↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/33

鑑定眼の闇

 放送室へ着いたのは、九時三十七分だった。


 約束より二十三分早い。


 それでも榊は遅いと言った。


「十時までと言ったでしょう」


「呼び出した時点ですでに遅い」


「先輩の中でしか成立しない時間を使わないでください」


「今日来たから問題ない」


 問題の定義が榊に有利すぎた。


 夏休みの校舎は静かだった。


 運動部の掛け声がグラウンドから聞こえる。廊下には誰もいない。放送室の窓は遮光カーテンで閉じられ、機材の熱と埃の匂いがこもっていた。


 榊は調整卓の前に座っていた。


 その脇に、八本のフェーダーが並ぶ古いミキサーがあった。側面の赤い封印に、`WR-XS3`と印字されている。


「見つかったんですか」


「昨日、第二ヤードでな」


「じゃあ、俺が探した二日間は」


「別のものを見つけた」


「部活動の成果に数えないでください」


 榊は答えず、ミキサーの上へ雑に布を掛けた。少なくとも、あれはただの音響機器だった。


 録音機も、焼けた黒い箱も出していない。


 机の中央に、見覚えのない部品が置かれていた。


 銀色の円筒から、細い線が束になって伸びている。線の先は四角い黒い端子へ集まり、その断面には髪の毛ほどの穴が並んでいた。


 円筒の欠けた縁には、白い薄層が何十枚も重なっていた。


「何ですか、これ」


「それを調べる」


「先輩が呼んだんでしょう」


「おまえが調べる」


「帰ります」


「昼までに終わればいいんだろう」


 相沢は足を止めた。


 ナナとの約束を聞いていたらしい。


「盗聴ですか」


「昨日、おまえが自分で言った」


「いつ」


「電話を切る直前だ。昼には帰る、と後ろへ向かって叫んでいた」


 電話の向こうまで聞こえていたらしい。


 榊の耳は、法律で規制した方がいい。


「十一時には出ます」


「終わればな」


 相沢は鞄を置いた。


 机の部品を手に取る。


 見た目より軽かった。外側はアルミに似ているが、指で弾いても金属らしい音がしない。低く、すぐに消える音だった。


 黒い端子には、接点が見えない。


「光ですか」


「たぶん」


 榊がルーペを渡した。


 端面を拡大する。


 小さな穴だと思ったものは、透明な繊維の束だった。一本の太さは髪より細い。それが百本以上、規則正しく並んでいる。


 通常の音響機器なら、信号線は数本で足りる。光回線でも、家庭用なら一本か二本だ。


「何をそんなに送るんです」


「知らん」


「規格は」


「ない」


 榊は紙の規格表を何冊も机へ積んだ。


 放送設備、医療機器、航空機、工場用制御装置。どの端子図にも一致しない。太さが近いものはあっても、固定する爪の位置が違う。爪の位置が合うものは、繊維の数が違った。


 外側に刻印はなかった。


 製造番号も、会社名も、方向を示す印もない。


 ただ、取り付け穴に残ったボルトだけは普通だった。


 相沢は一本を外した。


「八ミリ」


「市販品だ」


「本体だけ特注で、留めるのはホームセンター?」


「そういうものは珍しくない」


 榊はボルトの頭を見た。


「こっちには印がある」


 小さな三角形が刻まれていた。


 サカキ金属へ出入りする再生部品会社の印だった。


 放送室の隅にある端末を起動する。


 緑色の文字が黒い画面へ浮かんだ。サカキ金属の廃棄品台帳へ、榊が電話回線で接続する。


 接続音が部屋へ響いた。


 高い音と低い音が交互に鳴り、やがて文字の入力欄が出る。


 相沢は刻印、ボルト径、入荷日を順に打った。


 該当は三百十二件。


 素材を絞る。


 四十七件。


 スクラップ置場の区画を入れる。


 一件。


 画面に、短い記録が出た。


 入荷日は七月二十四日。搬入元は空欄。品名は光学機器片。重量は不明。処理区分は即日破砕。


「即日破砕?」


「記録上はな」


「でも、残ってた」


「だから呼んだ」


 榊は机の下から、もう一つ部品を出した。


 黒いシリンダーだった。


 長さは二十センチほど。片側が潰れ、表面には白く焼けた跡がある。太い配管が二本、根元から切断されていた。


 焼け跡には煤がなかった。白く変わった表面だけが浮き、地面の火に炙られた跡には見えなかった。


「どこにあったんです」


「おまえが少女を掘り出した跡の近くだ」


「何で場所がわかったんです」


「泥の穴と台車の轍が残っていた」


「勝手に現場検証しないでください」


「俺の置場だ」


 榊はシリンダーを相沢の前へ転がした。


 動きは鈍い。見た目より重い。


「こっちは二十一・三キロある」


「この大きさで?」


「振ってみろ」


 相沢は両手で持ち上げた。


 中から音はしない。


 液体が入っている感じもない。だが、片方を傾けると、重心がわずかに移った。内部で何かが動いたのではなく、持っている側の手から熱が引かれるような感覚だった。


「冷たい」


「室温だ」


「でも、冷たく感じます」


 榊が温度計を当てる。


 二十九度。


 放送室とほぼ同じだった。


「熱を移す部品かもしれない」


「冷却装置?」


「かもしれない、と言った」


 榊は断面を指した。


 潰れた配管の内側に、細かな溝が幾重にも走っている。一本の管の中へ、さらに数百本の通路が作られていた。


 相沢は銀色のコネクタと並べた。


 二つに共通するのは、異常な細かさだけだった。


「同じものについてたんですか」


「距離は三メートル」


「ナナの近くに」


 榊が相沢を見る。


 相沢は言い直さなかった。


 名前を隠す意味は、もうない。


「ナナの近くにあった」


「そうだ」


「だから、ナナの部品だって?」


「そこまでは言っていない」


「思ってるでしょう」


「証拠が足りない」


 榊は銀色の端子へ指を置いた。


「ただし、おまえが拾った少女の中で鳴っていた音と、こいつの繊維数は釣り合う」


「音と線の数が、どう釣り合うんです」


「普通の機械ではないという一点でだ」


 それは釣り合っているとは言わない。


 わからないものを二つ並べ、同じ箱へ入れただけだった。


 榊自身も、それ以上は言わなかった。


 時計を見る。


 十時五十八分。


「帰ります」


「まだ終わっていない」


「終わってないから帰るんです」


「意味がわからん」


「ナナと約束したので」


 榊は不満そうに時計を見た。


「明日も来い」


「明日は明日です」


 相沢は鞄を持った。


 放送室を出る直前、榊が言った。


「そのシリンダーは持っていけ」


「嫌です」


「比較対象が要る」


「二十一キロを自転車で運ばせないでください」


 結局、その日は持ち帰らなかった。


 午前十一時二十七分、相沢はアパートへ戻った。


 玄関の戸は閉まっている。


 鍵を開ける。


「ただいま」


 六畳間から、ナナが答えた。


「おかえり」


 相沢は靴を脱ぐ途中で止まった。


 聞き慣れない言葉ではない。両親と暮らしていたころ、何度も聞いた。自分でも言った。


 それでも、この部屋で自分へ返ってきたのは初めてだった。


「早かった」


「十二時までって言ったから」


「十一時二十七分」


「三十三分、余裕がある」


「評価。良好」


 ナナは扇風機の前に座っていた。


 約束どおり、首は振っている。


 左へ六秒。


 風がナナへ届く。


 右へ七秒。


 畳んだ布団へ戻る。


 相沢は六畳間へ入った。


「留守中、何かあった?」


「異常なし」


「誰も来なかった?」


「来訪者なし」


「暑くなかった?」


「許容範囲」


 いつもの答えだった。


 相沢はナナの前へしゃがんだ。


 朝より顔色がいい気がした。


 頬へついていた細い泥の傷が消えている。


 スクラップ置場から運んだとき、こめかみには擦れた跡があった。右手首には、泥を洗っても取れないざらつきが残っていた。


 それがない。


 相沢はナナの手を取った。


 手首を裏返す。


 皮膚は滑らかだった。


 滑らかすぎるほど、滑らかだった。


 毛穴も、細かな皺もある。指で押せば柔らかく沈み、離すと戻る。人間の皮膚と何も変わらないはずなのに、傷だけが最初から存在しなかったように消えていた。


「すごいよ、ナナ」


 相沢は顔を上げた。


「もうすっかり元通りじゃないか」


 ナナは自分の手首を見た。


 それから、相沢を見た。


「絶好調です」


 初めて聞く言い方だった。


 いつものナナなら、機能正常とか、許容範囲とか言う。


「誰に教わったの、それ」


「相沢の雑誌」


 ちゃぶ台の上に、古いバイク雑誌が開かれていた。


 新型エンジンの広告に、赤い字で絶好調と書かれている。


「そういう使い方で、だいたい合ってる」


 相沢は笑った。


 ナナの手首へ、もう一度親指を滑らせる。


 温かい。


 熱帯夜ほどではない。それでも、扇風機の風を受けていた皮膚にしては熱が残っていた。


 指を止める。


 ナナも動かない。


 相沢は耳を近づけた。


「何をしている」


「ちょっと静かに」


 ナナの胸元から、細かな音が聞こえる。


 高い連続音。規則正しく刻む低い振動。榊の録音機で聞いた、数えきれない音の重なり。


 だが、何かが足りなかった。


 起動した夜に聞いた、細い羽根が限界まで回るような音。


 熱帯夜に、焼けた匂いの奥で鳴っていた音。


 それが聞こえない。


 静かになっただけかもしれない。


 直ったから止まったのかもしれない。


「調子、いいんだよね」


 相沢は聞いた。


 ナナは、すぐに答えた。


「絶好調です」


 扇風機が右端で、きゅ、と鳴った。


 風が戻り、ナナの黒い髪を揺らした。


 滑らかな皮膚の下から、冷却音は戻らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。