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続・担々麺イズラブ

 先日、恥ずかしげもなく「担々麺への歪んだ愛」をネットの海へと放流したのだが、それがいけなかった。一度言葉にしてしまったことで、かつての美味なる思い出が鮮烈に脳裏に蘇り、それ以降の私は、まるで何かに取り憑かれたかのように担々麺への思いを募らせていたのだ。


 ああ、恋しい。あの鼻腔をくすぐる香しいスパイスの香りと、舌をひりつかせる強烈な刺激。死ぬ前にもう一度だけ、あの至高の味を胃袋に収めたい。——今のところ、すぐさまくたばる予定はないのだが、それくらいの覚悟を決めなければやっていられないほど、日ごとに私の愛は増幅していった。


 そしてある日の会社帰り、気がつけば私は、吸い込まれるように近所のセブンイレブンへと足を踏み入れていた。

 いや、分かっているのだ。どれだけこの店舗に通い詰めたところで、あの懐かしき思い出のパッケージには二度と出会えないことくらい。どうせ今日も、冷凍食品コーナーのストッカーを覗き込んだところで、立ち上る白い冷気に身を縮こませ、悲しみに暮れながら踵を返す結果になるに決まっている。


 分かっていても、覗かずにはいられない。それが恋というものだ。

 私は自虐的な笑みを浮かべながら、おそるおそるガラスの向こうを見下ろした。


 ——その瞬間、私の目に、眩いばかりの輝きを放つ黄金のパッケージが飛び込んできた。


 そこに印刷されていたのは、紛れもない三文字。

『担々麺』


 ……普通にあるやんけ!


 五度見、いや、確実に六度見はしたと思う。

 客観的に見れば、冷凍ストッカーを覗き込みながら激しく首を上下左右に振り続ける、極めて質の悪い「セルフあっちむいてホイ」を繰り広げる不審者である。レジの奥から防犯用のカラーボールを投げつけられなかったのは、セブンの店員さんの心が太平洋のように寛大だったからに他ならない。本当に命拾いした。


 私は武者震いする手で、壊れ物を扱うかのように優しくその黄金のパッケージを掴み取った。指先から手のひらへと伝わってくるのは、ひんやりと硬い、マイナス十八度以下の感触。

 ——おいおい、そんなに冷たくするなよ。オレ達、一体何年振りの再会だと思ってるんだ?


 そんな痛々しい言葉を脳内で投げかけつつ、数年分のブランクを埋めるような絶妙な距離感を保ったまま、私はレジへと向かった。そして、わずか約三百円という驚異のお手頃価格で、かつての最愛の人(麺)を合法 的にお持ち帰りすることに成功したのである。


 今夜はとことん、楽しませてもらおうじゃないか。


 セブンイレブンを後にし、夜道を歩く帰路の途中。これから自宅の電子レンジで繰り広げられるであろう至高の幸福を想像するだけで、私の口角は制御を失ってグニャリと不敵に吊り上がっていく。

 ふと我に返ったとき、前方から歩いてきた部活帰りとおぼしき男子学生が、私と視線が合う直前で「見てはいけないもの」を察知したかのようにそっと目を伏せ、不自然に距離を取ってすれ違っていったことに気がついた。


 すまない、少年たちよ。怪しい者ではないのだ。私はただ、三百円で世界の覇権を握っただけなのだ。


 薄暗く狭い我が家の玄関を潜るや否や、私は黄金の担々麺を素早く冷凍庫の特等席へと放り込んだ。

「――先にシャワーを浴びてくるから、心の準備をして待っているんだな」


 誰もいない自室でそうボソリと独りごちると、私は最愛の麺を最高のコンディションで迎え撃つべく、身を清めるようにいつもより念を入れてシャワーを浴びた。


 風呂上がり、濡れた髪から滴をなびかせながら、私は満を持してキッチンへと馳せ参じる。

「待たせたね。ようやくキミと、また真正面から向き合えると思うと嬉しいよ」

 私は冷凍庫から担々麺を恭しく取り出し、裏面の加熱時間を確認した。五〇〇Wでおよそ七分。――ふっ、変わらないな、キミは昔からそうだった。本当、元気そうで何よりだよ。


 などと不気味な会話を脳内で成立させながら、私はおもむろに電気ケトルへと水を汲み始めた。確か、レンジでチンした後に最後にお湯で割ってスープを作る仕様だったはずだ。かつての私は、実家の洗面所からひねり出したぬるま湯で戻すという極悪非道な仕打ちをキミに強いたが、大人になった今日くらいは、沸騰した最高熱の熱湯でちゃんと向き合おう。


 ……ん?

 ケトルのスイッチを押そうとしたその時、私はパッケージの裏に書かれた調理工程に、強烈な違和感を覚えた。

 黄金のパッケージに新しく刻まれていたルールは、私の常識を根底から覆すものだったのだ。


『内袋を開封し、そこへ直接規定量の「水」を入れてからレンジで加熱する』


 ——時代が、ついに私に追いついている。


 お湯すら必要としない、水からの加熱。かつて私が「お湯が出ないなら洗面所のぬるま湯で強引に戻せばいい」と血迷って実践していたあの泥臭いアプローチを、まさか天下のセブンイレブンが公式の最先端システムとしてブラッシュアップし、採用していたというのか。


 私のやってきた狂気の試行錯誤は、決して間違いではなかったのだ。

 胸の内から言葉にできない熱いものが一気に込み上げ、私の双眸からは涙が零れたとか、あるいは冷房の乾燥でちょっと目がシパシパしただけだったとか、そんな些細なことはもはやどうでもよかった。


 私は電子レンジによる加熱の七分間を、終始そわそわとした心地で過ごしていた。それはまるで、シャワーを浴び終えて出てくる恋人を待っているかのような、あるいは初デートの待ち合わせ場所に少し早く着きすぎてしまったときのような、奇妙な胸の鼓動だった。


「ごめん、待たせた?」


 そんな愛おしいセリフの代わりに、ピー、ピー、と甲高い無機質な電子音が殺風景な部屋に響き渡る。

 私は喉をゴクリと上下させ、おそるおそるレンジの扉を開けて中を覗き込んだ。途端に私の鼻腔をまっすぐに抜けていったのは、あの懐かしい香辛料の薫り。ああ。おかえり、マイエンジェル。


 器の殺人的な熱さなんて、今の私にはちっとも気にならない。キミは、あの懐かしき暗黒時代(洗面所湯戻し期)のままのキミだ。

 私は逸る気持ちを必死に抑えつつ、担々麺をテーブルの対面へとそっと置いた。――ずっと、キミに話したかったこと、伝えたかったことがあったんだ(嘘だ、特にない)。キミのことを、一日たりとも忘れたことはないよ(そんなこともない、普通にパスタとか食ってた)。


 なんて、かける言葉を頭の中で考えたり、やっぱり考え直したりしていたのだが、……ああ、クソ、もう待つことはできないお!


 私はコンビニの割り箸を勢いよく弾き割ると、蓮華を軽く回してスープの中央へと真っ直ぐに放り込んだ。

 黄金、いや、赤褐色に妖しく輝くスープの湖が、蓮華という名の大地に掬い上げられて美しく揺れている。震える手で、私はその湖の如きスープを一口、静かに啜った。


 ——途端に、脳髄へとダイレクトに走る鮮烈な刺激と、懐かしい記憶。

 これだよ! これなんだよ!

 次の瞬間には、私はトングならぬ箸で麺をガシッと掴み上げ、豪快に天高く持ち上げてから一気に啜りあげた。

 ズズズッ、ズズズズッ!

 この、もちもちとした独特の弾力とコシは、およそ冷凍食品とは思えないほどの神がかった仕上がりだ。濃厚なスープがこれでもかと麺に絡みつき、担々麺という名の芸術を文字通り「フル」で堪能できる。


 そして何より、この物語において絶対に忘れてはならない存在――それが付属の「花椒パウダー」である。

 私は半分理性を失った手つきで、乱雑にその小袋をピッと引きちぎると、中身の魔粉を全て麺とスープの上へと容赦なくぶっかけた。おらおら! これで完成だ!

 全体をさっと網羅するように馴染ませ、完全に味変を遂げた極上のスープを、再び一気に喉へと流し込む。


 ズビビッ! ズビビビビッ!


 凄まじいスパイスの電流が、神経系を通って一瞬で全身へと駆け巡った。ラー油の鋭い辛みと、山椒特有の、舌が麻痺するようなビリビリとした痺れが狂おしいほどに気持ち良い。

 もしもこれが、敵組織による情報搾取のための「快楽系の拷問」であったなら、私は間違いなく、開始三秒で仲間の正確な人数と潜伏場所をすべて白状していただろう。


 すまない、まだ見ぬ私のプロ組織の仲間たちよ。……作戦行動中の隊長は今、圧倒的な幸福の前に、全面降伏してしまった。

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