エルフん
九月九日は重陽の節句。
菊の節句で、長寿を祈る日です。
昔は旧暦で数えたので、ちょうど菊の花ざかりでしたが、新暦のこの時期は、菊にはちょっと早いかも。
平安の時代、宮中では菊を飾って観賞したり、盃に菊の花びらを浮かべて酒を飲んだり、詩歌を詠み合ったりと雅に過ごしていたといいます。
また、さらに昔には収穫祭の意味合いが濃い行事で、栗の節句と呼ばれ、栗ごはんなどで祝い、感謝を捧げたといわれています。
「なのか」
「はい」
農林水産大臣である二十九歳の男性、撫子は、参考文献本を胸に抱える九十九歳の男性エルフ、柊へと、はんなりと微かに笑いかけた。
『こちらの日本という国では四季があり、四季に捧げる行事もあると聞いた。私はとても興味がある。私に教えてくれないか?』
一週間前の事である。
尖った耳、透き通るような白い肌、均整の取れた体格、オールバックにした銀色の長髪、凛々しい顔立ちの男性エルフ、柊が訪れた警察署から連絡を受けては、市役所、県庁、総務省、法務省、外務省を経て、農林水産省、農林水産大臣に任せるとの命令が下されたのである。
十年前。
突如として月から異種生物が降り立つようになった。
十年前は小人。
九年前は巨人。
八年前はスライム。
七年前は機械生命体。
六年前は獣人。
五年前は魚人。
四年前は爬虫類系種族。
三年前は樹木類系種族。
二年前は河童。
一年前はドワーフ。
それぞれの種族の代表者が一名地球に降り立っては、望みを口にするのである。
望みを叶えなければ地球を滅ぼす。
などという物騒な事はこれまで一度も言われた事はないが、世界各国の代表者は率先して望みを叶える事を共通事項として認識していた。
そして今年は、エルフ。しかも、選ばれた国が日本である。
望みを絶対に叶えなければならない。叶えられなかった時が恐ろしい。
そうして誰もがやりたがらず回され続けた接待役を、農林水産大臣である撫子が担う事になり、今現在、重陽の節句の催しが行われている神社に案内しているというわけである。
人々は飾られている色とりどりの菊を観賞したり、宮中の着物を身に纏ったり、盃に菊の花びらを浮かべて酒や甘酒を飲んだり、詩歌を詠み合ったり、栗ご飯を食べたりしていた。
「あれは、相撲大会でもあるのか?」
柊は境内を歩く二人の男性を見た。
二人共に相撲のまわしに似たものと下駄しか身に着けていなかったのだ。
「いいえ。あれは神聖な蒸し風呂に入る為の正装なのです」
「正装?」
「はい。日本の伝統的な下着で、祭りや禊の時に身に着けるものです」
「下着とは服の下に隠すものだろう。何故あのように露わにしているのだ?」
「江戸時代にそれまで身分の高い男性しか身に着ける事ができなかったふんどしが一般庶民にまで広がったのですが、その頃はふんどしはただの下着ではなく、仕事着の役割も果たしていました。大工、魚屋、職人、商人は、尻はしょり(着物の裾を外側に折り上げてその端に帯を挟む事)をした着物の裾から、ふんどしを露出して仕事に励んでいました。今では考えられない事ですが、働く男がふんどしを見せるというのは当たり前の事。ふんどしは見せる事を前提に締めていたので、恐らくお洒落にこだわる粋人も居たのではないかと考えられています」
「ほう」
「この神社では重陽の節句の今日に限り、菊の蒸し風呂を提供しているのです」
「蒸し風呂とは何だ?」
「蒸し風呂とは、水蒸気が逃げない狭い部屋で蒸気を浴びる入浴法です。その昔、仏教伝来と共にお湯につかる入浴法が日本に伝わるまでは、入浴というと蒸し風呂に入る事であったとされています」
「男性だけか?」
「いいえ。女性は別にあちらの建物の中で提供しています」
「なるほど。男性と違い女性は上半身を露わにして道中を歩けなかったな」
「はい」
「その菊の蒸し風呂は私も入れるのだろうか?」
「お望みとあらば。ただし、ふんどしを着用してもらいますがよろしいでしょうか?」
「………ふむ。そうだな。ふんどしなるものを着用するには、色々と準備が必要だ。三十分、月に戻るがいいか?」
「はい。こちらでお待ちしています」
漆黒の狩衣を身に着けていた撫子は、純白の狩衣を身に着けている柊へと深々と頭を下げた。
(………しかし準備とは一体)
「こちらの六尺ふんどしを着用してもらいます。まず、真ん中を股に当て、片方を肩にかけ、片方を股の間に通します。はい。次に、股の間に通したふんどしをねじりながら腰に回します。はい。次に、背中まで回し、内側から交差させて、ねじりながら仮止めします。はい。次に、肩にかけたふんどしを股の間に通し、お尻の下側から交差させていきます。はい。次に、再度、交差させて仮止めでできた輪を通し、左右に引いて締めます。はい。次に、ねじりながら左右それぞれに巻きつけていきます。はい。次に、しっかりと引き締め両側を巻きつけて完了です」
三十分後。
境内に設けられた個室にて。
撫子は実際に六尺ふんどしの装着方法を実践しながら、柊に説明をした。
柊は撫子のやり方を見ながら、六尺ふんどしを装着していった。
「では行きましょうか」
「うむ」
水分補給も済ませて、個室から少し離れたところに設置してある蒸し風呂へと向かう最中。
柊は注目を浴びていた。
鍛え抜かれた肉体が惜しげもなく披露されているのである。
その美しく華やかな顔からは箸すら持てないような華奢な肉体しか想像できないのだが、全く以て違うのである。筋肉隆々とまでは言えずとも、盛り上がるところは盛り上がり、引き締まるところは引き締まり、割れるべきところは割れている、均整な筋肉がついた肉体なのだ。
うつくしい。
目の保養だ。
眼福。
あれこそ芸術美。
勇ましくも美しさと気高さが共存しておる。
この世の宝。
写真を撮らなくちゃ。
いや。写真など無粋、目に焼き付けてこそ。
全く絵心などなかったのに急に爆誕したあああああ。
全く彫刻心などなかったのに急に爆誕したあああああ。
全く音楽心がなかったのに急に爆誕したあああああ。
冥途の土産じゃあああああ。
あああああああありがたやあああああありがたやあああああ。
ふんっどしばんざい、ふんっどしばんざいいいいい。
日本に生まれてよかったあああああ。
(っふ。月で鍛えて来てよかった。人目に我が肉体を晒すのだ。無様な姿は見せられぬ。しかし。うむ。撫子殿は。薄っぺらいな。肌も色白。農林水産大臣と言えば、食料を司る長。日に焼けた肌と筋肉隆々の肉体が必須だと思っていたが。よもや、書類仕事しかした事がないのではないか。体力仕事をした事がないのではないか。言動は雅ではあるが。ううむ。この一年間共に過ごすのだ。これも何かの縁。私が鍛え上げてやろう)
「うむ。これはよい。湿度が高いながらも息苦しさもそうなく、ほのかに菊の香りがして、心身共に落ち着く」
「蒸し風呂には、デトックス効果、美肌効果、リラクゼーション効果があると言われています」
「うむ。これはいい。一年に一度とはもったいないな」
蒸気が充満する蒸し風呂の中は狭いながらも、向かい合って木の椅子に座れるだけの空間は確保されていた。
柊と共に向かい合って座る撫子は、否応なく柊の肉体美が目に入ってしまった。しかも温められて汗が流れる艶めかしい肉体美が。
(ふんどしがなければ、まるでガラス箱に収められたガラス人形にしか思えなかったですが。ふんどしがある事によって、猛々しい血の通う美しい生物に見えますね。しかし。俺とはえらい違いです。俺は貧弱すぎる。ですが。書類に向かい合ってばかりで、肉体を鍛える時間もないですし)
「溜息とはどうした?」
「いえ。あまりに美しい肉体なので羨ましいなと思いまして」
「羨ましいか?」
「はい」
「では、」
柊は撫子の頤を人差し指の腹で持ち上げては、鮮麗に、凄艶に笑ってみせた。
「私が鍛えてやろう」
「………よろしくお願いします」
「うむ。任せろ」
刹那意識が飛ばされた撫子。恐ろしいエルフだと生唾を呑み込んだのであった。
(気を引き締めなければ、あっという間に喰い尽くされてしまう)
(2026.9.9)
参考文献
日本の七十二候を楽しむ-旧暦のある暮らし-(東方出版)
ふんどし協会のホームページ
稲田布帛工業所のホームページ




