続・未来の糧
相変わらず、憂鬱である。
無論、私の頭を激しく悩ませているのは、例の「虫」の在庫処理問題だ。優に五十を超える虫たちの遺体詰め合わせは、怖いもの見たさのつまみ食い程度では一向に減る気配を見せなかった。
さらに、こちらの焦燥感を煽るように、パッケージの裏には「開封後はお早めにお召し上がりください」と物々しく記載されている。どうやら放置すると湿気るだけでなく、最悪の場合、中に新たな虫が湧くらしい。虫のくせに虫が湧くとはこれいかに。我が家の中に虫の二重帝国を築かれては堪らない。
この不毛な処理に困り果てた私は、現代の最高テクノロジーに頼るべく、インターネットの海へ。――具体的には、AIに虫の大量消費レシピを相談してみたのだ。
すると、その無機質な知性は『ペペロンチーノの具材にすると良い』などという回答をのたまうではないか。さらには『サクサクとした食感がクルトンの代わりになってアクセントになります』と、サラダの副菜アレンジまで優雅に提唱してきた。
貴様、他人事だと思ってセットメニューでバランス良く提案してくるんじゃない。よかったな、お前にまだ肉体がなくて。もしお前がデトロイトビカムヒューマンのコナーのような実体を持った存在だったなら、私は今すぐその口内に虫の遺体を限界まで叩き込んでいるところだ。
――しかし、まぁ。料理に混ぜて一気に大量消費するというのは、一理ある。
もはや今の私に、昆虫食への抵抗という名のダムは存在しない。今どきの新進気鋭の居酒屋が、お通しでこの乾燥虫を差し出してきたとしても、マヨネーズと七味さえあれば「お、煮干し系ね」と美味しく味わうくらいの気概はあるのだ。いっそ今夜は、贅沢な「虫料理フルコースディナー」というのも悪くない。
……なんて、今朝までは本気で思っていたのだ。
ところがどうだ。昼過ぎくらいから、急激に世界が灰色に染まり、特大の憂鬱が押し寄せてきた。
我に返ってしまったのだ。何故私はあれから毎日、謎の義務感と使命感に駆られながら、貴重なプライベートの時間を使って虫を咀嚼しているのだろう。一体誰と戦っているんだ、私は。
ちょうどその頃、所用で母親にLINEを入れる機会があった。危うく「最近毎日虫食ってるよ」と送信しそうになったが、間一髪で指を止めた。そんな怪文書を送りつけたら、田舎の母は我が子の精神を心配し、「今すぐ病院を受診しなさい!」とパニックになりかねない。
だが、お母さん、安心してほしい。
私はもう、とっくに心療内科にはかかっているのだ。(※ただの深刻な不眠症で)
暗澹たる気持ちのまま、私は目の前の仕事へと打ち込む。しかし、いくらキーボードを叩こうとも、脳裏には常にAIから提案された「虫の調理工程」がこびりついて離れようとしなかった。この忌々しいカルマから解放されるには、一刻も早く、あの袋の中の遺体たちをすべて胃袋へ収めるしかないのだ。
夕方、商談相手である若い外国人のビジネスパートナーから、「どこかオススメの飲食店はありませんか?」と尋ねられた。
私は100%の善意をもって、最近気になっている近所の洋食屋をプレゼンしてあげた。Googleマップの評価は、驚異の「星4.5」を誇る名店である。
しばらくして、私の紹介した店を訪れたらしい彼が、満面の笑みでわざわざ感想を告げにやってきた。
「おいしかったです!」
「でしょー。あそこは間違いないですよ」
私はビジネスパーソンとしての完璧な笑顔を振りまき、大人の余裕をこれでもかとアピールしてみせた。
――しかし、私の内心はこうだ。
(いいな、お前は。星4.5の美味い洋食なんか食えて。それに比べて私なんか、これから家に帰ったら、一人きりのダイニングで虫の遺体をメインディッシュにしなければならない、しがない人生を歩んでいるのだぞ……)
満たされた胃袋をさすりながら微笑む「光の外国人」の眩しさに目を細めながら、私はこれから自室で幕を開ける「闇のクッキングタイム」を思い、静かに涙を呑んだのだった。
さて、面倒なので一気に場面を飛ばす。
帰宅後、近所のスーパーでの買い物を手早く終えた私は、自宅のダイニングで深くて重い、ため息をひとつ吐き出した。
あの生意気なAIが提言した通り、今宵のディナーメニューは『ペペロンチーノ』と『サラダ』である。だが、日々を忙しく生きる現代の社会人には、平日の夜から本格的な調理に勤しむ時間など1秒たりとも存在しない。普段の私は、瞬間湯沸かし器や電子レンジといった文明の利器をフル活用した、圧倒的な「時短料理」で命を繋いでいる。現代人に生まれて良かったと、これほど心から思ったことはない。
カゴに入れたのは、市販の乾麺パスタ、和えるだけの出来合いのペペロンチーノソース、そして少しでもテンションを上げるためのウインナー。サラダに関しては、一番虫映えしそうな、シンプルなレタスのパックを選んだ。――って、なんだ、虫映えって。私の脳内環境はいよいよ末期かもしれない。
大鍋にたっぷりの水を注ぎ、IHの電源を入れる。かつてお弁当屋の奴隷時代、「死ぬほど味のしないパスタ」を虚無の目で茹で続けたあの過酷な経験が、まさかこんな形で活きる日が来るとは夢にも思わなかった。
湯が完全に沸騰してから、麺を美しく投入してタイマーを7分にセットする。よし、塩をひとつまみ入れるのを忘れてはならない。塩も入れず、大して掻き回しもせずにパスタを茹でた結果、まるで束になった『電線』のような硬質の物体を錬成してしまった黒歴史があるのだ。
もう、あの頃の無知な私ではない。同じ轍は踏まない。完璧な手際で、麺は美しく茹であがっていく――。
同時並行の工程でフライパンを取り出し、ウインナーに香ばしい焼き目をつけていく。和えるだけのパスタというのは、本当に楽で助かる。タイマーが鳴ると同時にIHの火を止め、湯切りした茹でたてのパスタを投入。ソースを絡め、付属のフライドガーリックと鷹の爪をパラパラと振りかけ――最後に、例の虫を豪快にトッピングしてすべてを台無しにしたら、今宵のメインディッシュの完成だ。
続いて、サラダのパッケージを開封して器に盛り、和風ドレッシングを適量まわしかける。その瑞々しい緑の上に、バランスを考えながら適当に虫を配置していったのだが……完成したそれを見た瞬間、私は己の目を疑った。
レタスの隙間から顔を出す虫たち。ドレッシングによる、不穏なツヤ。……これ、食卓の上に再現された「秋の虫カゴ」じゃねぇか。何度も言うが、これは今から私が口にする「食べ物」である。
ううん、と私は唸った。あまりにもビジュアルが最悪すぎて、私の胃袋は急速にシャッターを閉め、食欲がダイレクトに減退していくのが分かった。しかし、これも物書きとしてのカルマだ。私は一応、完成した地獄のようなディナーの姿を、記念としてスマホの写真に収めた。たぶん、自発的に見返すことは今後二度とないだろう。
数年後、気を利かせたスマホのフォトアプリが、突如として『〇年前の今日の思い出』などと懐古のトーンでこの写真を不意打ちでピックアップし、未来の私がスマホを放り投げて腰を抜かす姿が、今から容易に目に見えている。
もはや、この乾燥虫に対して何の精神的抵抗もなくなってしまった私は、虚無の目でYouTubeを開く。液晶画面を流れる適当な動画へと意識をあえて逃避させながら、私は目の前の虫料理を、ものの数分というマッハの速度で平らげていった。
ちなみに、レタスの「虫カゴサラダ」の方だが――非常に悔しいことに、本当にクルトンのような小気味良いアクセントになって美味しかったのだ。選んだ和風ドレッシングの塩気と旨味が、虫の持つあの「煮干し感」を綺麗に包み込んでくれたのだろう。まさか、あのAIのナマイキな提言が100点満点で大正解だったとは、認めざるを得ないのが猛烈に腹立たしい。
一方、一番こんもりと虫の遺体を盛り付けたメインのペペロンチーノは、ほぼ咀嚼を放棄した勢いだけで一気に胃袋へと流し込んだ。
味ベースは完璧なペペロンチーノである。かつてお弁当屋で鍛えたパスタの茹で加減は最高だし、ジューシーなウインナーもガツンとしたボリュームを演出してくれている。――そう、時折、私の歯間に不穏な角度で挟まり、己の存在を主張してくる「虫公」の硬いパーツさえなければ、間違いなく絶品のディナーだった。
すべてを平らげたとき、私はただ一人、ダイニングの椅子で完全な放心状態に陥っていた。
手元を見れば、未だに半分ほど残っている虫の山。
(これだけ煮干しっぽいなら、いっそのこと、こいつらで濃厚な出汁でも取って『自家製昆虫ラーメン』にしてやろうか……)
などというマッドサイエンティストな思考が脳裏を一秒だけよぎったが、すぐに首を振り、私は現実から逃げるように早々に就寝したのだった。




