第五章 Goodbye, Japan
記者会見場は、始まる前から勝敗が決まっているような空気だった。
前列ではフジノヤマテレビの記者が、隣の記者と小声で話していた。
「今日は、さすがに威勢のいいことは言えないでしょう」
「何と言っても、もう描けないわけですからね」
笑い声が漏れた。
後方の席で、MNGテレビの若い女性記者が、膝の上の資料を握り直した。
資料の間には、漫画の単行本が挟まっていた。
彼女は、その表紙が見えないようにした。
定刻になった。
扉が開いた。
さとるは明るい色のジャケットで現れた。
足取りは軽かった。
壇上に立ち、ずらりと並ぶカメラを眺める。
「今日は、ずいぶん集まったね」
笑う者は少なかった。
司会が説明を終えると、真っ先にフジノヤマテレビの記者が手を挙げた。
「今回のAI漫画規制法によって、今後、日本国内では従来どおりの制作活動ができなくなります。この点を、どう受け止めていらっしゃいますか」
さとるはマイクを引き寄せた。
「今後を考えると、本当に残念で、悲しいですね」
会場の何人かが、顔を上げた。
ようやく殊勝な言葉が出た。
そんな期待が、会場の空気をわずかに動かした。
「これまでの過激な発言について、後悔はありますか。結果として、ご自身の未来を閉ざしてしまったわけですが」
「悲しいのは、俺の未来じゃないよ」
さとるは、記者を見た。
「日本の漫画界の未来だ」
キーボードを打つ音が止まった。
「新しい道具が出てきた。問題があるなら、使い方を考えればよかった。ところが、自分た ちの場所を守るために、道そのものを塞いだ」
「既存の作家を保護する必要も——」
「保護と、選択肢を奪うことは違うでしょう」
さとるは、少し身を乗り出した。
「これからAIの絵は、もっとよくなる。もっと速く、もっと細かく、人間の意図に応えるようになる。なのに日本は、その可能性を自分から捨てる」
「人間が描くことに価値を感じる読者もいます」
「いるでしょう。手描きの素晴らしい漫画だって、残るに決まってる」
そこで、さとるは一度言葉を切った。
「でも、人間が描いたという理由だけで、読者がつまらない漫画を選び続けると思いますか。面白い作品がほかにあるのに、制作側の都合に付き合ってくれると思う?」
フラッシュが光った。
「読者にまで、俺たちの苦労を尊敬しろと強要する。それは人間のエゴだよ」
記者が口を開きかけた。
さとるは続けた。
「予言します。数年後、日本の漫画界は、もう一度AIを使おうと言い始める。世界の読者が別の場所へ行ってから、慌てて扉を開けることになる」
「ですが、白滝さん」
フジノヤマテレビの記者は、笑みを残していた。
「そのころまで、あなたのお仕事があるでしょうか。少なくとも、あなたご自身の未来も閉ざされた。違いますか」
さとるは背筋を伸ばした。
「私の未来は、閉ざされていません」
言い切った。
「私は、拠点を海外へ移します」
会場がざわめいた。
「アメリカとヨーロッパの制作会社とは、すでに話をしています。今後は世界を回りながら、漫画を作る」
「国外へ逃げる、ということですか」
「仕事をしに行くんです」
即答だった。
「漫画は、日本の中だけで読まれているわけじゃない。読む方向も、画面の使い方も、国や媒体で違う。右から読む人もいれば、左から読む人もいる。ページをめくらず、縦に読み進める人もいる」
さとるの声が、少し弾んだ。
「同じ場面でも、伝え方を変えれば、届き方が変わる。そういう場所で、自分の漫画を試したかった。ずっと前からね」
「今回の法律は——」
「背中を押してくれた。それだけです」
後方で、手が挙がった。
「MNGテレビです」
若い女性記者だった。
立ち上がった拍子に、膝の資料から単行本が滑り落ちた。
彼女は慌てて拾った。
さとるが、その表紙を見た。
「どうぞ」
「私は……」
記者は唇を結び、一度、息を吸った。
「私は、あなたの漫画のファンです」
会場の空気が揺れた。
「記者として、適切な言い方ではないかもしれません。でも、どうしても聞きたくて」
声が震えていた。
「もう、日本では、あなたの漫画を読めないんでしょうか」
さとるは、すぐに答えなかった。
彼女の手の中の本には、何枚も付箋が挟まっていた。
表紙の端が、少し白くなっている。
「漫画は、世界中で読まれている」
今度の声は、先ほどより低かった。
「日本で俺の漫画が読めなくなったら、海外へ来て読めばいい」
女性記者の目が潤んだ。
さとるは、マイクから顔を離しかけて、戻した。
「……本当は、こんなことを言わずに済むのが、いちばんいいんだけどね」
会場は静かだった。
「俺は、描くのをやめないよ」
記者は何度も頷いた。
「絶対に、読みに行きます」
涙をこぼさないように、顔を上げる。
「頑張ってください」
さとるは、初めて会見場で、力を抜いて笑った。
「ありがとう」
会見終了が告げられた。
記者たちが一斉に立ち上がった。
「最後に、日本の読者へ一言!」
さとるは出口で足を止めた。
振り返り、片手を上げた。
「Goodbye, Japan」
その映像は、何度も放送された。
だが猿山が自宅のテレビで見つめていたのは、その直前の顔だった。
読者へ「ありがとう」と言ったときの顔。
あの写真の青年と、同じ顔だった。
机の上には、読み終えた『大きな第一コマ』が全巻積まれていた。
猿山は翌朝、規制の見直しを求める声明を書いた。
自分が成立を後押しした法律だった。
撤回を求める彼の言葉は、以前ほど歓迎されなかった。
記事は小さかった。




