第13話「夜明けの約束」
死の森の瘴気が消滅し、黄金の光の柱が天を貫いたという事実は、すぐさま王都の隅々へと知れ渡った。
王国史上最悪の脅威であった超大型魔獣が一刀両断され、さらに不毛の地だった広大な森が、豊かな土壌を持つ広大な肥沃な大地へと生まれ変わったのだ。
王宮の上層部が、この信じられないような報告にどれほど肝を冷やし、慌てふためいたかは想像に難くない。
それから二週間後。
瘴気が抜け、澄み切った風が吹き抜ける森の境界線に、再び王国の使者がやってきた。
ただし、そこにあの脂ぎった傲慢な神官長の姿はなかった。
「……何の用だ」
境界線のこちら側で、レオンハルトは太い腕を組み、空気を凍らせるような冷ややかな視線を向けた。
今回やってきたのは、神官の護衛として同行していた軍の指揮官と、数名の身なりの良い文官たちだけだった。
彼らは一様に顔を死人のように青ざめさせ、レオンハルトの大きな体から無意識に放たれる凄まじい威圧感に、ガタガタと膝を震わせて縮み上がっている。
以前のような、数の暴力を背景にした傲慢さは微塵もない。
「レ、レオンハルト卿。そして、ライラ殿……。本日は、国王陛下からの親書を携えてまいりました」
文官の一人が、小刻みに震える手で豪華な装丁の羊皮紙を差し出した。
「神官長は、王国を危機に陥れた罪で既に地下牢に投獄されております。国王陛下は、お二人の類まれなる功績を高く評価し、これまでの非礼を深くお詫びしたいと申しておられます」
「ほう。それで?」
「ライラ殿には、王国の『大聖女』としての地位と、それに相応しい巨大な領地を。レオンハルト卿には、第一騎士団長の復帰に加え、この新たに浄化された大地の管理を一任する……という、王家からの和解と帰還の申し入れでございます」
文官は額に脂汗を浮かべながら、必死に取り繕った引き攣った笑顔を向けた。
つまり、あの山のような魔獣を瞬殺した規格外の二人の力を心底恐れ、慌ててご機嫌取りに来たというわけだ。
もし二人がこのまま他国に寝返ったり、王国に牙を剥いたりすれば、王宮の軍勢など半日と保たずに血の海に沈められてしまうと正しく理解したのだろう。
レオンハルトは親書を受け取ることなく、隣に立つライラへと静かに視線を向けた。
大聖女としての地位。王宮での何不自由ない生活。
「ライラ。どうする?」
ライラは文官たちが差し出す親書をじっと見つめた。
王宮にいた頃の自分なら、この申し出に泣いて飛びついていたかもしれない。
誰かに認められたくて、自分の居場所が欲しくて、必死に聖女としての力を使おうとしていたのだから。
だが、今の彼女の心に、小さな迷いのさざ波すら起きなかった。
「申し訳ありませんが、お断りします」
ライラが澄んだ声ではっきりと告げると、文官たちは信じられないものを見るように目を見開いた。
「な、なぜですか!? 大聖女の地位ですよ!? これ以上の好待遇は……!」
「私には、聖女としての祈り方より、泥だらけになってクワを振る生活の方がずっと合っているんです。それに、私の居場所は王宮の綺麗な部屋じゃなくて……この、泥の匂いがする畑の真ん中ですから」
ライラはそう言って、隣に立つ大きなレオンハルトを見上げた。
彼が小さく口角を上げ、満足そうに鷹揚に頷く。
「聞いた通りだ。彼女は腐った王宮には戻らん。当然、俺もだ」
レオンハルトは文官たちに向き直り、絶対的な宣告を下した。
「ここは俺たちの土地だ。王国の庇護も、干渉も一切受けない。もし今後、この土地の平穏を乱すような真似をすれば……俺が単機で王城を叩き斬って更地にする。陛下にはそう伝えておけ」
その低く重い言葉に込められた圧倒的な殺気に、文官たちと指揮官は息を呑んで弾かれたように後ずさった。
レオンハルトなら、本当にそれを一人でやり遂げてしまうだろう。
彼らはもはや声すら発せず、逃げるように背を向けて馬に飛び乗ると、馬体に鞭を入れて王都の方角へと一目散に走り去っていった。
遠ざかる砂煙を見送った後、レオンハルトは短く息を吐いた。
「これで、もう煩わしい奴らは二度と来ないだろう」
「ふふっ。王城を叩き斬るだなんて、騎士団長様は物騒ですね」
「レオンハルトだ」
彼が真顔で訂正し、大きな手でライラの白い髪を優しく撫でた。
「あのまま王宮に戻れば、君は一生、欲望まみれの貴族の都合のためにその力を使わされることになる。俺は、君が君自身のために、泥まみれになって笑って土をいじれる場所を守りたかったんだ」
「はい。私も、あなたと一緒にここで土をいじって、お野菜の成長を喜んでいる時が、一番幸せです」
ライラは背伸びをして、彼の分厚い手に自分の小さな手を重ねた。
もはや、血と泥にまみれた過去のしがらみはすべて断ち切られた。
これからは、誰に遠慮することもなく、ただ自分たちのささやかな幸せのために生きていけるのだ。
二人はしっかりと手を繋いで歩き出し、澄み切った青空の下、ふかふかの土が待つ自分たちの畑へと帰っていった。
小屋に戻った二人は、さっそく新しく耕した広大な畑の前に立った。
ライラは足元に置いた麻袋を開け、中から小さな種を取り出した。
「まずは、これを蒔こうと思うんです」
「それは?」
「ただの、甘いカボチャの種です。瘴気を浄化するような特別な力なんて一切ない、どこにでもある普通の野菜の種」
ライラはふふっと笑って、誇らしげに胸を張った。
「いいな。俺がクワで畝を作るから、君はその後ろから種を蒔いていってくれ」
「はいっ!」
レオンハルトが大きなクワを振り上げ、柔らかい赤茶色の土を軽快な音を立てて起こしていく。
元・王国最強の冷酷な騎士が、今では世界一頼りになる、泥だらけの農作業の相棒だ。
ライラはその広くて頼もしい背中を追いかけながら、等間隔にカボチャの種を落とし、優しく土を被せていった。
「……レオンハルト様」
「なんだ?」
「あの……一つ、お願いがあるんですけど」
種を蒔き終え、手についた泥を払いながらライラがもじもじと切り出す。
レオンハルトはクワを肩に担ぎ、不思議そうに振り返った。
「なんだ、言ってみろ。畑の面積をもう一つ増やすか?」
「違いますっ。その……昨日、私を『生涯の伴侶』って言ってくれたじゃないですか」
「ああ。言ったな」
「それなら……その、いつまでも『様』付けで呼ぶのは、少し壁があるみたいで寂しいなって……」
ライラが頬をりんごのように赤く染めてうつむくと、レオンハルトは一瞬きょとんとし、それから、こらえきれないように低く笑い声を上げた。
「……そうだな。俺も、そろそろ『様』付けで他人行儀に呼ばれるのはやめにしたいと思っていたところだ」
彼は土を踏んで歩み寄り、ライラの細い腰を強く引き寄せて、その白い額にそっと温かい唇を落とした。
「よろしく頼むぞ、ライラ」
「はい……レオンハルト」
突き抜けるような青空の下、広大な新しい畑に、初めて二人の明るい笑い声が響き渡った。
まだ芽の出ていないふかふかの土の下では、確かな命の鼓動が、これからの二人の未来を祝福するように温かく脈打っていた。
その日の夕暮れ。
新しくがっしりと建て直された小屋の小さなポーチに腰掛け、二人は肩を並べて温かい夕食をとっていた。
頬を撫でる風は穏やかで、空は燃えるような美しい茜色に染まっている。
かつては分厚い瘴気の雲のせいで星すら見えなかったこの空にも、今夜はきっと息を呑むような無数の星が輝くはずだ。
「……これから、少しずつ家も大きくしていこう」
ライラが作った温かいスープを飲み終えたレオンハルトが、遠くの森の稜線を眺めながらぽつりと言った。
「今は二人だけだが、そのうち、もっと広い部屋が必要になるかもしれないからな」
「広い部屋……ですか?」
「ああ。子供ができたら、今の広さでは手狭だろう」
さらりとこぼれ落ちたストレートな言葉に、ライラは驚いて盛大にスープに咽せた。
「ゲホッ、こ、子供って……っ! 気が早すぎませんか!?」
「そうか? 俺は至って本気だが。君に似た、泥遊びが好きな可愛い娘がいいな」
顔を茹でダコのように真っ赤にして慌てるライラを見て、レオンハルトは意地悪そうに目を細めて笑った。
かつて王宮で『氷の騎士』と恐れられ、死の淵に立っていた男の面影は、もうどこにもない。
ここにいるのは、ただ一人の愛する女性をからかい、その反応を心から楽しんでいる一人の普通の男だった。
ライラは「もうっ!」とポカポカと彼の分厚い背中を叩きながら、それでも最後には可笑しくなって二人で一緒に笑い合った。
二人だけの世界は、これからどこまでも優しく、果てしなく広がっていくのだ。
どこまでも続く静かな夜の空には、かつてないほどに明るく美しい、満天の星が宝石のように瞬いていた。




