てまりてまり
枇杷のムース。
マンゴープリン。
パイナップルのパンナコッタ。
イチゴのショートケーキ。
メロンのショートケーキ。
柑橘類のタルト。
アメリカンチェリーのチョコケーキ。
月ごとの旬の果物を使った七種類のデザートとケーキに加えて、定番のケーキがもう二種類。
ベイクドチーズケーキ。
スフレチーズケーキ。
これら九種類のデザートとケーキが、祖父母のケーキ屋で提供されているのだ。
見た目も味も素朴で懐かしくて、じんわりと微笑んで美味しいと言ってしまう自慢のデザートとケーキたち。
私はこのケーキ屋と心中する。
そう、決めていたのに。
「なんで、こんなことに」
ケーキ屋『あじさい』を閉店する。
夕飯を食べ終えて話があると祖母から言われて、和室の畳の上で正座になった中学生の少女、天鞠は、衝撃的な言葉を聞いた瞬間、祖母とたったの二人で住む家から飛び出しては、夜道をひたすら走り続けた。
食材代も道具代も包装材等代も運送代もガス代も電気代も水道代も。
あらゆるものが高騰しているのだが、なかなか値段に転嫁できず、赤字経営になっていたのは知っていた。
けれど、天鞠が大学を卒業するまでは必ず守り切って見せる。
そう、祖父を亡くして悲しみに打ちひしがれるだけではなかった祖母は言った。
(私は、何でまだ。中学生なの? 中学生なんて何も)
小さな八重咲の花が集まって手毬状に咲く紫陽花、てまりてまりの間を駆け抜ける。
夜道の中、防犯灯の白い光に照らされているてまりてまりは昼間とは異なる印象を与える。
自然物ではなく、人工物。
誰かの手によって創られた白紙。
人工物に照らされているからだろうか。
異なる点はもうひとつ。
普段ならばとっくに過ぎ去っているはずのてまりてまりの道から抜け出せることはなく。
けれど、この二つの異なる印象、異なる点を、今の天鞠が意識することはなかった。
駆け走る。
ただその一点のみであったが、それは唐突に終わりを迎えることになる。
「夜一先生っ!?」
天鞠は防犯灯に照らされながら、目を瞑って地面に直に仰向けになっている男性、夜一を見つけては咄嗟にスマホを取り出して救急車を呼ぼうとしたのだが、できなかった。
家にスマホを置いてきたままだったのだ。
「えっ!? え。あ。そうだコンビニに行って助けを「ふがっ!?」「………ふが?」「ふわああああ」「ふわあああ?」「久々に心地よい眠りでした」「………夜一先生」
ゆっくりと上半身を起こす鉄仮面のままの夜一に、天鞠は胡乱な眼差しを向けた。
天鞠の担任の先生であり、技術・家庭科の教科の先生でもある夜一。
七三分けの黒短髪、黒四角眼鏡、黒スーツを身に着け、姿勢が常に良く、第一印象はシゴデキな三十代男性なのだが、ネクタイはスイーツ柄であり、よく忘れ物をしたり、伝え忘れがあったり、どこでもないところで派手に転んでしまうなどのドジっ子な実体にもかかわらず表情は鉄仮面のままで可愛い、好感が持てると、先生の中で一、二を争う人気者でもあった。
「ここ数日寝苦しい夜が続いたせいであまり睡眠時間が取れず。もう少し歩けば私のアパートに辿り着けるんですけど、ここの地面があまりに冷たそうに見えて、気が付けばついつい眠ってしまいました」
「先生。男性だからってこんな夜の道中で眠るなんて信じられません。危機感が足りないですよ」
「大丈夫ですよ。邪な気配はすぐに察知して対処することができます」
「………夜一先生」
「私よりも、天鞠さんの方が問題です。防犯灯も防犯カメラもあるとはいえ、人通りも少ないですし、今は。もう二十一時じゃないですか。送ります。おばあさんに連絡を入れてください」
「スマホを忘れました」
「では、これを使ってください」
夜一は黒スーツの裏胸ポケットから取り出したスマホを天鞠に差し出した。
ありがとうございます。
お礼を言って背面を向けるスマホを受け取った天鞠は首を傾げた。
スマホの背面には、天鞠が通う中学校名と共に備品と書かれていたのである。
「あ、しまった。私のスマホを学校に………あれ? あらら。私のスマホも胸ポケットにありました。学校のスマホを返し忘れたようです」
「………学校のスマホを借ります」
どうぞ。
天鞠は差し出された夜一のスマホを辞退して、学校のスマホで家に電話をかけたのであった。
「なるほど。ご実家のケーキ屋さんが閉店されることにすごく衝撃を受けてしまって、こんな真夜中に駆け走っていたのですね」
「真夜中ではないと思うんですけど。はい」
天鞠の祖母への電話を終えて、天鞠が夜一と共に帰路を歩く中。
何故ここに居るのかを夜一に尋ねられた天鞠は素直に答えていた。
「分かってはいるんです。赤字続きだし。おばあちゃんもケーキを作るのきつそうだし。中学生の私が手伝える範囲なんてたかが知れているし。だから、私にできるのは、おばあちゃんの、おばあちゃんとおじいちゃんの味を受け継いで、いつか、私が店を出せるようにすることだって。分かってはいるんです。けど。いくら今の『あじさい』通りに店を作ってみせたって。『あじさい』じゃない。おばあちゃんとおじいちゃんの店じゃない。私が引き継ぎたかった店じゃない。心中したかった店じゃない」
「天鞠さん」
「先生。ありがとうございます。話せて少し。すっきりしました。私。店を出すまで色々考えます。今の時代でケーキ屋を一生続けて行けるように。今度こそ、心中できるように。頑張って勉強して、経験して。できる限り早く。おばあちゃんを招待します」
「是非。私も招待してください」
「はい。今日のお礼に、いの一番に招待します」
「約束です」
「はい」
天鞠と夜一が目と目を合わせて笑い合った瞬間、夜一が盛大に転んだのであった。
「っく。私に莫大な財力があれば、あしながおじさん制度を通して支援するものを」
ケーキ屋兼家へと入って行く天鞠を見送った夜一は、渋面顔になった。
天鞠には知らせてはいないが、実は夜一と天鞠は母親違いの異母兄妹であった。
天鞠の母親が離婚したのは天鞠が一歳の時である。
天鞠の母親は離婚してからは、実の両親の元に戻りケーキ屋を手伝っていたのだが、天鞠が小学校一年の時に交通事故で亡くなってしまい、それからは祖父母が天鞠を育ててくれたのである。
(私の母親と離婚した後に天鞠の母親と再婚したかと思えばまた離婚。結婚に向かない男性だったのでしょう。が。私に天鞠の存在を教えてくれたのは、その父親。私はその日から影ながら天鞠を見守って来た。けれど、私はしがない一教師。支援金を差し出せることもできず。お店に足繁く通い、信頼できる者に広めることしかできなかった。まさか、閉店にまで追い込まれていたなんて。異母兄妹の欲目を差し引いても、あんなにも美味しいものを。私に財力さえ。財力さえ、)
夜一の目に映るのは、煌びやかな照明で照らされている消費者金融会社。
ふらりふらふら。
誘蛾灯に引き寄せられる蛾よろしく近づいていく夜一であったが。
(いや。一度ここを頼ってしまったら、私は借金と心中することになってしまいます。それだけは避けなければ)
ふんすっ。
鉄仮面のまま鼻息を荒くさせた夜一は、全身に力を入れては消費者金融会社に背を向けて歩き始めたのであった。
(私も私にできることを)
(2026.5.27)




