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独白焼肉

 私は焼肉が好きである。しかし、ここでも私の持つ異常なまでのこだわりと好き嫌いが、俗世の間に深い隔たりを作り出してしまうのだ。

 

 その特異な体質を端的に説明するならば、「肉の脂身とホルモンが一切食べられない」のである。

 世間一般からすれば、これはなかなかにニッチで不条理な趣向らしい。そのせいで、これまでの人生において、会社の親睦会やら友人の送別会やらで「今夜は焼肉だ!」と周囲がどれだけお祭り騒ぎになろうとも、どこか冷めた目で「どうせ私は100%楽しめないしな……」と諦めの境地を抱き続けてきたのだ。大皿で運ばれてくる網の上で炎を上げるモツを前に、私はいつも所在なげに白米をかき込むことしかできなかった。

 

 だが、昨今はついに時代が私に追いついた。

 世の中には『ひとり焼肉専門店』なる、私のようなはぐれ者のために(あつら)えられたかのような素晴らしい聖地が存在するという。

 

 先日通院のために街へと出る機会があり、用事を済ませた帰路の途中で、その専門店へ立ち寄ることにしたのだ。

 誰の目線も気にする必要はない。頼むメニューを制限される筋合いもない。そこに広がるのは、私のためだけに用意された完全なる自由市場だ。

 よし、決めた。今日はとことん、私の流儀で楽しませてもらおうじゃないか。


 時間は午前十一時を少し回ったところ。ちょうど開店直後のタイミングである。

 ネットで調べたイメージでは、店内には一列のカウンターが並び、それぞれの席に自分専用のコンパクトなロースターが鎮座している。グループ客がいない分、客の回転率も早そうだ。

 平日のこの時間なら大して混雑もしていないだろう――そう高を括って入店したのだが、驚いたことに、店内はすでに多くの「ソロ客」たちで異様な賑わいを見せていた。どいつもこいつも、昼間っから独りで焼肉なんて贅沢を極めやがって……。

 

 店内に充満する、香ばしい醤油ベースのタレと焦げた肉の薫りが、容赦なく私の鼻腔を刺激する。この暴力的なまでに食欲をそそる空間に、私の胃袋は即座に降伏し、お腹の虫が「キュゥゥ」と実に情けない音を響かせた。

 

 すぐに気づいた店員が、私をカウンターの空き席へと滑り込ませるように案内した。

「当店のご利用システムはご存知でしょうか?」

 なるほど、初見の客には懇切丁寧にルールを説明してくれるわけだ。だが、今回の私の返答は、明確に「ノー」であるべきだった。

 なぜならば、この私は前夜、動画サイトで血の滲むようなシミュレーションを重ねてきたからだ。注文は目の前のタッチパネル。おしぼりと箸はテーブルの引き出し。ロースターの点火は手元のA・Bボタンの同時押し――。我ながら百点満点の予習である。ひとり焼肉中間テストが開催されれば、余裕で平均点以上、いや学年トップを狙える知識量だ。ここはスマートに常連の雰囲気を醸し出し、ツウぶるのも悪くない。

 

「あっ……えっと、あ、初めてでっす」

 

 まぁ、現実なんてこんなもんだ。私の口から出力されたのは、絵に描いたようなコミュ障特有の白旗だった。

 店員は私の予想通り、それはそれは丁寧に優しくシステムを説明してくれたよ。……ただ、座席に設置された小さな蛇口からセルフで水を注ぐシステムの存在だけは予習動画に出てこなかったので、心の中で普通に「へぇー、すごいな」と新鮮に感動してしまった。


 店員さんの前で挙動不審な初心者ムーブをぶちかました後には、いよいよお待ちかねの品定めタイムだ。


 目の前のタブレットをタップすると、画面いっぱいにお得なランチメニューが飛び込んできた。基本は肉の盛り合わせに、ライスとスープがセットになっているらしい。

 しかし、中身を確認した私は一瞬にして眉根に深い皺を寄せることになった。――案の定、そこに並んでいるのは「カルビ&ホルモンセット」のような、脂身と内臓の波状攻撃なのだ。駄目だ、これらは私の辞書には存在しない。

 私は獲物を狙うハヤブサのごとき鋭い視線で、舐めるようにページを切り替えていく。すると、画面の隅に、私のようなはぐれ者でも心の底から楽しめる素晴らしいセットが鎮座しているではないか。

 その名も、「牛・豚・鶏の三種盛りセット」。


 脂身とホルモンが排斥されたこの悩ましい現代において、なんともバランスの取れた奇跡の組み合わせだろうか。例えるなら、最初に選ぶはずのフシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメのすべてを序盤で手に入れられてしまう、あの『ポケットモンスター ピカチュウバージョン』のような圧倒的お得感。それでいて、価格も実に手頃である。


 ――よし、キミに決めた!

 私は意気揚々と、その三種盛りランチをご飯大盛でカートへと放り込んだ(もちろん、タブレットの画面内での話である)。

 さらに、私は単品メニューのページへと指を滑らせ、「キムチ」を光の速さで追加する。これ、これだよ。この赤い名脇役が卓上にいてくれなくては、到底、焼肉とは呼べんのだよ。

 前日の動画サイトによる血の滲むような予習の甲斐あって、驚くほどあっという間に注文は完了した。

 あとは、私のためだけに用意された小さな銀色の網の前で、最強の御三家が運ばれてくるのを静かに待つだけである。


 好きなものを、自分のペースで、誰にも邪魔されずに食べられる。そんな「ひとり焼肉」という至高のエンターテインメントに、私の心は少年のように躍っていた。注文の品が運ばれてくるのを待つ間も、店内に漂う香ばしい薫りが絶え間なく私の食欲を煽り続ける。

 ――待つこと、数分。

「お待たせいたしました!」

 テキパキとした店員さんがハキハキとした声を響かせ、私の目の前のトレイへ、実に見事な肉のセットを滑り込ませた。

 しかし、その光景を目にした瞬間、私は箸を握ろうとした姿勢のまま、文字通り完全にフリーズした。


 ……おかしい。目の前に、真っ赤なキムチの小鉢が「二つ」鎮座しているではないか。


 店員さんが去ったあと、私は冷や汗を流しながら慌てて手元のタブレットのメニュー画面を確認した。――やってしまった。私が頼んだ「御三家セット」には、最初からデフォルトでキムチが組み込まれていたのだ。

 そこへ私が自信満々に「追いキムチ」を敢行してしまったものだから、今頃厨房のスタッフたちの間では、「おい、カウンター〇番席の奴、どんだけキムチ好きなんだよ」「リアルキムチ王子だな」などと、恐怖の共通認識を持たれてしまっているのではないか。


 これだけ脳内でツウぶっておきながら、セット内容すら把握していなかったという恥ずべきポカがあってはならない。私の自尊心がそれを許さなかった。

 ()くなる上は――既成事実にするしか道はない。


 私はまだロースターに点火することすら忘れ、大盛りの白米を左手にガシッと担いだ。そして、眼前のキムチを容赦なく箸で掴み、思い切り口の中へと頬張った。

 美味い! そして、程よく辛い!

 幸いなことに、タブレットの端には『ランチタイムはライスおかわり無料』の文字が輝いている。ならば話は簡単だ。私は肉が焼けるのを待つまでもなく、このWキムチの物量をもってして、まずはこの大盛り白米のファーストレグを完封してやればいいのだ。

「私は肉を焼きに来たのではない。今日はただ純粋に、キムチと白米のマリアージュを狂おしく愛でにきたのだ」

 そんな強烈な嘘のオーラを全身から発しながら、私はまだ肉の乗っていない銀色の網の前で、猛烈な勢いでキムチ米をかき込み始めた。


 ものの数分で一足目の大盛り白米をきれいに平らげ、私は流れるようなモーションで「すみません、ライスおかわりで」と追加注文をキメた。これでいい。これで私のキムチ狂いという既成事実は完全に証明されたのだ。

 セットの中華風スープを口に含んで一息ついた私は、ここでようやく、手元のロースターに点火のコマンドを入力し、トングで最初の肉を掴み上げた。

 待つこと数秒。目の前の網からゆらりと熱気が立ち上ってくる。最新機材の立ち上がりは意外にも早い。もういいだろう。まずは鶏肉を網の上へと寝かせてやると、待ってましたとばかりに「ジュウッ!」と小気味よい音が店内に響いた。

 今回の私の戦略は、「鶏→豚→牛」の順番で攻略することだ。正直に白状すると、私は肉の細かい部位の良し悪しなどこれっぽっちも分かっていない。私の食依存のセンサーが反応し、美味しく食べられれば何でもいいのだ。

 ただし、鶏と豚に関しては、とにかく親の敵のようにしっかりと芯まで焼かなければならない。昔、私の友人が不用意に「鶏刺し」を食べてカンピロバクターに直撃し、この世の終わりみたいな顔をして死にかけていたのを私はよく覚えている。豚肉の生焼けの危険性は言わずもがなだ。安全第一、それこそが真のソロ活動の鉄則である。


 網の上で、赤みがかった肉が次第に白みを帯び、やがて脂を滴らせながら所々が香ばしい茶色へと変色していく。

 これだよ、これ。この、肉が育つのをじっと見つめる焦れったい「待ち時間」こそが、ひとり焼肉における最大のスパイスと言えよう。


 そうこうしているうちに、絶妙なタイミングで二足目のおかわりライスが運ばれてきた。トレイを置く際、ちらりと私の卓上の「空になったキムチ皿」を一瞥する店員さん。

(どうだ! 私は本当に、肉を焼く前からキムチを貪り食うタイプのハードコアなキムチ好きだっただろう!)

 脳内で完全なる完全勝利の凱歌をあげつつ、私は網の上から絶妙な焼き加減の鶏肉を回収した。


 醤油ベースの濃厚なタレにどっぷりと絡ませ、新調されたばかりの白米の頂へ向かって、肉を数回トントンと優しくバウンドさせる。

 肉から滴るジューシーな脂と、黄金色のタレ。これが白米の表面にじわりと染み込んでいく瞬間こそ、焼肉というエンターテインメントの最高潮だ。


 そのまま肉を口へと放り込む。

 ――美味い。冷凍食品とはまた違う、引き締まった心地よい歯ごたえ。そこに甘辛いタレが完璧にマッチしている。噛むたびに溢れる肉汁。この鶏肉、めちゃくちゃ美味いぞ……!

 たった二切れの鶏肉をわずか一分で完食した私は、続く第二陣として、三枚の豚肉を仲良く網の上へ川の字に並べていった。

 先ほどの鶏肉とは違い、豚肉は豊かな脂を含んでいるため、滴る油によってロースターの火の勢いが少しだけ増す。私は豚スライスが銀色の網に張り付いてしまわないよう、トングを使ってさっと手際よく裏返しながら育てていく。この豚肉は薄い。だからこそ、火の通りも早く、瞬時に臨戦態勢へと入れるのが強みだ。

 全体に香ばしい焼き色がついたことを確認するや否や、さっとタレを絡ませ、待機していた白米の上に綺麗に並べる。そう、ここからは肉で米をロールして喰らうのだ。

 時間にして僅か三口。だが、それは何物にも代えがたい、この上なく幸せな三口であった。


 あっという間に、網の上の戦場に残すは「牛」のみとなった。やはりこいつらがこのセットのメインディッシュなのだろう、皿の上には大ぶりの肉が五切れも控えている。

 しかし、こちらの米の分量調整にも一切の抜かりはない。器の白米は、正確に半分残してあるのだ。

 一枚、また一枚と、大切に、本当に大切にその五枚の主役を焼き終えると、私は迫り来る名残惜しさを静かに噛み締めながら、計ったかのようなジャストのペースでランチセットを完全完食したのだった。


 お腹が満たされ、同時に、擦り切れていた心までもがじんわりと満たされていくのを感じる。

 ここは本当に、素晴らしい空間だ。周囲の雑音に惑わされることなく、己の内なる声と独白しながら飯を食うには、これ以上ないほどもってこいの聖地である。


 この静かな感動を胸に、通院帰りのルートには必ずここを組み込み、定期的に訪れようと心にひっそりと誓うのであった。

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