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未来の糧

「作家は経験したことしか書けない」

 これは、よくX(旧Twitter)で定期的に話題になる定番のジョークだ。このセリフが流れてくるたび、「じゃあミステリー作家は全員……」とか、「異世界転生モノの作者は出版社の送迎バスで冥界に行き来している」といったネタ投稿祭りが開催され、タイムラインは大いに盛り上がる。

 私はインターネットの海でも生粋の陰キャなので、いつも草場の陰からその狂騒をそっと見守るだけだ。


 さて、何が言いたいかというと、勢いで始めたこのエッセイ。私は元来、そんなに面白おかしい人生を送ってきた人種ではない。

 要するに、早くもネタ切れである。


 どうしたものかと頭を捻った私は、親しい後輩にアドバイスを求めてみた。

「ねえ、エッセイのネタが尽きちゃってさ。何か最近、面白いことなかったっけ?」

「ないっすね。……あ、虫でも食ってみたらどうですか?」

 いやいやいや。体を張りすぎだろう。私はYouTuberではないのだ。しかし、拒絶した私の脳内で、さっきのフレーズが不気味にリフレインし始めた。

『作家は経験したことしか書けない』


 ――もし今後、自分の書く小説のキャラクターが、極限状態のなかで虫を貪り食うシーンを書くときが来たら?

 その時、私はあの独特の食感や風味、あらゆる五感の情報を、ただの貧相な想像力だけで補完しなければならない。グルメ系ライトノベルもびっくりの高難易度ミッションだ。リアリティを追求する物書きとして、それは許されることなのだろうか。


 よし、虫を食おう。


「虫」と「食う」。本来なら決して相まみえてはならない二つの単語を引っ提げ、私たちは真実を求めてアマゾンの奥地へと向かった……。


 インターネットが発達し、あらゆるものがワンクリックで自宅に届く時代で本当に良かったと思う。

 これがもし、実在する怪しげな昆虫ショップに自ら赴き、店員に「初心者におすすめの虫ってどれですかね?」などとアドバイスを求める羽目になっていれば、私の社会的なステータスは「陰キャ」から「虫を食うタイプの陰キャ」へと強制的にクラスチェンジさせられていたところだ。いや、結局家で食うのだが。


 私はPCでAmazonを開き、検索バーに震える指で入力した。――『昆虫食』、と。

 出るわ出るわ、画面を埋め尽くす異形の一覧。しかし、私はある現実に気づいてスクロールする手を止めた。

 ……待って。高くね?


 わずか十数グラムの乾燥虫が、平気で千円を超える。硬い系のちょっとした大物セットなら、優に三千円を突破してくるのだ。量り売りの惣菜屋なら大儲けできる暴利である。

 普段の私は、己の物欲のためなら金額を惜しまない性格なのだが、流石にこれには躊躇した。一口も食べられずに全部ゴミ箱へ捨てる可能性が大いにあるものに、なぜ貴重な北里柴三郎を差し出さねばならないのか。

 何より、私は今月の推し活に全財産を課金しすぎて、深刻な財政難に陥っていた。日々の食費すら削って極貧生活を送っているというのに、私はなぜ、米ではなく虫を買おうとしているのか?


 激しい葛藤が頭のなかを駆け巡る。しかし、心の奥底では「これを乗り越えれば、誰も持っていない面白い経験ネタが手に入る」という物書きの業が、恐怖を上回っていた。

 とりあえず、選ぶだけ選んでみよう。


 苦手な読者もいると思うので具体的な名称は伏せるが、検索を進めるほどにその種類の多さに圧倒される。なるべく失敗したくない私は、レビュー評価の高いものを探した。

 最終的に、私は「Amazonおすすめ」のタグがついた商品をクリックした。商品ページには「シンプルな塩味でミックスしました」という説明文。ミックスナッツよろしく気軽に言ってのけてくれる。

 一応、購入者のレビューも確認してみた。ふむふむ。「意外にもエビっぽくて美味い」という好意的な意見が多い。どうやらみんな罰ゲームの景品として買って盛り上がっているようだ。では、罰ゲームでもないのに、純粋な好奇心とエッセイのネタほしさに自腹でこれを買おうとしている私は、一体全体どういう狂人なのだろうか。


 ダメだ、ここで冷静になってはいけない。立ち止まればカートから削除してしまう。

 私は在庫の有無を確認し、気持ちが昂っているうちに一気に決済画面へと進んで注文を確定させた。


 もちろん、「定期おトク便(定期配送)」は、全力で拒否した。

 

 翌日の昼休憩、何気なくスマホの画面を確認すると、アプリから無慈悲な「配達完了」の通知が届いていた。


 流石は天下のAmazonである。台風が接近しているのだから、今回ばかりは物流の遅延でも何でも起こして、全然後回しにしてくれて構わなかったのに。こういう時に限って見事なまでの電撃スピードで翌日配送を成し遂げてくれる。まさか配送スタッフの方も、自分が今、一人の陰キャの運命を狂わせる「虫の詰め合わせ」を運んでいるとは夢にも思わなかっただろう。


 夕方が近づくにつれて、私の心は目に見えてナーバスになっていった。

 仕事が終わり、お腹はちょうど良くペコペコに空いている。普段なら解放感に満ち溢れているはずの時間帯なのに、脳裏を過るのはただ一言。――え、私、帰ったら虫食うの?


 いっそファミマに寄り道して、揚げたてのファミチキでも貪り食いたい気分だった。しかし、ダメだ。「空腹は最大の調味料スパイス」と言うではないか。ただでさえ難易度の高いゲテモノに挑むのだ、極限まで飢えた状態で迎え撃たねば、胃袋が受け付けない可能性だってある。

 私は買い食いしたい本能を必死に抑え込み、適当に仕事を切り上げると、土砂降りの大雨のなかを虫のために真っ直ぐ帰路へとついた。


 確か通知では「郵便受けに投函しました」とあった。マンションの一階、薄暗い集合ポストを確認すると、見慣れたAmazonのクラフト封筒が隙間からチラリとこちらを覗いていた。


 ……本当に届いちゃってるじゃん。


 私は現実逃避を兼ねて、例の虫食いを提案してきた後輩のLINEを開く。

「作家としてのリアリティを手に入れるため、これから虫食います」と、客観的に見たら世界一意味不明な決意表明のメッセージを送りつけた。

 返信を待つことなくスマホをポケットに突っ込み、湿気の籠った重苦しいエレベーターへと乗り込む。

 チーン、という無機質な電子音とともに目的の階に到着し、廊下へ踏み出す。

 自分の部屋へと向かう一歩一歩が、文字通り、鉄の足枷あしかせでも嵌められたかのように重くなっていった。


 アマゾンの奥地から届いた虫の梱包を、乱雑にダイニングテーブルへと投げ置き、私は手癖のついた帰宅ルーティンを淡々とこなしていく。

 PCの電源を入れ、執筆用の原稿ソフトを立ち上げる。ここまでは何一つ変わらない、いつもの私の夜だ。――その手元に、虫さえなければの話だが。


 肺の中の空気がすべて枯れ果てるほどの、深い深いため息が出た。本当に、これから私は虫を食うのだろうか。

 しかし、やらねばならぬのだ。この過酷な異文化体験が、いつか必ず我が作品の肉となり骨となる。そう自分に言い聞かせて必死に虚勢を張りながら、私はキッチンから小皿を取り出し、いよいよ虫の梱包を解いていった。


 ベールを脱ぎ、ついにあらわになる昆虫食のパッケージ。

 そこには、一ミリも愛らしくない四種類の虫のイラストが堂々と描かれており、隅にはアレルギー注意の物々しい警告まで記載されていた。そういえばレビューにも「甲殻類エビ・カニアレルギーの人は反応することがある」と書いてあったな。ミックスナッツ感覚のくせに、牙だけは一流に剥いてきやがる。


 ――開けるぞ。もう後戻りはできない。


 ジワリと汗ばむ指先にグッと力を込め、私はパウチの切り込みを引き裂いた。出でよ、未知の味覚ネタ

 ……と思ったら、まだだった。パウチの内部には、さらに厳重に真空パックされた虫たちの遺体が、隙間なく凝縮されていたのだ。無駄に丁寧な二重トラップに、こちらのライフゲージだけが削られていく。


 バクバクと、心臓の鼓動が早くなるのが自分でも分かった。しかし、ここまで来て「やっぱりやめます」とカートに戻すことなど、物書きのプライドが許さない。

 私は意を決し、ハサミの手を震わせながら、真空パックの端を数ミリだけ切り進めた。


 その刹那、自重に耐えかねた小さな欠片が、ポロっと小皿の上にこぼれ落ちた。


(……ヒッ、頭じゃん!! 怖い! こっち見てるって!!)


 一気に動悸どうきが激しくなる。乾燥しているとはいえ、それは紛れもない「生命のパーツ」だった。いやいやいや、落ち着け私。むしろ好都合ではないか。最初から本体にいく勇気はない。この千切れた破片こそが、今の私に許された唯一のチュートリアルだ。


 私は震える手で割り箸を操り、その小さな頭の破片をそっとつまみ上げた。

 覚悟を決め、ギュッと目をつむり、それを一気に口内へと放り込む。


 うりゃあああああ!!!!


 ……。

 ボリボリボリ。


 私はそれ以上言葉を発することなく、おもむろに真空パックを揺らし、皿の上へさらなる虫の破片をかき集めた。今度は小さな胴体を箸で精密に摘まみ上げ、再び口内へ放り込む。


 ボリボリボリ……。

 ボリボリボリ……。


 咀嚼そしゃくする私の鼻腔を抜けていくのは、どこか懐かしい「草原」の香りだった。いや、美化しすぎた。ぶっちゃければただの雑草である。肝心の味は、正直よくわからない。ただ、完全に乾燥しているので、香ばしさはそれなりに感じる。

 しかしながら、事前のレビューにあった「エビっぽい味」かと言われると、どうしても首を傾げざるを得なかった。強いて言えばエビの尻尾のカラに似ていなくもないが、何かが違う。だが、私は間違いなくこの味を知っている。届きそうで届かないかゆさにも似たもどかしさを覚えつつ、私はYouTubeを開き、お薦めに流れてくるショート動画を虚無の目で見漁りながら、無意識に箸で虫をつつき続けた。


 そうして数分間、虫のディナーを存分に味わっていた私だったが、ふと、ある恐ろしい事実に気がついてしまった。

 ――あれ。量、多くね?


 それもそのはずだ。この虫公たちは、一匹あたりの重量などたかが知れている。そんな超軽量の異形が、袋に「十数グラム」も詰まっているのだ。引き算をすれば、優に数十匹、下手をすれば三桁近い数がこのパックに限界突破で押し込まれている計算になる。

 これ、一体いつになったら食べ終わるのだろうか。

 メタい話をすれば、この原稿を書いている数日後の私でさえ、未だに日々の「虫の在庫処理」に追われ続けている。完食のゴールは、遥か彼方だ。

 もし読者諸君のなかに、この乾燥虫を一度に大量消費できる素晴らしい悪魔のレシピをご存知の方がいれば、ぜひ気軽にコメントやDMで連絡してきてほしい。切実に。


「虫を食う」という人生最大の心理的ハードルを、呆気ないほどなんなく飛び越えてしまった私は、それ以降、ただただ「こいつらをどう消費するか」という純粋なライフハックの壁に頭を悩ませることになった。その夜は適当にいつもの夕食を済ませ、各所の連絡グループに「虫を食いました」という怪文書めいた報告だけを一通り済ませると、早々に就寝したのだった。


 翌朝。

 もはや昆虫食に対する防衛ラインがガバガバを通り越して崩壊した私は、出勤前、眠い目をこすりながらシリアル感覚で虫を食んでいた。


 しかし、一晩が経って脳が冷静になったからなのだろうか。私の舌は、ついにあの「届きそうで届かなかった味のインスピレーション」の正体へと、明確にシンクロする食材に辿り着いたのだ。

 ハッと目を見開き、私は独りごちた。


「これ、煮干しだ」


 そうなのだ。どちらもカラカラに乾燥した、地球の生命体。成分的にもだいたい同じようなものなのだろう。

 これから昆虫食に挑戦しようとしている未来の同志たちよ。味も食感も、ほぼ「ちょっと草の匂いがする煮干し」なので、安心してその口に放り込んでみてほしい。


 以上、物書きの血肉ネタとなる、奇妙な虫食み体験談であった。

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