case6ー10.エイデンの真意
翌日の夜。
エレノアは首都アマンの路地裏に潜んでいた。エイデン・ティンダルを待ち伏せするためだ。
エイデンは今日、帝国軍の騎士団員として皇城に出仕している。ティンダル伯爵家が城からそう遠くないこともあり、彼は住み込みではなく、自宅から城に通っているらしい。仕事を終えたエイデンは、直にこの通りを馬車で通るはずだ。
この道は首都の大通りから外れた場所にあるので、夜は往来する人も馬車も比較的少ない。閑静な住宅街である。
誰もいない路地裏にひっそりと佇むエレノアは、黒いマントを身にまとい、完全に闇と同化していた。今日は新月ということもあり、街灯の届かない路地裏は本当に真っ暗だ。
(アレンと初めて会ったのも、そう言えば路地裏だったな)
不意に昔の記憶が蘇り懐かしんでいると、馬の蹄が石畳を蹴る音が聞こえてきた。それに加え、ガタガタと車輪の音もする。
エレノアが路地裏からわずかに顔を出し確認すると、こちらにやって来る馬車にはティンダル伯爵家の紋章が入っていた。待ち伏せしてから何本か馬車を見送ったが、今度こそ当たりのようだ。
(来たな。よし)
エレノアは路地裏から素早く出ると、ごく自然に歩道を歩く。徐々に近づいてくる馬車には御者が一人。彼はこちらの存在に気づいてすらいない。
ゆっくりと、距離が近づく。
そして、馬車とのすれ違いざま――。
エレノアはサッと車体横の手すりを掴むと、ステップに片足を乗せ、一息に体を引き上げた。そしてドアを開き、するりと中に入り込む。
突然の侵入者に驚いたエイデンはとっさに声を上げようとしたが、エレノアが素早く彼の口を片手で塞いだ。そして、人差し指を自分の口元に当て、「シーッ」と沈黙を要求する。
「昨日ぶりだな。安心しろ、殺しはしない。だが騒ぐなら保証はできない」
エレノアは今、若い男の医者に扮している。エイデンを病院で殴り飛ばしたときの、あの顔だ。
エイデンはその顔を見た途端ガタガタと震えだし、「わかったから離してくれ」と言わんばかりに首をブンブンと縦に振った。目が恐怖に染まっているので、むやみに騒ぐことはなさそうだ。
エレノアは彼の口元からそっと手を離すと、右手に拳銃を取り出し、それをちらつかせながら問いただした。
「単刀直入に聞く。お前の目的は何だ?」
「も、目的……?」
「ああ。セレーナに近づく目的だ。正直に答えろ。さもなくばどうなるか……わかるな?」
ひらひらと拳銃を見せびらかすと、エイデンが慌てて答える。
「お、俺はただ、彼女と結婚したくて……!」
「嘘をつけ。惚れた女の職場で暴れた挙げ句、その兄に怪我をさせる馬鹿がどこにいる?」
「あ、ええと……それは……」
エイデンは目をキョロキョロと泳がせ、必死に弁明の言葉を探している様子だった。完全に動揺している。
やはり、セレーナと結婚する以外の目的が、この男にはあるようだ。
「もう一度聞く。お前の目的は何だ?」
「だから、ただ彼女と結婚したいだけなんだ!」
頑ななエイデンに、エレノアは軽く溜息をついた。これでは埒が明かない。
「はぁ、もういい」
ジャキン、と拳銃のスライドを引くと、顔を引き攣らせたエイデンが慌て出す。
「ままま待ってくれ、話を――」
「セレーナとの婚約をなかったことにしろ。そうすれば見逃してやる」
エレノアは銃口を容赦なくエイデンに向けた。彼はその瞳を絶望に染め、唇を震わせる。
エレノアの冷たい視線から目を逸らすことができないのか、彼はじっとこちらを見つめていた。そしてしばらくして、ようやく声を絞り出す。
「そ……それは、できない」
「そうか。ならばここでお前の人生は終わりだ」
冷徹にそう言い放つと、エイデンはかすれた声を出しながら一筋の涙をこぼした。
「それで……それで構わない。だから、家族には手を出さないでくれ……」
頭を垂れ、懸命に懇願してくる彼の姿を見て、エレノアは強烈な違和感を覚えた。
エイデン・ティンダルの経歴から見えてきたこと。それは、生粋の問題児で甘ったれで、自分の地位に固執するプライドの高い男、ということだ。
そんな男が最近、終始怯えた様子だという。その上、今は目の前で深く頭を下げている。
その大きな乖離を目の当たりにし、エレノアは一つの結論に至った。
「誰だ。お前は誰に脅されている?」
エイデンがゴクリとつばを飲む音が聞こえた。かすかに体を震わせながら、頭を下げたまま動かない。
「…………」
一向に答えようとしないエイデンに痺れを切らし、エレノアは彼の胸ぐらを掴んで無理やり上を向かせた。
「言え。誰に脅されている? 正直に答えれば、お前の家族もろとも助けてやる」
エイデンの顔を覗き込みそう言うと、彼の瞳が一瞬期待に揺れた。しかしすぐに表情を強張らせ、恐怖に顔を歪ませる。
「言えない……言ったら家ごと潰される……」
「家を潰される? ということは、ティンダル伯爵家より権力が上の人間、ということか?」
「全部俺が悪いんだ。俺の命はくれてやるから……だから、勘弁してくれ……家族だけは……」
エレノアは畳み掛けて尋ねたが、エイデンは消え入るような声でそう答えたきり、何も言わなくなってしまった。唇を噛み締めながら涙を流す彼に、エレノアは掴んでいた胸ぐらを離し、深い溜息をつく。
これ以上聞いても、エイデンの口から有力な情報が出てくることはなさそうだ。
しかし、状況としては随分と進展した。エイデンと接触し、多くの点が明らかになったことは行幸だ。
まず、セレーナの婚約の件は、エイデンが誰かに命令を受けて実行したということは確実。その人物はティンダル伯爵家を潰せるほどの力を有しており、となれば相手は少なくとも同格以上の地位を持つ。
そしてその相手こそが、オーウェンズ病院を陥れようとしている首謀者だろう。
(やはりセレーナの件も無関係ではなかったか……。しかし、一体誰が……?)
伯爵家以上の人間ということなら、随分と絞られる。病院の患者リストに載っていた上位貴族の名前は、それほど多くない。これなら最悪しらみ潰しに調査してもなんとかなりそうだ。
エレノアは銃を仕舞うと、馬車に深く腰掛けた。
「お前はいま、命を狙われている状態にあるか?」
唐突にそう聞かれたエイデンは、目を丸くしてキョトンとしていた。エレノアの雰囲気が急に和らいだので驚いているのだろう。
早く答えるよう視線で促すと、彼は目に溜まった涙を手の甲でグイッと拭ってから答えた。
「命令に背かない限りは、多分大丈夫だと思う」
「次に行動しろと言われているのはいつだ?」
「……そこまで具体的な指示は出てない。でも、指示の内容は絶対に言えない。言ったら殺される」
脅してくる相手のことが余程怖いのだろう。力強く握り込んだ彼の拳が震えている。一体どんな弱みに付け込まれたのか。
(そう言えば、こいつが通院してた理由って、確か……)
不意にとある仮説にたどり着き、エレノアはそのまま彼に尋ねた。
「オーウェンズ病院には骨折で通院していたと聞いたが、まさか、お前を脅している奴に折られたのか?」
「…………」
エイデンは目をハッと大きく見開いたかと思うと、途端にガタガタと震えだした。当時の事を思い出したのか、自分で自分を強く抱きしめ、呼吸を荒くしている。これは肯定と捉えていいだろう。
(全部自分が悪いと言っていたし、調子に乗って何かやらかして、それをダシに脅されているってところか)
本当にそうなら自業自得だが、家族を人質に取られ脅されているなら、多少の同情はする。
「わかった。もし可能なら、一週間はオーウェンズ病院に手を出すな。今は病院に護衛がついているから、お前が大怪我をして終わる羽目になる」
オーウェンズ病院には、昨日からミカエルとマリアが泊まり込みで警備に当たっている。アレンは腕の怪我が治るまで仕事はできそうにないのだが、守りやすいよう、男爵家には帰らず病院で寝泊まりしてもらっている。
ミカエルとマリアはエイデンに対して相当な怒りを抱いているため、今エイデンが二人に出くわしたら、殴られるだけでは済まないだろう。本当に大怪我をして、下手をすれば入院だ。
エレノアの忠告に、エイデンは黙って頷いた。
(さて、今日はこれでもう十分だな)
「ではな、青年。今回のことに懲りたら、これからは真面目に生きることだ」
エレノアはそう告げると、馬車からサッと飛び降り、再び闇夜に消えていくのだった。




