩代わりしてくれたんだって言っていたわ。あと、アンナちゃんの話を嬉しそうしてた。数ヶ月前までは、生活が苦しいのか、どんよりした雰囲気だったんだけど、その日はとても生き生きした顔をしていてねえ。そんな二人が突然自殺するなんて、あり得ないわよ」
今の証言は、ウィリスからの情報と一致する。夫妻は自殺する直前まで変わった様子がなかったどころか、遺書すら見つかっていない。スミス家に他殺の証拠は残されていなかったようだが、一方で自殺に追い込まれるような理由が夫妻にはなかった。
この婦人は、アンナやスミス夫妻の死に疑問を抱き、こうして話をしてくれたのだろう。そして、彼女は推薦人が怪しいと考えているようだ。
(……その推薦人とは、一体誰だ……?)
肝心のそれが、一向に見えてこない。
エレノアは深い息を吐き出し、今一度、頭の中を整理しようとした。
その時。
ゴーン……ゴーン……ゴーン……。
不意にどこからか鐘の音が聞こえてきた。音に釣られ顔を上げると、遠くにある時計塔が目に入る。あれは確か、この国の最高学府、オルガルム大学内にある建物だ。
「鐘の音を聞くのは初めてかい?」
エレノアの視線の先を察してか、婦人がそう尋ねてきた。軽くうなずくと、彼女は大学の方を指さしながら説明してくれる。
「あの鐘はね、哲学の鐘と言って、この街のシンボルでもあるのさ。ほら、向こうに見える立派な建物。オルガルム大学の名前は、一度くらいは聞いたことがあるだろう?」
流石にここから時計塔の文字盤は見えないが、懐中時計を取り出し時刻を確認すると、針はちょうど十二時を指し示していた。なるほど、あの鐘は正午を伝えてくれたらしい。
するとその時、婦人が何かを思い出したように、ポンと手を打った。
「ああ、そう言えば、アンナちゃんの入学が決まった頃、ちょうど大勢の学者さんたちが街に集まっていてね。大学で大きな学会があるとかで」
アンナが学校に入学したのが三ヶ月前。そして、アンナが推薦人と出会い入学が決まったのがそれから更に三ヶ月前――つまり、今から半年前。
アレンがオルガルム大学で開かれていた医学系の学会に参加したのも、半年前だ。
(黒幕は貴族……医学系の学会……そして、学術都市ルムニア……)
そうか。
そうか、そうか、そうか――。
(馬鹿か私は。どうしてもっと早くその人物にたどり着けなかった?)
「ここは街外れで見るところも特にないんだけど、大学の理事さんがお気に入りの、すごく美味しい飲食店があってね。学会の日も、学者さんを連れて来ていたよ。あの時期はこのあたりも賑やかだったわねえ」
脳内に散在していた点と点が、物凄い勢いで繋がっていく。パズルのピースが次々にはまっていくようだ。
あとやるべきは、「奴」を捕らえるための決定的な証拠を見つけ出すこと。
「ありがとうございます。これでやっと、真実にたどり着ける」
早鐘を打つ心臓を押さえつけながら、エレノアは足早に次の目的地へと向かうのだった。
* * *
「あの、ハーカー夫人はいらっしゃいますか? 至急お会いしたいのですが」
オルガルム大学まで走ってきたエレノアは、少しだけ乱れた息を整えつつ、大学の受付でそう申し出た。
受付にいた女性は突然現れた見ず知らずの男に面食らったらしく、「約束はしていますか」と訝しげに尋ねてきた。
エレノアが「半年前にハーカー夫人の治療に当たった医師から伝言があるのですが」と伝えると、当時の事情を知っていたのか、受付嬢はすぐに繋いでくれた。
そして、応接室に通されたエレノアは、無事ハーカー夫人と会うことができた。
「突然、約束もなしに申し訳ありません」
「いいえ。命の恩人のお知り合いを無下に扱うなど、どうしてできましょうか」
にこりと微笑むハーカー夫人は、穏やかで落ち着いた女性だった。彼女は当時を思い出すように、少し遠い目をしながら続ける。
「半年前、あの場にオーウェンズ卿がいらっしゃらなければ、私は命を落としていました。本当に感謝してもしきれません」
アレンは「急病人を診た」としか言っていなかったが、まさか命に関わるような状態だったとは。彼女がここまでアレンに恩義を感じているのも納得だ。
「それで、どういったご用件でしょう。オーウェンズ卿から伝言があると伺っておりますが」
「はい。僕はアレンの友人なのですが、彼はずっとあなたの体調を気にかけておりまして。出張でちょうどこの街を訪れたので、僕が代わりにこうして伺ったというわけです。その後、体調はお変わりありませんか?」
すべて、でまかせだ。だが、心配そうな表情でそう言えば、彼女はすんなり信じてくれた。
「なんとまあ、ご丁寧に。ありがとうございます。おかげさまで、この通り元気に過ごしております」
「それは良かったです」
エレノアは人好きのする笑みを浮かべた後、すぐに深刻な表情を作る。
「僕は当時のことを知らなくて。どんな状況だったか覚えておいでですか? 実はここ最近、アレンが誰かから嫌がらせを受けていて……学会で何か揉め事でもあったのかと思いまして」
「嫌がらせ!? それは大変ですわ」
ハーカー夫人は口元に手を当て、大きく目を見開いている。そして優しい彼女は、命の恩人のために懸命に思い出そうとしてくれた。
「ええと……学会自体では、特に揉め事はなかったように思います。何かあれば、運営をしていた我々事務員の中で共有されているはずなので」
「あなたが倒れたときはいかがでしたか?」
「あの時は意識も朦朧としていて、よく覚えてなくて……あ、でも――」
顎をつまみながら思案顔で話していた彼女は、何かを思い出したのかパッと顔を上げた。
「そうだわ、そうそう。オーウェンズ卿の前に、ある方が私を治療してくれようとしたと聞きました。でもその方に誤診されたみたいで危なかったと、後でこっそり同僚に教えてもらったのです」
「その人物の名前は?」
エレノアが尋ねると、ハーカー夫人は回答に詰まってしまった。なんと答えようか相当迷っているらしく、しばらく口を開いたり閉じたりを繰り返している。
そして彼女は意を決したようにひとつ頷くと、部屋の外に漏れないような小さな声で言った。
「絶対に、私から聞いたと言わないでいただけますか?」
「もちろんです。お約束します」
ハーカー夫人の瞳を見つめ力強くそう返すと、彼女も真剣な瞳で見つめ返してくる。どうやら答えてもらえるようだ。
「その方の名前は――です」
彼女の答えに、ドクンと心臓が跳ねる。
彼女が口にした名は、エレノアがたどり着いた黒幕の名と一致していた。
やはり、接点はここから始まっていたらしい。
「ありがとうございます。助かりました」
エレノアはハーカー夫人に礼をしてから、オルガルム大学を後にした。
その後、列車と馬車を乗り継ぎ、四時間かけてロゼクの街に戻った頃には、すっかり日が暮れていた。急ぎ足で帰ったとはいえ、流石に距離がある。
店の裏口から中に入ると、小さな人影がひとつ。ミカエルだ。
「帰ってたのか」
「姉さま……!」
鉢合わせると思っていなかったのか、ミカエルは心の底から驚いている様子だ。
「おかえりなさい。着替えを取りに来ていたんです。これから病院に戻ります」
ミカエルは今、マリアと共にオーウェンズ病院の警備に当たっている。着替えの詰まった袋を持つ彼は、今まさに店を出ていこうとしていたようだ。
「姉さまの方は、何か収穫はありましたか?」
「ああ、犯人がわかった。今晩、病院に忍び込んで証拠を得てくる」
「えっ!?」
ミカエルはエレノアの答えに目を丸くして驚きつつも、すぐに首を傾げる。
「病院って……オーウェンズ病院ですか?」
その問いに、エレノアは小さく首を横に振った。
「いいや、違う。首都アマンにある、この国最大の病院――ルイス記念病院だ」




