空色の虹
この能力は使った事はない。
ただの一度も。
使わずに一生を終えると思っていた。
兄さん。
八十二歳の誕生日おめでとう。
ほら、兄さんの好物を作ったのよ。
もう。食い意地だけは張っているんだから。
はいはい。あとで食べさせてあげるわよ。
まずはケーキ。
今年も新しいお店のショートケーキ。
ホールで食べたいでしょうけど、先生から控えた方がいいって言われたから。
一年に一回でもダメ。
はい。おめでとう。
そうそう。今年もね。庭に花が咲いてたわよ。調べたの。多分、芝桜だと思うわ。私たち土いじりが苦手だからって、お母さんとお父さんが亡くなったら、煉瓦を敷き詰めちゃったのよね。お母さんたち、薄情もんだってお空で怒ってるかしら。
でも、煉瓦と煉瓦のあんな狭い隙間でもあんな可愛らしい花が咲くなんて。まあ、地面がなくなったわけじゃないから不思議じゃないんだけど。
鳥のしわざか、風に運ばれてきたんだろうけど。
でも不思議よね。兄さんの誕生日には何かしら花が咲くんだもの。
しかも毎年違うって。
咲く場所は違うし、範囲も小さいから不思議じゃないのかしら。
ねえ、兄さん。
見えてるでしょ。
可愛いわね。
え。いやよ。いくら可愛くても自分で育てたいとは思わないから。興味が出てるならご自分でどうぞ。
ねえ。兄さん。兄さん。にいちゃん。
まだ私を独りにしないで。
え。
やーね。
旦那の事は忘れてないわ。
そうそう。これ旦那から。新しいパジャマ。
デザインに文句があるなら起きて言う事ね。
五年間眠り続ける兄の前髪を少しだけ払って、妹は口をやわく閉じて、また、小さく開いた。
謝りたい友人が居るって言ってたしね。
起きないとね。
昔。もう、何十年も昔の話だ。
俺とあいつは仲が良かった。親友と言ってもいいくらいに、いつも連れ立っていた。
けれど、或る日を境に、徐々に距離は開いていって、今やもう、住んでいる場所を他のやつから聞いたくらいで連絡すら取りあっていない。
男のくせに花が好きだなんて変なやつ。
あいつは少しからかっただけなのかもしれないし、本気でそう思ったのかもしれない。
が。前者でも、中学三年生の俺は強く傷つけられた。
好きなもんを否定されたのだ。親友のあいつに。
今ならそういう考えもあるのだと柔軟に受け止めて、花の良さが分からないなんて残念なやつと茶化せるが、当時はそうはできなかった。
あいつはその一言で俺が傷ついたなんて思いもしなかったのだろう。
普通に何度も何度も話しかけてきたが、俺は無視をし続けた。卒業までずっと。
あいつが倒れたらしい。それで寝たきりになったって。
集まりにも一切行かなくなった俺の所に手紙が来たのは、五年前。
咄嗟に立ち上がったが、しおしおと座りなおす。
住所も書かれていたから、行こうと思えば行ける。
けれど、今更だろう。
相手は覚えてもいないだろうし。
行かない理由を見つけては、納得し、一年の月日が流れて。
俺は唐突に動き出した。
謂わば、寿命が近いのにもたついている場合かと、生命の危機に突き動かされたと言ってもいいだろう。
この刻、初めて俺は能力を使った。
庭に飛び出して。
サイダーを一口飲み。
庭に咲いていた野イチゴの花をあいつの家の庭に飛ばした。
俺の能力。
一年に一回。
サイダーを一口飲めば、自分の家の庭で育てている花を瞬間移動させられるのだ。
まったく役に立たない能力だったが、そうでもなかった。
ふん。
言っとくが、見舞いじゃないからな。
嫌がらせだ。
嫌がらせ。
おまえが莫迦にした花を煉瓦の上に咲きほこらせてやる。
どうだ、可愛いだろうが美しいだろうが元気になるだろうがよくも莫迦にしやがったな。
珍しく、明確な夢を見た。
空色の虹が眼前に現れたのだ。
好物のサイダーに見えて、近寄って、疑問にも思わず、虹の上を歩き続けた。
辿り着いたのは、あいつの家だった。
どんなに年を食っていても。わかる。
どうして疎遠になったかはわからないが、きっと、俺が悪かったんだと思う。
謝りたかった。
住んでる場所は知っていたのに、仕事が忙しいと理由を付けて会いに行けず、定年したらと思っていたら、このざまだ。
ああ、笑える話だ。
おまえを傷つけた罰だな。
だが、こんなんで赦されるわけないよな。
直接、おまえに謝らないとな。
謝らないとな。
「かわいいでちゅね~」
「かわいいでしゅね~」
「「すずらんちゃん」」
「兄さんたち、元気で何よりだけど。気味が悪いわよ」
「僕も花を育ててみようかな」
「あんな風にはならないでね」
(2021.4.26)




