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靴下

「日常七不思議」として有名な話がある。

『靴下は、なぜか片方だけどこかへ行く』

 古今東西、どうして靴下と軍手はこうも気ままに片方ずつ旅立ってしまうのだろうか。それが嫌で、全く同じ靴下を何足もまとめ買いする人もいるのだとか。

 私も例に漏れず、学生時代から靴下を片方ずつ失くし続けていた。それなのに、我が家のタンスに残された靴下たちは、メーカーも長さもバラバラだった。

 理由は単純。母がお店で「安いから」と、その時々の特売品をアトランダムに買い与えていたからだ。そんな雑な環境で育った私は、「まあ、色さえ揃っていればメーカーなんて気にしなくていいか」と、左右非対称のまま平気で履くようになっていた。ただの横着である。

 今でもその癖は抜けていないので、もし私と直接会う機会があれば、こっそり足元を確認してみてほしい。


 さて。そんな前置きをしたのは、ある奇妙な体験を聞いてほしいからだ。

 あれはもう、二十年ほど前の話になる。


 具体的な年齢までは定かではないが、高校生だったのは間違いない。

 当時、私は地元の飲食店でアルバイトをしていた。時給は六〇〇円台の後半。今の最低賃金からすれば信じられないような時代である。私は平日の夕方や土日の終日を、そのアルバイトに捧げていた。

 その日も、「例の靴下が片方どこかへ行く日」だった。どれだけ探しても、取り出した靴下の相方が見つからない。

 私は悩んだ。はたして今日、靴を脱ぐシチュエーションはあるだろうか。バイト先に座敷はないし……よし、問題ない。言っておくがこれは浮気ではない、愛想を尽かした相方が勝手に出て行ったのだ。そんな適当な言い訳を脳内でこねくり回しながら、私は左右でメーカーの違う靴下を履き、家を出た。


 バイト先まではママチャリで十五分ほど。市街地をくねくねと走り抜けた先にある、大きな幹線道路沿いに店はあった。

 私は普段通りの勢いで、よく知る地元の道を駆け抜ける。

 昔通った駄菓子屋、親戚のおじさんの家、放課後に集まった公園。懐かしい景色を通り過ぎ、大通りへ出ようとした、その時だった。

 見通しの悪い角で、目の前から対向の自転車が猛スピードで迫ってきた。

(避けてくれるかな?)という淡い期待は水泡に帰す。お互いに不注意だったのだろう、上手く避けきれず、あわや正面衝突という距離まで肉薄した。

 お互い急ブレーキをかけ、なんとか衝突は免れた。自転車同士とはいえ、一歩間違えれば大怪我をしていたかもしれない。

 相手は、飄々とした雰囲気の、学生風の若い男だった。

「すみませんっ!」

 私は咄嗟に頭を下げた。

 しかし――相手は予想だにしない行動に出た。


 男は無言のまま、おもむろにかがみ込むと、私のズボンの裾をツマミ、ぐいっと上へめくり上げたのだ。

 そして、私の足首の靴下をじっと覗き込んだ。


 ……意味が分からない。

 怪我の有無でも確認したかったのだろうか。いや、それなら「大丈夫?」の一言くらいあるはずだ。完全な無言。ただただ、私のスネを覗き込む見知らぬ男。恐怖と困惑で硬直する私。

 しかも、最悪なことに気がついてしまった。

(待って、私、今日靴下左右違うんですけど……!)

 怪しい男に足を掴まれている恐怖よりも、「メーカーの違う靴下を見られている」という恥ずかしさが一瞬勝った。

 男は、何かを確認し終えたかのように満足すると、裾をパッと放し、何事もなかったかのように足早にその場を去っていった。

 彼はあの瞬間、一体何を果たし、何に満たされたのだろうか。現代の怪異としか思えない、ありえない「奇行」だった。


 当然、バイト帰りにこの嘘みたいな体験を母親に話した。

 それ以来、我が家では、朝急いでいて左右違う靴下を選んでしまった時、必ずこんな枕詞がつくようになったのだ。

「まあ、外でわざわざ裾を覗き込んでくるやつなんて、そうそういないしね」

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