第14話「実りの大地」
新しく蒔いた種がふかふかの土の下で芽吹き、数週間の穏やかな時が流れた。
かつての不気味な死の森は、今や見渡す限りの豊かな緑の農地へとその姿を変えている。
朝露に濡れた赤茶色の畑には、色鮮やかで巨大な作物たちが実っていた。
「レオンハルト、見てください! このトマト、私の顔より大きいです!」
ライラは泥だらけの畑の中でしゃがみ込み、自分の顔ほどもある真っ赤な巨大トマトを、落とさないように両手で持ち上げて見せた。
朝の柔らかい光を浴びたその表面は、最高級のルビーのように透き通った瑞々しい輝きを放っている。
「本当だな。それに、あっちのキャベツは馬の頭くらいあるぞ。収穫して運ぶのも一苦労だ」
レオンハルトが、隣の畝で苦笑しながら、ずっしりと重い巨大なキャベツを片手で軽々と抱え上げた。
彼が着ているのは、かつての威圧的で冷たい騎士の鎧ではなく、動きやすくて通気性のいい麻のシャツと厚手のズボンだ。
黄金の果実によって肉体が完全に再生され、呪いの痛みから解放された彼は、以前よりもさらに体格が良くなり、重い野菜がぎっしり詰まった麻袋を羽毛のように肩に担ぎ上げている。
「ふふっ。でも、こんなにたくさん採れるのはいいことですよ。これでまた、新しいお料理に挑戦できますから」
「ああ。君の作る飯は、王宮の晩餐会なんかよりもずっと、世界一美味いからな」
レオンハルトが真顔でさらりと口にした極上の褒め言葉に、ライラは顔を赤くして、照れ隠しのように麦わら帽子を深く被り直した。
泥にまみれた二人きりの農作業。
誰に「無能」と咎められることも、追放や討伐の恐怖に怯えることもない。
ただ温かい太陽の下で心地よい汗を流し、土の命の匂いを嗅ぎながら、実りの喜びを純粋に分かち合う。
ライラが王宮の暗い部屋の片隅でずっと夢見ていた、何よりも尊く、穏やかで温かい日常がそこにはあった。
「さあ、お腹もペコペコに空きましたし、今日はいっぱい収穫祭をしましょう!」
「了解した、我が家の主」
レオンハルトが騎士のように恭しく頭を下げ、二人は明るく笑い合いながら、両手いっぱいの生命力あふれる野菜を抱えて、木のいい匂いがする小屋へと戻っていった。
その日の昼下がり。
小屋の手作りのキッチンからは、野菜の甘く香ばしい匂いが漂っていた。
ライラは新しくレオンハルトが設えたかまどの前で、収穫したばかりの巨大なトマトの果肉と、香草をふんだんに使った煮込み料理をコトコトと作っていた。
横では、ホクホクにふかしたジャガイモを潰して丸めたものに、油でカリッと香ばしい焼き目をつけている。
特別な調味料は何もない。岩塩と、森で見つけたハーブだけのシンプルな味付けだ。
「お待たせしました! 特製・大豊作ランチです!」
ライラが湯気を立てる木皿をテーブルに並べると、待っていたレオンハルトの灰色の目が子供のように輝いた。
かつては呪いで味覚を失い、食事を「ただ死なないための泥を食むような苦行」としか感じていなかった彼が、今ではこうして食事の時間を誰よりも楽しみにしているのだ。
「最高に美味そうだ。……いただきます」
レオンハルトは木のスプーンで熱々の煮込み料理をすくい、冷ましてから口に運んだ。
咀嚼した瞬間。
彼の動きがピタリと止まり、灰色の瞳が見開かれた。
「……どう、ですか? お塩が足りなくて味が薄かったでしょうか」
「いや」
レオンハルトは深く息を吐き、一度スプーンを置いた。
「……美味すぎる。かつて瘴気を浄化して育てたあのトマトも美味かったが、これはもはや別次元だ。濃厚な野菜の甘みと旨味が口の中で弾けている。……命そのものを食べているような感覚だ」
「ふふっ、いくらなんでも大げさですよ」
「大げさなものか。王宮の料理長がこれを食べたら、己の無力さに絶望して辞表を書くだろうな」
レオンハルトは至って真顔でとんでもなく物騒なことを言い出し、そのまま次々と料理を猛烈な勢いで口に運び始めた。
彼の食べるペースは凄まじく、あっという間に底が深い大きな木皿が空になっていく。
「ふふっ、おかわり、お鍋にたくさんありますからね。ゆっくり食べてください」
ライラは頬杖をつきながら、彼が子供のように夢中で美味しそうに食べる姿を嬉しそうに眺めた。
泥だらけになって育て、自分の手で作った温かい料理を、世界で一番大好きな人がお腹いっぱい食べてくれる。
これ以上の幸福が、果たしてこの世界にあるだろうか。
寿命を削り、髪が真っ白になってしまったことは鏡を見るたびに少しだけ悲しかったが、彼のこの満ち足りた笑顔と健康的な体を見られるなら、安すぎる代償だったと心から思えた。
「……ふう。ごちそうさまでした」
三杯目の山盛りのおかわりを平らげたレオンハルトが、心底満足げに息をついて椅子の背もたれに寄りかかった。
かつて『氷の騎士』と呼ばれ、血生臭い戦場以外で感情を見せなかった彼の顔には、今は穏やかで温かい、人間らしい満ち足りた表情が浮かんでいる。
「しかし、これだけ畑が広がって大豊作になると、二人では到底食べきれないな」
「そうですね。干し野菜や保存食にしても限界がありますし」
「腐った王宮の連中に売ってやる義理はないが……。森の反対側、南の国境近くには、年中食糧難に喘いでいるいくつか貧しい開拓村があったはずだ。あそこなら、この生命力あふれる野菜と引き換えに、塩や布なんかの生活必需品を喜んで物々交換してくれるかもしれない」
レオンハルトの提案に、ライラはパァッと顔を輝かせた。
「それ、すごくいいですね! 困っているいろんな人と取引して、もっとこの畑を豊かにしていきましょう!」
「ああ。だが、あまり無理はするなよ。君はまだ、魔力が戻ったとはいえ本調子ではないんだからな。荷運びは全部俺がやる」
「もうすっかり元気ですよ!」
ライラが腕をまくって力こぶを作る真似をすると、レオンハルトは呆れたように笑い、彼女の真っ白な髪を大きな手でそっと撫でた。
「俺は、君がこうして笑ってさえいてくれれば、それだけでいい」
「……私も、レオンハルトがこうして笑って隣にいてくれれば、それだけで十分です」
二人の視線が交わり、自然と顔が近づいていく。
静かな小屋の中に、温かい日差しが差し込んでいる。
これからは、血を流すための剣も、命を削って呪いを解くための奇跡も必要ない。
ただ、明日蒔く種の話をして、一緒に美味しいご飯を食べて、笑い合う。
そんな当たり前で、何よりも尊い平和な日々が、この実りの大地に永遠に続いていくのだ。
夕食の後、二人は新しく作った小屋のポーチに出て、肩を並べて腰掛けた。
夜風はひんやりとしていたが、レオンハルトが「冷えるぞ」と羽織らせてくれた彼のお下がりの厚手の上着と、隣から伝わってくる彼の分厚い体温のおかげで、少しも寒くは感じない。
ふと見上げると、夜空には息を呑むような満天の星が、こぼれ落ちそうに瞬いていた。
コールタールのような瘴気の雲に完全に遮られていた頃には、決して見ることのできなかった光景。
まるで、数え切れないほどの宝石を黒いベルベットの布に散りばめたような圧倒的な美しさだ。
「……綺麗ですね」
ライラがほうっと感嘆のため息をつくように呟くと、レオンハルトは輝く空ではなく、隣に座る彼女の横顔を熱っぽい視線で見つめた。
「ああ、綺麗だ。……空のどんな星よりもな」
「もうっ。そういう甘い冗談は慣れてないんですから、やめてください」
「冗談でこんな歯の浮くようなことを言うものか」
レオンハルトは真面目な顔で首を振り、そっと大きな手を伸ばしてライラの白い髪を耳にかけた。
彼のタコだらけの無骨な指先が頬に触れ、ライラの心臓がトクンと大きく跳ねる。
顔が火のように熱い。
王宮の地下牢のような部屋にいた頃は、無能な自分が誰かにこんな風に甘く、大切に見つめられる日が来るなんて、微塵も想像していなかった。
不器用で、言葉足らずで、それでも誰より優しくて強い人。
彼に出会うために、自分はあの日、この森に追放されたのかもしれない。
そう心から思えるほどに、今のライラは幸福に満ち溢れていた。
「ライラ」
低い、甘い声で名前を呼ばれる。
レオンハルトの灰色の瞳が、夜の闇の中で熱を帯びて揺らいでいた。
彼の手がライラの顎をそっと持ち上げ、星明かりの下、唇が重ねられた。
彼らが泥まみれになって共に耕し、命を懸けて守り、慈しんだこの実りの大地で、二人の物語は続いていく。




