ドッキリ
『人生とは時にエンターテイメントである』
これは今私が適当に考えた格言だが、あながち間違っていないのではと思う。なぜならば、人の窮地というのは、傍から見ればこれ以上ない娯楽だからだ。
そういう悪趣味な慈悲や、他人事の優越感を間接的に味わうのが、いわゆるテレビの「ドッキリ番組」である。若手芸人やアイドルが、時にチープな、時にハードな仕掛けにハメられる瞬間は、画面越しだからこそエンターテイメントとして成立する。
では、実際に一般人でドッキリにかけられたことがある人は、どれくらいいるのだろうか。それも、テレビカメラなんてどこにもない、ただ「オレと、お前」のクローズドな空間で行われる、何の生産性もないドッキリを。
お察しの通り、筆者にはその経験がある。眠れない夜に、人生の無駄な出来事として走馬灯のように思い出す、あの最悪な記憶だ。
もう十年以上前の話である。
当時、新卒で入った会社を勢いで退職した私は、実家を飛び出し、大阪の知人の家を転々としていた。
「なんとか食いつながなければ」
その一心で、生きるために必要なスキルが身につきそうな飲食店に狙いを定め、片っ端から面接を受けた。今思えばなんと安直な動機だろう。しかし結果として、私はあるフランチャイズのお弁当屋に正社員として採用された。
学生時代にホールの経験はあったものの、調理経験はゼロ。魚は切り身の状態で海を泳いでいると思っていたレベルである。しかしまあ、アルバイトの高校生でもできる仕事だ、なんとかなるだろう。
……そして、本当になんとかなってしまった。オーナーの作ったマニュアルがよほど優秀だったのだろう。メキメキと調理スキルを身につけた私は、なんとわずか半年ほどで、小さな店舗の責任者(店長)に抜擢されたのだ。
出世頭? 否、ただの奴隷契約だったのだが、その詳細を語ると本筋からズレるので割愛する。
事件は、ある休日に起きた。
私は通院のため、マイカーで大阪の繁華街「ミナミ」を訪れていた。
渋滞のせいか寝坊のせいか、病院の予約時間が迫っていた。焦った私は、いつも使う安いコインパーキングではなく、病院の最寄りにある目に留まった駐車場へと車を滑り込ませた。
数時間後、用事を終えて駐車場に戻り、出庫のために清算機へアスファルトの番号を打ち込む。
画面に表示された金額を見て、私は目を疑った。
五桁。……そう、万単位である。
慌てて看板の案内表示を見上げると、そこには目を凝らさなければ見落とすような超一等地の「破格(絶望的という意味で)」の料金設定が、しっかりと記載されていた。
(焦って金額を見ていなかった。というか、手持ちが足りない……!)
まさか数時間の駐車料金で諭吉(当時はまだ諭吉の時代だった)を繰り出す羽目になるとは思わない。ギリギリの極貧生活を送っていた私に、そんな大金があるはずもなかった。
困り果てた私は、当時居候させてもらっていた友人に電話をかけた。仕事中だったようだが、パニックを起こしている私に「看板にある管理会社に今すぐ電話しろ」と的確なアドバイスをくれた。ナイスすぎる。
私は震える手で管理会社へ電話をかけ、料金を確認せずに停めてしまったこと、決して踏み倒す気はなく、支払う意思があることを必死に説明した。
数十分後、現場に現れたのはスーツを着たサラリーマン風の男だった。男は事情を汲んで出庫させてくれ、「後日振込で支払う」という約束で連絡先を交換し、その日は解放された。どうやらその駐車場は、地元の小さな不動産会社が運営しているようだった。
ここまでは、まだ前座に過ぎない。
そんな金銭的爆弾を抱えたまま、私は日常の業務へと戻った。
数日後の、昼下がりのことである。
お弁当屋にとって、朝の仕込みから昼過ぎまではまさに戦場だ。腹を空かせた客が猛獣の如く詰め寄ってくる。反面、十四時を過ぎれば一息つける「アイドルタイム」となり、夜に向けた仕込みをしつつ、事務処理や清掃を進めるのが常だった。
私がカウンターで事務作業をしていた時、自動ドアが開く音がした。
「いらっしゃいませ」
顔を上げた瞬間、心臓を直接掴まれたかと思った。
黒スーツの男が、あからさまに機嫌の悪そうな顔で大股で近づいてくる。
(……そんなにお腹が空いているのだろうか)
現実逃避気味にそんな呑気なことを考えていたが、違った。
「店長、おるか?」
ゲーム『龍が如く』でしか聞いたことのないような、低い声。ドスの効いた声とは、まさにこのことだ。
あ、店長ですね。ええっと、店長、店長……自分だ。
「わ、私ですが……」
この時点で声はガタガタに震えていた。漏らさなかったのだけが奇跡と言っていいほど、足の震えも止まらない。クレームか? ピーク帯に何かやらかしたか? 思考がコンマ一秒の間に乱高下する。
「表出ろや」
借りてきた猫のように、従順に連行される私。パートのおばちゃんが心配そうにこちらを見ていた気がするが、記憶は曖昧だ。
そのまま、店の駐車場へと連れ出された。そこに停まっていたのは、見事な黒塗りのセダン。
(あー。これ、アレだ。本物のヤクザだ)
どうやって逃げよう。私の脳内コマンドは『にげる▼』一択になっていた。
男はおもむろに懐から煙草を取り出し、火をつけた。メビウスだった。一息吸って紫煙をくゆらせたのち、鋭い睨みとともに口火を切った。
「お前、この前ミナミで駐車場代踏み倒したやろ。払えや。一〇〇万や」
コノヒト・ハ・ナニヲ・イッテ・イルンダロウ。
「えっと、それは後日振込でいいって話だったんじゃ……それに、一〇〇万なんて無理です」
「そんなん知らんわ。ええから親に借りてでも今すぐ払えや」
「ふええええ、無理でしゅ……!」
圧倒的な威圧感。目つき、声音。間違いない、この人は裏社会の住人だ。なんてところに車を停めてしまったんだ。払えなかったらどうなる? 遠い海へ連れて行かれるのか?
『闇金ウシジマくん』で得た乏しい知識をフル回転させるが、脳裏に浮かぶのはどれも最悪なバッドエンド集ばかり。気がつけば呂律すら回らなくなっていた。このまま連れ去られる。おばちゃん、お願いだから通報して――。
「……なんてな。怖かった?」
「……ふえ?」
突然、男が相好を崩して破顔した。いや、そんな笑顔をされても恐怖は一ミリも引かないのだが。
「ごめんな。俺、ここのオーナーの知り合いやねん。今度近くに新しく店出すから、今後の付き合いもあるし挨拶しようと思ってな。そしたらオーナーが『ちょっとドッキリ仕掛けようや』って言うからさ」
「えーっと……つまり、嘘ってことですか?」
「そう、嘘。テッテレー!」
テッテレーじゃねえよ。山か船かを覚悟したわ。
カメラもない、ただオレとお前の関係でのドッキリほど、無駄で悪質なものはない。
すぐさま店のオーナーに抗議の連絡を入れたが、「ハハハ、驚いた?」と特に悪びれる様子もなかった。
当然、そんな最悪なトラウマを植え付けてきた人間関係が、その後にうまくいくわけもない。私はその男とも、そして悪趣味なドッキリを企画したオーナーとも完全に馬が合わなくなった。
リアルドッキリ事件を経て、会社への信頼が綺麗さっぱり地に落ちた私は、数ヶ月後にそのお弁当屋を退職した。
ちなみに、例の駐車場代金は、後日指定の口座へきっちり一円の狂いもなく振り込んで解決した。




