case6ー9.見つからない手がかり(2)
「無理を承知でお願いするが、過去一年分の患者リストを見せてはくれないだろうか」
予想外の頼みだったのだろう。アレンとセレーナは揃って顔を見合わせた。
プライベートで揉めた人物がいないのであれば、他に考えられるのは患者から一方的に恨みを買ったくらいだ。エレノアが患者リストを確認したかったのは、そうした理由からだった。
しかし案の定、セレーナに渋い顔で断られてしまう。
「悪いけど、流石にそれは見せられないわ……」
「まあ、それはそうだよな。わかった。無理を言ってすまなかったな」
患者リストが第三者に漏れたとあらば、病院の信頼問題に関わる。断られるのも当然だ。
もう聞けることもないので帰ろうかと思ったその時、不意にアレンが立ち上がった。そして彼は、壁の書類棚に向かいながら、こんなことを言い出した。
「エレノアはこの病院に勤務するカウンセラー、という設定にしよう。それなら患者リストを見ても問題ないはずだ」
彼は棚から何冊か分厚い書類の束を取り出し、またソファに戻って来る。そして、その束をテーブルの上に置いた。
まさしく、患者リストだ。
アレンの行動に、セレーナは焦った様子で兄を諌めた。
「ちょっ、ちょっと兄さん! いくらなんでも流石にそれは!」
「セレーナが危険な目に遭ったんだ。背に腹は代えられない。それに、エレノアはこの情報を悪用したりしないって、信じてるから」
アレンがエレーナの瞳を見つめながら諭すようにそう言うと、彼女はぐっと言葉を飲み込んだ。兄の覚悟を前に、それ以上は何も言い返せなかったようだ。
エレノアはアレンの柔軟さに感謝する。
「ありがとう。もちろん、悪用などしないし、誰かに漏らしたりもしない。ミカエルとマリアにもな」
「こちらこそ、犯人を見つけ出そうとしてくれてありがとう。持ち出しはできないから、患者リストを見たくなったらいつでも僕のところに来て」
アレンはそう提案してくれたが、エレノアは首を横に振った。
「いや、その必要はない。すべて覚えて帰る」
そう告げると、エレノアは意識を集中させ、一つひとつの名前に目を通していった。生年月日や性別、職業や住所など、使えそうな情報も片っ端から頭に入れていく。
オーウェンズ病院には貴族から平民まで様々な身分の者が訪れ、その年齢も性別もバラバラだ。過去一年間分の患者数は、実に千人以上。流石のエレノアも、これには骨が折れた。が、不可能ではない。
エレノアは昔から記憶力が良く、特殊な訓練も積んでいる。ギリギリ覚えられる範囲だ。
患者リストを確認し終えたエレノアは、分厚い書類の束をテーブルに戻した。
「もう良いのかい?」
アレンが目を丸くしてそう尋ねてくるので、エレノアは軽くうなずく。
「ああ、すべて記憶した」
「あんたってほんと……とんでもないわよね……」
セレーナに視線を移すと、彼女は面食らった様子でこちらを見ていた。若干引き気味だ。
そんな反応に苦笑していると、アレンが何かを思い出したように「あ」と声を上げた。
「そう言えば、半年前に学会に参加した時に、急病人を診たことがあったんだ。その時の患者はリストに載ってないから、一応伝えておくよ」
思いがけない情報に、エレノアはわずかに片眉を上げる。
「学会? その急病人は学者か何かか?」
「違う違う、オルガルム大学の事務の人だよ。医学系の学会が、半年くらい前にオルガルム大学で行われてね。四十代の女性で、名前は確か……そうそう、ハーカー夫人だ」
「オルガルム大学か……」
この国の最高学府であるオルガルム大学は、アンナ・スミスの故郷、学術都市ルムニアに存在する。
これはただの偶然だろうか。はたまた、点と点が線で繋がったのか。
何にしろ、アンナ・スミスを調べ直すためにルムニアには行こうと思っていた。ついでにハーカー夫人にも事情を聞くことにしよう。
「情報提供に感謝する。セレーナの婚約は必ず白紙にさせるから安心しろ。あと、この病院に麻薬を置いた犯人についても、必ず突き止めてみせるよ」
ひとまず二人に聞きたかったことは聞けた。もう少し収穫が欲しかったところだが、これ以上尋ねても情報は出てこないだろう。
エレノアはこれから取るべき行動を思案する。
まず何よりも、この病院の警備だ。いつまたトラブルが発生するかわからない以上、ミカエルとマリアに護衛として再度この病院に滞在してもらったほうが良いだろう。
(そして、私は何から取り掛かろうか……)
千人以上もの患者を一人ひとり調べていくのはかなり骨が折れる。それは初手にすべきことではない。
(……まずはエイデン・ティンダルの真意を確かめに行くか。それから、アンナ・スミスを調べ直しにルムニアへ行こう)
方針が固まったところで、エレノアは帰路につこうと立ち上がった。するとアレンも立ち上がり、見送ろうとしてくれる。
「今日はありがとう、エレノア。でも、くれぐれも無茶はしないでね。怪我はもちろん、寝不足もダメだからね」
不安顔でそう言う彼に、エレノアは肩をすくめておどけてみせる。
「全く、先生は心配性だな。お前こそ無理するなよ。見送りはいいから、さっさと休め。怪我に障る」
アレンを手で制すと、エレノアは一人で院長室の扉へと向かっていく。そして扉を開けようとしたとき、セレーナに呼び止められた。
「エレノア」
「どうした?」
振り向くと、彼女は心底申し訳無さそうな表情をしていた。服の裾をキュッと握り、俯き気味だ。
そして彼女は、言い出しにくそうに視線を泳がせてから弱々しい声を出した。
「その……たくさん迷惑かけてごめんなさい。今日は助けてくれて、本当にありがとう」
ここ最近でわかったことだが、セレーナはいくら相手を嫌っていようと、感謝の言葉は絶対に忘れない律儀な子だ。そして、自分が悪いと思ったことは素直に謝ることができる。そんなところが、人として、とても好ましいと思う。
エレノアはセレーナを安心させるために、優しく微笑んだ。
「別にこれくらい、迷惑でもなんでもない。もう少し待ってろ。すぐに解決してくるから」
そう言ってから扉を開け、エレノアは院長室を出る。
――あの優しき兄妹を貶めようとしている黒幕を、決して許しはしない。
病院を後にしたエレノアの瞳には、鋭い怒りが宿っていた。




